人間万事塞翁馬 101















「賈詡さんと2人っきりで遠出なんて、なんか新鮮です」

「それは同感だ。…ま、これが旅行だっていうなら、もう少し楽しめたと思うんだがね」

「そうですか?私はこれでも十分、楽しいですよ」



そう言って返された笑顔を見て、冗談だ、という言葉は飲み込んだ。
よくよく忘れるが、冗談が通用しない相手だった。
視線を正面に戻しつつ背後の気配を感じながら、俺は肩をすくめた。

お互い、行商に扮して船着き場を目指す。
補足をすれば、俺は”行商見習いの師匠”
そんでもって、その見習いってのはのことだ。
袁紹との戦に備え、黒山衆を味方につける、というのが今回の俺達の大きな目的だった。
といっても、小競り合いぐらいならもう大分続いている。
曹操殿も、近々、官渡へ本格的に布陣すると決めたようだ。

そんな状況下、敵地へ入り込むってことで選択したのが、行商。
まあ、無難なところだろう。
十二分に気をつけなきゃなんないが、余裕があれば”薬草探し”をしながら、敵情視察もしておきたい。
今回は敢えて馬を置いてきた。
なんだかんだ、こっちの方が身軽だ。
そう、身軽…。



「…ところで、。あんた、それで良かったのか?」

「…?えーと、何のことですか?」

「いや、だから、その…」



と、言いかけたその時、周囲の茂みから人影が飛び出してきた。



「有り金全部置いていきな」



一人がそう言った。
ざっと数えて五人。
ただのごろつきだろう。
他に気配はない。
刀(とう)を手に俺とを取り囲んでいるが、隙だらけだ。
呆れつつ、一つ息を吐いた。
一歩踏み出そうとした、その時。
俺より早く、が先手を仕掛けていた。
あっという間に、五人全員がその場に倒れる。
一人の男を足元に、が俺を振り向いて言った。



「とりあえず、気を失う程度にしてますけど…どうしましょう?」

「文でも出してあとは任せる、でいいだろう。俺たちは行商だからな」

「分かりました、飛ばしておきますね」

「頼んだ」



頷いて文をしたため始めるを見てから、改めて地面に突っ伏したごろつきどもを見渡した。
お互い背負っている傘に得物を仕込んであるが、こいつは一度抜けば元に戻せない作りで、最終手段のためのものだ。
荷を改められても、ちょっとのことでは分からんようになっている。

つまり、こいつらは素手のにやられた訳で…。

もう一度見渡しながら、最高の護衛だな、と舌を巻く。
程なくして、が立ち上がる気配に視線を上げた。



「では、あとは斥候と許昌(しろ)の皆さんに任せて、私たちは先を急ぎましょう。あまり治安も良くないことも分かりましたし、暗くなる前に宿を確保したいです」

「そのとおりだ。あんたお抱えの斥候は優秀だからな、安心して任せられる」

「はい。では、急ぎましょう。ここから一番近い村まで、まだ半行程も済んでませんもの。野宿で襲われるのだけは勘弁です」



言って、何事もなかったかのように歩み始めるの背を、今度は俺が追う。

確かにそのとおりだ。
この辺りはまだ、それほど治安も悪くはなかった筈だが、やはりきな臭さを嗅ぎ分けるのが上手い連中っていうのは一定存在する。
逃げる側も、利用する側も。
あいつらは利用する側だが、さて他にどれほどの数がいるのやら。
まだそれほどいないと思いたいが、用心に越したことはない。
それなりの装備で野宿ならまだしも、今は万全とは言えない。
本番前に無駄な体力は消耗したくないし、最終手段を選択するようなこともしたくない。

そんな事を考えていると、暫くして唐突に、が俺を振り向いた。



「すみません、ところで、さっきの話…なんでしたっけ?」



さっきの話…ああ、それか。
半ば俺も頭から抜けかけていたことを思い出す。
一気に思考が、そちらへ戻る。



「ん?…いや、大したことじゃないから、忘れてくれ」

「え、そう言われると、気になるんですけど」

「気にするほどのもんでもないさ」



あんたも気にしてなさそうだし。

声には出さず、笑って誤魔化した。
はまだ、抗議の声を上げていたが、適当に誤魔化す。

いや、なに。
本当に大したことじゃないんだ、これが。
の短くなった髪に視線を向けながら、ますます身軽だな、と頭の片隅で思った。

視界に入る空は、ただただ青かった。









 * * * * * * * * * *











ここは、汜水関西の村。
許昌から約30km離れた場所に位置する小さな村だ。
ここから船着き場までは約10km、徒歩で2時間ぐらいってところかしら。

日が暮れる前に宿も確保できた。
残り1室に滑り込みセーフみたいな感じだったけど、結果オーライ。
あと2時間もすれば灯りなしでは歩けなくなる。
余裕を持たせた目標のクリアっていうのは、いいことだわ。

2階の部屋から窓の外を見る。
葉の落ちた木々の間から、ところどころ雪の積もる、荒れた土地が見える。
視認は出来ないが、黄河は目前だ。
袁紹軍との小競り合いは日を増すごとに増えているし、規模も段々と大きくなってきている。
無事に黄河を渡れたとして、それ以上に油断はできない昨今の事情。
検問に引っかかることだけは避けたい。

冷たい風が吹き込む。
風邪をひいたらいけないと、窓を閉めた。



「目ぼしいものは見えたかい?」



直後、背後からの声に振り向く。
賈詡さんが片手鍋を手に、後ろ手に戸を閉めた。
鍋の中には炭。
部屋の隅に置かれた火鉢へくべるものだ。
その火鉢へと、賈詡さんが足を向ける。
その様子を見ながら、私は言った。



「いえ、特には。…炭、ありがとうございます」

「あははあ!礼は結構。俺にも必要なものだ」



言いながら、赤々と燃える炭を火鉢へと移す。
ふと、賈詡さんが顔を上げた。



「それよりも、同室で良かったのかい?」



思わぬ質問に、意図せず数回瞬いた。

異なことを。



「一部屋しか空いてないんですから同室以外選択肢が無いと思いますが?」

「いや、そういう事じゃなくてだな」



と言われて、そう言うことかと、ぴんときたけど、それこそどこで誰が見てるか分からない。
勿論、誰が聞いているかも分からないわけで。

私は冗談めかしく返す。



「まるで私が女のような言い方ですね、師匠(せんせい)。これでも気にしてるんですから、それ以上からかわないで下さいよ」

「……、悪い悪い、冗談だ。疲れてたんで、魔が差したんだ」

「そうでしたか!それなら、活力丸、一粒いかがですか?売り物ですけど」

「それこそ悪い冗談だ」



そう言って、賈詡さんは後ろ頭を掻いた。
私は笑い返しつつ、賈詡さんが炭をすべて移し終えたのを見計らい、足を向ける。



「その鍋、私が返してきます」

「いや。暗くなるまで、まだ時間がある。一商売といこう、疲れを理由に腑抜けるわけにはいかんからな」

「そうですか?分かりました。では、準備します」



鍋を返すついでに、賈詡さんと下へおりるため―いや、この場合は鍋を返すのがついでかな―、私は荷をまとめる。
一休みしてから商人ごっこをするのかと思ったけど、そこは賈詡さんと考えが違ったらしい。
けど、それはそれ。
気合い入れて、商売商売。
情報も仕入れながら、路銀も稼いで一石二鳥。

…まあ、お金はちゃんと持ってるんだけどね。

それから、ほどなくして外に出た私たちは、適当に商売をし、いいところで切り上げて宿屋1階の酒家で夕食を済ませた後、寝床についた。
勿論、お風呂なんて大層なものにはありつけなかったけど。
たらいで流すぐらいはできたので、まずまずね。
どこでって?
それはご想像にお任せします。

固くはないが、柔らかくもない布団で欠伸を一つ、かみ殺す。
明日は早い。
寝られるときに寝る。
これ、ここでの鉄則。

虫の音も聞こえない静かな夜。
窓から月明かりが差していた。










 * * * * * * * * * *










黄河。
この河の水はいつも濁っていた。
見た目よりも、ずっと流れは速い。
渡し船は、流れの緩やかな所を選んで進んでいるが、それでも速い方だ。
日が昇り始め、辺りが白んだ頃を見計らって、宿を出た俺とは今、船の上にいる。
小さな船だ。
もし、水に飲まれでもしたら、この河ではひとたまりもない。
向こう岸まであと半行程といったところか。
時間にすれば、そう長くもない。

水音に耳を傾け、暫く。
対岸の船着き場に、船が到着した。
船体が、船着き場の板場に当たる度、ごんごんとどちらともなく音を立てた。
運賃は先払いだった。
が船頭と、二言三言、言葉を交わして船から降りる。
先に降りていた俺は、傍らに駆け寄ってきたに視線を向けた。



「話は済んだかい?」

「はい。活力丸、お買い上げいただきました。最近、お疲れなんだそうです」

「そうかい、それは結構」



ごしに船頭と目が合ったので、笑い返しつつ手を振っておいた。
何て言ったって、今、俺たちは商売―任務―の只中だ。
怪しまれんように、愛想は良くしておくことに越したことはない。



「さて、では行くとしますか」

「はい。船頭の話によると、この先、半刻ほど歩いたところ、関所の向こうに村があるそうです」

「その関所ってのは、壺関か」

「恐らく。そして、その村がひとまずの目的地、ですね」



そう返したの言葉に、俺は笑い返すだけに留めて、道を進んだ。
が俺の後ろをついて歩く。
昨日と打って変わって、空は、どんよりとした雲に覆われていた。

そうして、黙々と街道を歩くこと、約二刻。
途中、休憩をはさみつつ薬草を調達しながら、壺関を怪しまれずに通過―といっても、多少の問答と簡単な荷改めはあったが―。
目的の村に、目視で確認できる距離まで近づいたころ、俺は足を止めずにを振り返った。



「やっと到着だ。収穫があるといいんだがね」

「ないと困ります。大体の場所の目星はついてますけど、詳しい場所まで分かりませんし、第一、移動するでしょう?」

「まあな。だから、情報収集の必要がある」

「はい。ここまで来たんです、手ぶらでなんて帰れません。何より、これ…賈詡さんの提案でしたよね?」

「ああ、勿論。そして、これは、あんたとじゃないと成功しないと思っている。勘だがね」

「結構です。奇策は賈詡さんの得意分野ですもの。まさかこんな突拍子もない事、相手も考えないでしょうし。やりがいはありますね。…その、勘っていうのはイマイチよく分かりませんけど」

「あははあ!それは頼もしい限り…ま、あんたもどちらかといえば勘を頼る方だろう?そういうことだと納得してくれたら、助かるねえ。…、という訳で、無駄口はこのぐらいにして、そろそろ商売といこうか。お客様のお出ましだ」



村の入り口まで、約半里―220メートル弱―。
村人だろう、数人がこちらを見ている。
情報じゃ、この辺りを行き来する商人が減ってるって噂だ。
きな臭い所へ迂闊に行って、命取られたら堪ったもんじゃない、というとろこだろう。
そりゃま、そうだ。
命あっての物種。
一勝負出るやつもいるだろうが、そう多くもないはずだ。
そんなわけで、欲しいもんが手に入らない村人にしてみれば、現れた見るからに行商なんてのは願ってもない来訪者。
そこに便乗して、情報収集。
あとはお目当てのものが手に入れば、重畳。

村に着くと、思っていた以上の人だかりだった。
薬以外に、素材やら貿易品やらが売れていく。
当然だが、嗜好品よりは生活必需品に近いものがあっという間に無くなった。
売りさばきつつ、怪しまれない程度に辺りの様子を窺う。
巡回の兵士がいないか、確認しておくことに越したことはない。
も村人と笑顔で話をしてはいるが、俺と同じように気を配っているであろうことは想像に難くない。

そして、幸い、そのような兵士もいないようだった。
巡回に回すほど、まだこの辺りの警戒は”それほど”厳しくしてはいないということだろう。
そういうことならば、願ったり叶ったり。
もちろん、そこは事前に探りを入れてから来ているが、外れることだってある。
そう考えれば、今は最高の機会というわけだ。
といっても、鄴から近い立地だ。
のんびりしていられるのも時間の問題だとは思うが。

意識をの方へと向けると、順調に目的の情報を聞き出しているようだった。
さて、俺も仕事をしますか。



「ところで、この先の鄴はどんなかねえ?」



傍らの壮年の男に聞いた。
男は、こちらを振り向くなり、首を横に振る。



「ああ、駄目駄目。最近はめっぽう取り締まりが厳しくなって、他所者には特に厳しくなってるよ」

「へえ、そりゃあ、そうかい。袁紹様はそんなに警戒を」

「ああ。俺らにはよく分からんが、南の訛りを話すやつは、片っ端から捕まってるって話だ。ちょっと前にも、他から来た商人が色々いちゃもん付けられて、売り物全部取られちまってた。あいつは気の毒だったなあ」

「ははあ、そりゃあ、厳しい!商売上がったりだ」

「いやいや、商売だけならいいが、そのうち罪のない商人たちがやられちまわないかって、冷や冷やもんさ。そうなりゃ、ますます必要な物が手に入りにくくなる。だから、俺たちも困ってたんだ」

「なるほど、なるほど」

「いやあ、ほんと、あんたたちが来てくれて良かったよ。薬草採りに行くったって、狼は出るわ、賊は出るわで、俺たちにはどうしようもできないしなあ」

「そりゃあ、まったくだ。ま、おかげでこっちは売り物全部お買い上げ頂いたんだ。これはこれで、有難い話だ。貴重な話まで聞けたし、鄴に行くのは、後回しだな」

「ああ、それがいい。このまま引き返すか、鄴には寄らずに、その先の村を目指した方が賢明だよ、兄さんたち」

「そうかい。なら、そのどちらかにするとしよう」



そこまで話すと、男も愚痴を話せて満足したのか、手を振って去って行った。
の方も、粗方の情報は聞き出せたようだ。
ならば、ここらでお開きとしますか。
村人たちも、目当てのものが手に入ったのか、疎らになってきている。
あっという間に売るものがなくなったが、ま、いいとしよう。
ひとまずの目的は果たせたのだから。



「ほいほい、ここらで仕舞いだ。今後とも、ご贔屓に」



手を打ちながら告げる。
引いていく村人たちに笑顔を返しながら、手を振った。



「このあと、どうしますか?」

「ふむ。村(ここ)で一泊するか、先を急ぐか、ってところだが」



こちらへ視線を送るに、俺も腰に手を当てながら視線を返す。
が言った。



「なら、間を取って、素材集めなんてどうですか?北西の森には、中々珍しいものが揃ってるみたいですよ。その代わり、最近は黒山衆とかいう賊が根城にしているっていう話ですけど」

「黒山衆、ねえ。……、売り物も今はなし。やばそうだったら逃げるってことで、それなら一山当てに行くとしますか」

「ちなみに、村の人たちには止められてますけど…いいんですか?」

「先に言い出したのは、おまえさんだろう」



が笑みを作る。



「それもそうでした。まあ…、そのあたりは、師匠の運に任せますよ」

「あははあ、結構結構。これでも割と運は強い方でね」

「同意します」

「運も実力の内。腕の背見どころってやつだ」

「是非、お願いします。師匠」



が、にこりと笑顔を作る。
女と怪しまれない程度に、性別不詳だ…と改めて思う。
大体、俺が騙されるのはこれが初めてでもないしな。

一通り話してから、俺たちは荷をまとめた。
まだ日も高く、巳刻を回ったぐらいだろう。
うまくすれば今日中に形を付けられる。

村を後にする際、村人数人が、聞き耳を立てていたのか止めに追って来た。
随分、気を遣ってくれるもんだと、他人事のように思う。
適当に愛想を振り撒いてから、暗くなるまでには戻ると言い残した。
そうでもしなけりゃ、はなしてくれそうになかったからだ。
ここに戻るってのは少々面倒だと思いながら、気を取り直して足を動かす。

遠すぎなけりゃいいが。

厚い雲を一度仰いだ。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


各地点間の距離はゲーム数値を参考にしてますが、ちょっと近すぎでは…?となったので、こちら都合で、ゼロを1桁多くしてあります。
勿論、リアルの距離でもないです。
悪しからず。




2022.10.05



←管理人にエサを与える。


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