人間万事塞翁馬 102















村を発ってから、1時間は経っただろうか。
賈詡さんと別れてからは、どのぐらいが経っただろう。
それほど時間は経っていない筈。
鄴の南西にある村の人たちの話から、探している黒山衆は、どうやら村から北西の方角、壺関のほぼ真北の辺りを最近は根城にしているということが分かった。
その辺りに狩りに出かけた村人が、確かに黒山衆を見かけて、命からがら逃げ帰ったということだ。
何とか見つからずに済んだが、次があるとは限らない、近づかない方がいい、というのがその村人の話。

もっともだと思う。
目的がなければ、私も敢えて近づかない。
けど、今回はそれが目的だから。
ちゃちゃっと見つけて、用事を済ませて、賈詡さんと帰る。
それが今回の任務。

茂みから身体を出さないように、慎重に辺りに気を配る。
ふと、どこからか、金属が擦れるような音。
耳を澄ませば、確かに、間違いなくそれは金属が擦れる音だ。
神経を集中する。
風上を確認して、音のする方へ身を進めた。
そっと、茂みから向こうを窺う。
ごく遠くに、人の塊。
目を凝らすと、簡易的なものだけど、幕を張って集まっている人影がいくつも見えた。
手にした得物が確認できる。

間違いない、あれが黒山衆だ。
賈詡さんを呼ばないと。

鳩を呼ぶ。
文を結ぶ必要はない。
すぐに飛ばして、賈詡さんが合流するのを静かに待った。
さわさわと揺れる梢に耳を傾けること暫く。



「やっぱり、あんたと来て良かったとつくづく思うね、俺は」



唐突に振ってきた声。
視線を向けると同時、隣に、私と同じように身を低くした賈詡さんが現れる。
こちらに視線を一度向けてから、すぐに茂みの向こうに視線をやった賈詡さんが言った。



「さて、それでどこから攻めようかね」

「それはまあ、正面からでしょうね。話をしに来たわけですし」

「この場合、正面っていうと」

「…西、ですね」



私は指差した。
黒山衆が陣取っている東側は地形が切り立っている。
とてもじゃないが、あちらからというのは骨が折れる。
開けているのは西だ。

ここはもう、何も考えず。



「正々堂々、正面切る。…が、一番わかりやすいんじゃないでしょうか」

「そりゃそうだ。何て言ったって、こっちは二人だからな」

「はい。流石にあの人数に襲われたら、無傷は無理だと思いますよ。事故は避けたいので、下手にこそこそしてっていうのは、なしですね」

「まったくだ。…いや、待て。あんたなら案外いけると思うがね」



と、真顔を向けてくる賈詡さん。

…そんなわけあるか。
たしかに、やりがいある、とは思ってるけど、わざわざハードモードにする趣味は持ち合わせていない。



「冗談言ってる暇あったら、行きましょう。袁紹軍に気取られる前に、終わらせないと」

「いや、俺は結構真面目に…」

「真面目に冗談言わないでください。そういうのは、郭嘉さんだけで間に合ってますから」



本当に。
冗談なのかよく分からない冗談言うのは、郭嘉さんだけにして欲しい。
間に合ってます。

半ば呆れながら、私は目的の方向へ身体を向けた。
まだ何か賈詡さんは言いたそうだったけど、そこは無視した。



「交渉は、賈詡さんがお願いしますね」



それだけ伝えて、私はひたすら目的地を目指す。
不安も恐怖も、私には無かった。









 * * * * * * * * * * 










が切り込む。

…は、結構いけると思ったんだがなあ。
と俺は思いながら、目前の陣を見据えた。
もともとこうする予定だったから構わんが、その手も案外悪くはない、と頭の片隅で思う。

陣の奥、頭目らしき男一人を目指して、陣中を進む。
堂々と進んでしまえば、意外にも止める者はいなかった。
突拍子もないことをすれば、大抵の人間は思考が止まる。
思考が止まれば当然判断は鈍るし、対応は遅れる。
こと戦において、相手の思考を止めるっていうのは、実に有効な手だ。
そう、常々思う。

突き進む、視界に入る空はどこか重苦しく、吹く風は相変わらずどこか冷たい。
降られるのはごめんだ、とどこかで思った。
ここで降られたら、間違いなく雨ではなく、雪。
任務遂行に支障が出かねない。



「おい、止まれ!商人風情が何の用だ!」



行く手を阻むように男が一人、眼前に立ちはだかった。

やっとお声がかかったか、と俺は息を吐きだす。
は無言のまま、やや後方についている。



「張燕殿と話がしたいんだが」



そう告げると止めに入った男を制して、奥から一人、まっすぐこちらへ歩み出る。

中肉中背。
いかにも、という感じの男ではない。



「俺のことを知っているのか。商人じゃないな。何者だ?」

「俺は賈詡、こっちは。曹操殿に仕えている。単刀直入に言う。次の戦、袁紹の背後を取ってはくれんかね」

「ほう?袁紹を倒すってか。面白い。ならそれだけの力があると見せてみろ。この近くに、根性が試される場所がある。そこで力を示せれば、手を貸してもいいぜ」

「ほう…、それだけでいいのかい?」

「不満か?…単純な話だ。俺たちも袁紹が気に入らねえ、それだけのことさ。ただ、手を貸す相手は選びたい。分かりやすいだろう?」



俺は、張燕の顔を見てから、もう一度口を開いた。



「わかった。力を示せばいいんだな」

「ああ。この先だ。せいぜい、健闘を祈るぜ」



張燕と、その指差す方角を交互に見る。
それから、に視線を向けた。
無言で頷く様子を確認してから、今一度、張燕を見る。



「んじゃ、ま、ちょっと待っててくれ」



それだけ言って、とともに、ひとまず張燕のもとをあとにした。
張燕が指差した方角、西を目指してひたすら歩く。

陣が大分小さくなった頃、が口を開いた。



「案外、あっさりしてましたね」

「ああ。正直、俺も拍子抜けだ」

「はい、同感です。けど、力を示すっていうのは…なかなか単純でいいやら、悪いやら」

「まあまあ、単純ならその方がいい」

「まあ、そうでしょうけど。そんなに腕に自信があるんでしょうか?」

「言うからには、そうなんだろう」



どちらともなく、口を噤んだ。
丈の短い草が、どちらが踏みしめるでもなく、さくさくと音を立てる。
暫くお互い無言のまま、足音だけを聞いていた。

それから間もなく、張燕たちのところと同じような幕の輪郭が、前方に現れる。
こちらの方が幾分、しっかりとした作りのようだ。

隣を歩いていたが呟くように言った。



「うーん。あれですよね、多分」

「だろうな」

「ですよねえ。何人いらっしゃるんでしょう?1人ってことはない、ですよね?」

「一人ならいいんだが、そればっかりは分からんなあ。どっちにしろ、任せた」

「…いや、任されても……」



と、冗談めかしく言い合いながら、また歩くこと、暫く。
幕まであと、四十歩(約60メートル弱)といったところか。

徐に、そこから一人が出てくる。
ほぼ同時に、足を止める。
間髪入れず、俺は声を張り上げた。



「張燕殿から言われてきた。お前さんに力を示せばいいのかい?」



言い終えるや、ぞろぞろと続けて出てくること、四人。
総勢五人の男たちが、得物を手に立っている。
中々に物騒だ。
最初に出てきた男が言った。



「ふん、よそ者が。てめえの根性、見せてみやがれ!」



言って、大斧を手に突っ込んでくる。



「ちょっと!賈詡さん、話通じてないです、この人!」

「そのようだが、倒したもん勝ちだ!!よろしく頼む!」

「え、いやいや、ちょっと!まだ、準備が!」



言いながら、一歩遅れたに向かって男が突っ込んでいく。
しかし、そこは
難なく、一撃目を避けると大斧を振り下ろしたあとの隙をついて、男の後ろ首に肘を一撃突き落とした。
そのまま地面に突っ伏して動かなくなる、男。
恐らく、気でも失ったんだろう。



「あははあ、流石、!立派立派!」

「やるじゃねえかよ。なら、悪いが総出でいかせてもらうぜ!」



言うが早いか、残りの四人が一斉に襲い掛かってくる。
が構えを解かずに、こちらに視線だけやって言う。



「ちょっと!賈詡さん、少しは手伝ってくださいよ!」

「いやあ、俺は力仕事専門じゃないからなあ」

「私も、力仕事専門だった覚えはないんですけど!」

「おたく、やりがいあるって言ってなかったっけ?」

「はい!言いました!確かに言いました!ですけど、意味合いちょっと違いますし!第一、少しは手伝う素振り見せたっていいと思いませんか!?」

「ううん、足手まといになるのは避けたいしなあ」

「ああ、もう!分かりましたよ、やります!やればいいんでしょう!」

「頼んだ!」



言うが速いか、駆け出す

得物は持っていない。
背にした傘―の中身―以外に何かしら持ってたはずだが、素手でいくってことか?
嫌がってた割りには、中々、思い切りのいい…。

を視線で追う。
男たちの攻撃の手を掻い潜りながら、砕棒を振り下ろした男のそれを足場に、駆け上がると同時、その男の顎を蹴り上げた。
動かなくなった男をそのままに、着地したのも束の間、振り抜かれた別の男の大斧を身を低くして躱す。
隙のできた、その足元をすかさず回し蹴り。
体制を崩した男は、受け身も取れぬまま真後ろへ倒れた。
どうやら、打ち所が悪かったのか、男はそのまま動かない。

は、低い体制のまま別の大斧を手にした男に向かって走り出す。
男の間合いまで、あと数歩まで迫る。
そのとき、一瞬だがが何かを拾い上げた。
間髪入れず、足を止めぬまま、何か構えを見せたかと思うと、その目前の男が得物を落とし顔を仰け反らせる。
石でも当てたか、と俺は思った。

は流れるように、仰け反った男の顎めがけて膝蹴りを入れる。
男がその場に崩れた。
残った男は一人。
朴刀を手に、遮二無二、に向かっていく。
はといえば、これ見よがしに、再び拾い上げた石を飛ばす構えをとる。
当然のように、朴刀を手にした男は、先の男の二の舞にはなるまいと、得物を手にしたまま両腕で顔を覆うように防御の姿勢を見せた。
しかし、はそれが狙いだったようだ。
礫は、得物を手にするその指を打ち、そして得物は地面に落ちた。
落ちた得物をが拾い上げ、男の懐に飛び込んだかと思うと、その勢いのまま、得物の柄を相手の首にあて体重を以って締め上げる。
男の身体から、力が抜け動かなくなった。

あの、宛城でのことを思い返せば、当然の結果だと思うが、ここまで見事に五人の力自慢を伸すとは…。
益々、恐れ入る。



「へっ、なかなかやるじゃねえか……!」



砕棒を振り回していた男が、首だけ持ち上げながら、絞り出すように言った。



「意外、意識がまだあったのね」

「こいつを、持ってけ…」



そう言って、男は何かをに向かって放り投げた後、その場に再び突っ伏した。
俺は、に歩み寄りながら、聞く。



「なんだ?そいつは」

「うーん、環貨ですね。手形替わりでしょうか?」

「まあ、持ってけというからには、そんなところだろう」

「なるほど。…完全に意識が落ちていなくて良かったです。賈詡さんに渡しておきますね」

「不幸中の幸いってやつだな」



相槌を打ちつつ、が差し出したその環貨を受け取る。
手にしながら、に視線をやった。



「ところで、あんた怪我はないか?」

「ありがとうございます、おかげさまで無傷です」

「そうかい、そいつは何より」

「ええ。まさか、本当に見てるだけなんて思いませんでした」



恨めしそうに視線を寄越すに、俺は頭を掻いた。



「あははあ!そんな怖い顔しなさんなって。帰ったら、酒でもなんでも奢ってやるからさ」

「………、それだけで済むって思われるのは癪ですけど、言ってもしょうがないので良しにします」

「そいつはありがたい!流石、!話が分かる」



まだどこか呆れ顔でこっちを睨んでくるに、俺は笑い返しながら、張燕のもとへ戻るため踵を返した。
も渋々だが、俺のあとに続く。
張燕のもとまで、約一里。
今のところは降られずに済んだ、と思いながら、さもない話をとしつつ、もときた道とは言えない道の草を踏みしめる。

日が暮れるまでには、なんとか村へ戻れるだろう。
どこからか、狼の遠吠えが聞こえた。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


言葉が出てこない…。




2022.10.29



←管理人にエサを与える。


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