人間万事塞翁馬 103















「あんたの故郷っていうのは、未来にあるのかい?」



ゆらゆらと揺れる炎に視線を落としていたが視線を上げる。
俺を見て、言った。



「はい、そうです。ご存知だったんですね」



焚火を挟んだ向こう側には、満面の笑み。
少しの動揺も見せず、かといって、それを装っている風でもない。
ごく普通にそう答えて、笑って見せた。
そして続けた。



「絶対に隠し通すって決めてるわけではないんですが、どちらかといえば隠している部類に入るので、あまり声に出さないでいて頂けると助かります」



表情も声音も変えずに、最後に”まあ、止めませんけど”と付け加えて。
鼻歌でも聞こえてきそうだった。

そこまで思い出して、俺はひとつ、息を吐きだした。
好奇心に負けた…いや、魔が差した。
許昌(ここ)に着く一日前、やむ得ず野宿をした晩のことだった。

まるで、”俺が知っていた”ことを知っていたかのような口ぶり。
それでも、俺が何故知ったのか、という質問は一切なかった。
だからと言って、調べた、という訳ではないだろう。
も勘の鋭い方だ。
順立てて調べ上げたというよりも、ただ、勘が当たった。
恐らくそれが、もっとも近い答え。
まあ、俺にはそれで十分な答えだが。

…――俺は何をやってるんだ。

曹操殿への報告を済ませ、と別れて回廊を一人歩く。

丁度と帰還したころ、董承を投獄したと聞かされた。
何でも、曹操殿の暗殺を企てたとか。
曹丕殿主導で調べ上げ、捕えたとのことだ。
きな臭さは感じていたが、尻尾まで掴むとは大手柄だ。
流石は、曹操殿の子息、というべきか。
しかし、その同盟者、連名状の中に劉備の名があったとは…、驚きはしなかったが少々意外だと思ったのも事実。
もう少し慎重に動く男だと思っていたが、そうでもなかったか。

そして、それを知った以上、そのままにはしておけない。
董承ほか連なるものを処刑し、同時に、袁紹は横に、先に劉備を討つ。
曹操殿はそう言った。
袁紹に背を向けるなど、と反対もあったようだが、袁紹は動かないだろう。
こういう時、動けないのが袁紹という男だ。
それは董卓の動乱の折にも分かったこと。
何より、その辺り、袁紹の性格は曹操殿が一番知っている。
劉備を放っておくという意見もあるようだが、俺はそれには反対だね。
今のうちに手を打っておいた方がいい。
そんな気がする。

ふと顔を上げると、前方に荀ケ殿と満寵殿。
向こうもこちらに気づき、視線を上げる。



「珍しい組み合わせだ。立ち話で足りるのかい?」

「賈詡殿。無事、戻られたのですね」

「ああ、お陰様でね」



荀ケ殿がそう言って、笑みを浮かべた。
満寵殿が続ける。



「どうでしたか?感触は」

「言う事なしだ。やることはやった。あとは待つだけってね」

「それは頼もしい限り。とはいえ、油断も出来ませんが」

「全くだ。加えてここで劉備攻めときた。も次の準備に向かったところだ」



満寵殿の隣で聞いていた荀ケ殿が、思案するように口を開いた。



「今回は張遼殿の副官という立場でしたね……大丈夫でしょうか」

「おや、荀ケ殿。何か心配事でも?」

「いえ、心配というほどのことでは。…帰還したばかりですし、何より殿と劉備の関係は、それほど悪いものではないと認識していましたので」

「…まさか、が寝返るとかいう心配かな?」



そう返すと、流石に二人から顔を顰められた。



「いや、冗談冗談。俺が悪かった」



手を振ってたしなめる。
ここで一つ咳払い。



「まあ、冗談はさておき。それこそ心配するほどのことでもないだろう。荀ケ殿がご存じの通りのだ。彼女ほど切り替えの早い人間は、いない。後から来た俺なんかよりも、よっぽどその辺り、知ってるんじゃないのかい?」

「はい、確かに……その通りだと思います」

「何か助言が必要なら、その時に考えればいいことだ。だって、変な心配をされても困るだけだろうしな」

「確かに、それは賈詡殿の言うとおりだ。荀ケ殿の言いたいことも分かるけど、ここは杞憂だと思って、私たちも出遅れないよう準備を進めていこう」

「そうですね。失礼しました。主公たちが背後の心配をすることがないよう、準備を整えましょう」



そこまで言って、やっと荀ケ殿の表情が元に戻る。
今に始まったことじゃないが、愛されてるねえ、は。
それぞれの持ち場へ向かう二人の背を見ながらそう思う。
回廊を再び進む。
ふと、頭をよぎる。

――魔が差した。
ただ、それだけだ。
何かしたいわけじゃない。
俺には何も出来はしない。









* * * * * * * * * *








許昌を出立して丸一日。
賈詡さんと任務を終えて無事に許昌へ帰ってから報告を済ませ、曹操さん暗殺計画のことを聞かされ―途中、髪のことを指摘されたけど華麗にスルーして―、劉備さんを討伐するということで張遼さんの副官に任命された。
もちろん、副官っていうのは今回限り。
今は張遼さんについて走ること、馬上にあり…って感じ。
楽進さんと李典さんが先行してるって聞いてる。
私たちより一日早く出てるって聞いてるから、このまま順調に行くと、先行組は5日後には小沛周辺ってとこかしら。
もしかしたら、1日ぐらい短縮するかもだけど。
数年前の夏侯惇さんの例があるし…。

見覚えのある道を張遼さんの後ろにつきながら駆ける。
途中、補給のために定陶へ寄ることになっているけど、その前に拠点で何回か休憩かな。
本番前に馬も人も疲れてちゃ、話にならないわ。
息が作る白い靄を数えきれないぐらい掻き消しながら黙々と駆けた。

――そうして、ひとしきり駆けて、日が沈み始める2時間ほど前に初めの拠点に着いた。
ここに長居はしない。
夜の寒さをとりあえず凌げる程度の簡単な野営を設けて、各々の役目を果たす。
炊き出しは隊ごとで、簡便に。

それから設営を始めてから大体、2時間ぐらいは経ったかな。
つまり、もうほとんど日は沈もうとしている。
遠くの山の際に太陽が輝いていた。

陣中を歩きながら、変わったことが無いか兵士の表情を確認しつつ、人気のない拠点の端で足を止める。
両手を組んで一度、ぐっと背伸びをした。
小気味よく背中がぱきりと鳴る。
炊き出しの香りが、ほどよくお腹を刺激する。
めちゃくちゃ美味しいわけじゃないけど、空腹時には十分すぎるぐらい誘惑される香り。

大きく息を吐きだしてから空を見上げた。
寒さが沁みる澄んだ空気。
徐々に黄昏へと向かう空に輝く星がほぼ真上に一つ、太陽が沈む方向に一つ、瞬いている。



「(木星と土星…ってことは、あっちが大体、南かあ…)」

殿、ここに居られたか」



今17時ぐらいかなあ、と思っていると、ふいに背後から声。
振り返ると、張遼さんが立っていた。



「ごめんなさい、勝手にうろうろして」

「いや、構わぬ。何か気づいたことはございませぬか?副官殿」



すこし、茶化すような言葉。
思わず私は言った。



「よしてください、張遼さん。例え冗談でも張遼さんに改まられると、こそばゆいです」

「左様か、それは失敬」

「ふふ、今のところ変わりはありません」


張遼さんに歩み寄りながら、私は答えた。
数歩先の張遼さんが言う。



「それならば、まずは一安心…夕餉の支度が出来たとのこと、周囲への警戒は見張りに任せ、幕でこの後のことを話しながらどうだろうか」

「そうですね、もう日も落ちますし、そうしましょう」



相槌を打って答えた。
頷いて、歩き出す張遼さんの背中を追う。
すれ違う兵士にどちらともなく声を掛けながら、暫くして目的の幕に着いた。
入り口をくぐりながら、簡素に用意された席に着く。
メニューは本当に簡素。
粟のお粥とその辺の雑木林で捕ってきた猪か何かの肉―大分焦げてるけど―、それとスープ―ちょっと豪華―。
お酒はなし、代わりに水。
礼法通りの配置。
礼法通りに食べ始めて、空腹だったお腹が少し満たされたところで、張遼さんが切り出す。



「伝令の話によると、劉備たちは小沛に兵を進めているとのことだが…」

「はい、そのようですね。斥候からもそのように聞いています」

「なぜ、わざわざ小沛に?下邳で迎え撃てば兵站も伸びずに済むのでは?」



もっともな話だ。
私が劉備さんの立場で、且つ兵を使うなら、そうする。
篭るにしたって、小沛では不十分だ。
けど、劉備さんはそうしなかった。
そうしない理由は何か。
劉備さんがもっとも重要だと考えるもの。
今回の行動理由につながるもの。



「……恐らくですが、下邳を戦場にしたくないのではないでしょうか。こと、民を慮る、という点では彼の右に出る者はいないかと」

「…なるほど。分からなくもない、…しかし、だとしても」

「ええ、私も同じです。けれど、それが劉備…さんという人なのでしょうね」



杯の縁に指を滑らせる。
腑に落ちていないことがあった。
曹丕さんが手に入れたという連名状。
確かに、劉備さんはお人好しだと思う。
私にまで変な気を遣うぐらいには。

…とはいえ。

だからといって、いくらなんでも、そこまで迂闊なことをするだろうか。
何かが引っ掛かる。
だけど、手に取って目を通したその連名状の名は、確かに直筆のようだった。

――それでも、何かを見落としている気がする。



殿?どうかされたか?」



不意に、張遼さんに話しかけられ我に返る。
声を掛けられた拍子に吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出しながら視線を上げた。



「いえ、すみません。ちょっと考え事をしていました」



杯を手に、水を一口流し込む。
冷たくもなく、温かくもないそれが流れていく。
手を下ろすと、見計らったかのように張遼さんが口を開いた。



「どうか、無理だけはなさらぬように」



視線を上げると、張遼さんがまっすぐこちらを見ていた。

そういえば、許昌を出てくる前にも、伯寧さんや荀ケさんにも同じこと言われたな、と思い出す。
みんなに同じこと言われるな、と思いながら顔を緩めた。



「お気遣い感謝します。けれど、ご心配には及びません。それよりも、この後のことですが…私たちは彭城に向かいませんか?」

「彭城…?小沛ではなく?」

「はい」

「理由をお聞かせ願えるだろうか?」



私は一度、居住まいを正してから、改めて張遼さんを見た。



「斥候によると、劉備さんの妻子が一緒に下邳を出ているそうなのですが、その彼らのみが、途中進路を変えたそうです。その進路の先にあるのが」

「彭城?」

「はい。恐らく家族を下邳に残せば、ことがことだけに曹操さんは軍を下邳にも向かわせます、だから家族も連れ出したのだと思います。しかし、一緒に行軍しては巻き込むことになる。それこそ無力な家族です。それをわざわざ、それこそ危険な戦地へ道連れにしたいと思う人など、そうはいないでしょう。しかし、下邳に置いておくことも出来ない。そこでやむを得ず彭城に向かわせた…そんなところかと」

「…しかし、それでなぜ、我らが彭城へ?」

「例え結果が同じでも、過程は変えられるかもしれません。他の者が劉備さんの妻子を捕えるより、私たちが先頭に立った方が少なくとも曹操さんに預けるまでの間は、捕虜の扱いの上で有利です。それに…」

「それに?」

「……小沛より先に彭城を押さえられれば、士気を削ぐことが可能かと。小沛へは楽進さんと李典さんが向かっています。数で圧倒するのもアリですが、総数で有利ならば更に別の有効打を放てば、より早く済ませられます。足踏みしているとはいえ、袁紹軍と対峙中ですし早いに越したことはないかと」



数秒の間ののち、張遼さんが口を開いた。



「もっともなご意見。では殿の申す通り、我らは彭城へ軍を進めよう。無用な血を流さずに済むのであれば、それが良い」

「はい。では、皆(みな)に伝えます」

「うむ」



それに、軽く私は頷いて幕舎の外に控えていた兵士に方針を伝えた。

――たとえ、何かを見落としていたとしても、これが曹操さんの方針ならばこれ以上は詮索しない。
理由は何であれ、連名状に劉備さんの名があるのは事実。
それは変わらない。

…見落としているものが分かれば、もしかしたら、過程は変えられるかもしれない。
けれどこの場合、変えたら変えたで大問題だわ。
その危ない橋の先のものは、私の目的にそぐわない。

だから、これ以上考えるのはやめよう。
多分、何をしても結果は同じ。
劉備さんは必ず、曹操さんの目的の障害になる。
劉備さんが曹操さんの下に付く気が無いなら、尚のこと。
後ろ盾を得たら、力をつけたら…多分遅い。

…ただの直観で明確な理由はないけど。
そんな気がする、胸騒ぎがする。

踵を返して幕へ戻る。
まだ温かい夕食の残りに手を付けた。
口の中に入った肉の焦げ目が、ざくざくと音を立てる。
苦みが口の中に広がった。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


我ながら遅すぎて、苔が生えそうだわ。




2024.03.30



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