人間万事塞翁馬 95















「でねでね!ばっとやって、しゅって!!ほんとに、すごかったんだから!ねえ!もう、みんな聞いてる!?」



その"みんな"は、一様に苦笑いを浮かべていた。
数秒して、周瑜さんが言った。



「勿論だ、小喬。みな、小喬が無事で安心している」

「そうじゃないの、周瑜さま!が凄いって、あたしは言ってるの!」



折角、話を逸らそうとした周瑜さんのそれも、彼女には効かなかった。
見かねた様子で、大喬さんが言った。



「小喬、それも皆さんに伝わっているわ。それよりも」

「なあに?お姉ちゃん」

「そろそろ様から離れた方が…」

「どうして?」



と、彼女は小首を傾げた。
私の腕にしがみついたまま。

そう、ずっとしがみついたまま。
周瑜さんが旦那さんよね?
と疑問が湧くぐらいに、ずっとくっついている彼女は、まだ離れる気配なんてなかった。
微塵も。
同じ話を身振り手振りで、この状態のまま一体どのぐらい経ったのかしら…。

彼女は、彼女の目の前を首だけ動かして見渡したあと、不意に私へ顔を向けてからまた、小首を傾げた。



「嫌?もしかして、あたし、邪魔?」

「いいえ。差支えなければ、このまま軍議を進めても?」

「あたしは全然!だいじょーぶだよ!みんなも気にしないでね!!」

「もう…小喬ったら…」



大喬さんが一度、頭を振った。
ほぼ同時に、周瑜さんが咳払いをする。
太陽は南中を過ぎているけど、まだ日は高い。
困惑した様子の空気感はそのままに、周瑜さんが言った。



「改めて、今後の動きを確認しよう」



そう切り出して、寿春までの行軍経路を地図で示し始めた。

ここまでは順調だった。
大喬さんと補給部隊の救助に成功してから、建業へ入ったころには、既に周瑜さんたちは袁胤を追いつめていた。
敵軍は総崩れだ。
袁胤を捕えることもできたが、そこは敢えて逃した。
その方が、敵の士気を更に崩せるだろう、という読みからだった。
程普さんははじめ、いい顔をしなかったけど、それからすぐに首を縦に振った。

それから、何やかやで後始末をしたり、次の準備を整えたりして、今に至っている。
この場に揃っているのは、大喬さん、周瑜さん、程普さん、黄蓋さん、太史慈さん、そして孫策さん。
ここに居ない人たちは、他の準備をしている。



「…そこで、軍を二手に分ける。即ち、寿春の東方へ黄蓋殿、韓当殿、太史慈。西方へは、孫策、程普殿、殿、それから小喬と私だ」

「やったぁっ!あたしも一緒に行っていいんだね!えっへへ!」



そう言って嬉しそうに笑って見せる彼女に、周瑜さんが密かに溜息を吐き出したのを、私は見逃さなかった。

…まあ、さっきまで色々あって、彼女が強引に連れてけって……、想像できるような出来ないような駄々をこねてたんだけど…。
これって…アリ?大丈夫なのかしら?

そんな別のことを考えながら、後詰に孫権さんと周泰さんがつくという話まで終わって、いよいよ進軍のため各々の持ち場へと散った。
始終、孫策さんが珍しく何かを考えている様子で上の空だったけど、とりあえずはいいでしょう。
今は兎も角、郭嘉さんへ行軍のことを伝えないと。
けど、その前に。



「小喬さん、そろそろ…」

「あー!もう!違うの!!!小喬でいいって、何回言ったら分かってくれるの!?!」

「えーと、でもね…」

「でもじゃないの!」

「……、…」



ちょっと離れたところからの周瑜さんの視線が痛い…。
警戒されているのか、嫌われているのか…。
勘違い、ならいいんだけど。
それとも…。

ふ、と過去のことを思い出す。
髪をバッサリ切った、あの日のこと。

…いや、まさかね。
周瑜さんに限って、流石にそれはないでしょ、それは。
うちの上司ならまだしも…。
それに今、私、髪長いし。

だけどこれでは拉致が明かない。
嫌ってる人間に、自分の愛する奥さん呼び捨てにされるのって気に入らないとは思う。
そして何より、やっぱり立場ってものを考えるとどうなの、とも思ってしまう。
けど…どっちにしろ、既に尚香のことは、尚香で通しちゃってるし。
立場って…なんかもう、今更なのかしら。
そうなると、もうヤケクソよ。

と思ったのも束の間。



「小喬。殿にもすべきことがある。そろそろ私の手伝いをしてくれないか?」

「え!?周瑜さまの?やるやる!やるよ!あたし、手伝う!」



ナイスタイミング?で周瑜さんの助け舟…かは分からないけど、ともかく、助けが!
これで解放される、色んなものから、と思っていると…。



が私を小喬、って呼んでくれたらね!」



思わず彼女を見たのは言うまでもない。
周瑜さんまで目を見張った。

…ほら、やっぱり何か…呼ぶの引けてくるよ…。
さっき決心しかけたけども。

そんなことを思っている私や周瑜さんに構わず、相変わらず彼女はキラキラした目で私を見上げている。
満面の笑みで。

3秒で、私はすべてを諦めた。
人間、諦めが肝心…な時もある。



「小喬、いってらっしゃい」



いっそもう、笑顔で送り出せばいいじゃない。
変わらないわよ、色々。

そして、さらに顔を輝かせた小喬が元気よく頷いた。



「うん!!行ってきます!…それじゃ、周瑜さま!行こう!!」



と、ぱっと私から離れた後、今度は周瑜さんの腕を引っ張って元気よく去って行った。
それを見送ってから、私は郭嘉さんに宛てて、手紙を送った。
行軍の内容を例のごとく、かな習字で。
…本当今でもつくづく、怖い上司だわって思うわ。
吸収力ありすぎでしょ…。

手紙はホークに託した。
ここでは、ホークにしかお願いしていない。
手の内全部見せるのって、今後のことを考えると、リスクしかない気がするのよね。
だから、鳩も使えるっていうことは見せてないし、話してないし、寧ろ伏せてる。
強いて付け足すなら、ホークで目晦ましぐらいの攻撃ができる、っていうことは知られている。
滅多に使わないけど。

そして他に伏せてること言えば…。

1人だけ、動いてもらってる、ってことかな。
多分、まだ気づかれてないと思う。
まあ、大した事はお願いしてないんだけど。
小喬助けに行くときに、ちょっと先回りしてもらってたぐらいで。
なんの違和感もなく、現地人みたいに溶け込んじゃうの、流石だわーって思うわ。

ほんと、ここの人たちって、総じてスキル高いわよね…。
環境、なのかしらね。
どっちにしろ、バレたらバレたで問題になりそうだけど。
手は打ってあるから、とりあえずは大丈夫。

ふと、ホークの飛んでいった方角に視線をあげた。
なんの脈絡もなく、文則さんの顔が浮かんだ。

そういえば、こんなに会わずにいるのって久しぶりかも。
っていうか、文則さんや伯寧さんや、他の皆が誰もいない”一人”がこんなに長いのは、初めて…かもしれない。
と思ったら、急に皆に会いたくなった。
文明の利器はここにはないから、声すら聞けない。
そう思うと、更に無性に会いたい。



「…そうじゃないでしょ、私。仕事、仕事。今は勤務中よ」



一度、頬を両手でパチンと挟んだ。
小気味のいい音が響く。
それから、思い出したように蝉の鳴き声が耳に届いた。
そういえばさっきから蝉が鳴いていたんだ、と私はやっとそこに気づいて、暫く耳を傾けた。









 * * *










建業を出てから二日目を迎えている。
今は長江を渡る船の上だ。
着岸してからの行程は、どんなに短く見積もっても五日…いや、六日はかかるだろう。
だが、殿からの情報によれば、それで十分、曹操軍との挟撃の頃合いは間に合うという。
どうやら、彼女のもたらす情報を主に、曹操軍も動いているようだった。
当然と言えば、当然か。

何とはなく甲板に出ると、程普殿と殿の後ろ姿が視界に入った。



「お二人とも、何を話されているのですか?」



ほぼ同時に、二人がこちらを振り返る。
船を出してから、半々刻ほど経っただろうか。
大分、対岸も近づいた。
多少、流れに逆らって航行しているため、時間がかかるのは仕方がない。

程普殿が言った。



「周瑜か。…何、ということもない。他愛のない世間話をしていた」

「そうでしたか」

「小喬は、一緒ではないのですね」



世間話などと、珍しいこともあるものだと思いながら程普殿に返すと、辺りを一度見回してから、殿が言う。
一度、彼女と視線が合った。
それから、私は彼女に言った。



「小喬は今、中に籠もっている。今回が初陣だという兵士が一人、船に酔ったと…極稀に酔うものが居る」

「それは大変…」

「人手は足りている…それに、もう暫くもすれば着岸できるだろう」

「それなら、一安心ですね。お任せしましょう」



そう言って、彼女は満面の笑みを浮かべた。
甲板を流れる風は涼を取るにはいいが、些か強い。
彼女の抑えた手から溢れた髪が、時折強く、はためくように線を描いた。

――彼女は時に、こちらの判断に迷う反応を返す。
色々考えた末、思考をめぐらすことを止めた。
…こと、彼女に対してだけは。

そんな彼女に、私は問う。



「ところで、つかぬことをお聞きするが、殿は、乗船の経験が?」

「はい。それほど多くはありませんが、数回…海へ沖釣りに」

「海…、それは酔わぬはずだ。この程度の揺れでは、比べるに値しない」

「周瑜さんも海へ出たことが?」

「…いや。ただ、波を見れば一目瞭然。必要がなければ、船を出すこともないだろう」

「たしかに。…そうかもしれませんね」



それから一拍ほどおいて、程普殿が咳払いをする。
視線を向けると、言った。



「急用を思い出した。我輩は失礼する」



間髪入れず、その場をあとにする程普殿の背に、私は問いかけた。



「程普殿、どちらへ?」



足を止め、しかしこちらを向かずに程普殿が答える。



「孫策殿のもとだ」



それからまた、歩みを再開して去っていくその背を見送った。
見えなくなってから振り返る。
再び、殿と視線が合った。



「すまない。どうやら、お二人の邪魔をしてしまったようだ」

「いえ。どうぞ、お構いなく」



先まで、程普殿がいたその場所へ進み、殿と並び立ち、彼女を見る。
私に視線を向ける彼女は、やんわりと微笑んでいた。
正面へ視線を戻す。
水面から魚が飛び上がった。
鯦(じぎょ)だろうか。
この時期に多く見られる魚だ。
聞けば、海から遡上してくるようだが、晩秋には姿が見えなくなる。
まるで、その時期にしか見れぬ、渡り鳥のように。

暫く黙ってから、私は視線をそのままに、言った。



「改めて、貴女に礼を言いたい。殿」



視線を感じてから、そちらを見る。
どこか意外そうな、そんな気持ちの読み取れる表情を浮かべていた。
何故か、こちらの心がほぐれた気がした。
彼女を見て言う。



「意外、だろうか?…小喬のことだ。貴女のおかげで無事だった。此度のことも、殿がいればこそ、安心して共に行けるのだろう」



思わず表情が緩んだが、気にはしなかった。
今だけは、互いの立場など忘れておこう。

殿は一度、首を横に振った。



「いいえ。小喬が安心できるのは、傍に周瑜さんがいるからでしょう。…、ですが今は難しい話は無しにしましょう」



そしてまた、微笑んだ。



「どういたしまして、と申し上げます。当たり前かもしれませんが、小喬のことを、とても大切にされているんですね」

「……、殿…。貴女は、何というか…不思議な方だ。同盟の使いとしてここへ来たのが、貴女で良かった」

「周瑜さんこそ、不思議なことを仰るんですね。誰がここへ来ても、変わらなかったと思いますよ」

「いや。小喬があそこまで懐くことは、殿でなければ無かっただろう」

「…、それは、確かに…自分で言うのもなんですが、そうかもしれませんね」



苦笑いを浮かべる彼女を見て、私は肩の力を抜きながら息を吐き出した。

警戒は、無論している。
それは事実だ。
だが、それとは別に何か、心を許してしまいたくなる何かがあった。
それは、小喬に抱く気持ちとは全く違うものだ。
同盟者。
それ以上の何か。
彼女の故郷には戦が無かった、ということを彼女の口から聞いている。
それは、私のみならず、程普殿や孫策、孫権殿や義姉上も、だ。
正確に言えば、孫策が問うたからこそ、聞けた事実。
それ故の、何か、なのだろうか。
戦のない世など、想像したくても出来ない。
故に、それ故、と思わざるを得ない。
しかし同時に、戦のない故郷(くに)から、この地へ流された彼女は今、何を思い、何を感じているのだろうかと思う。
それもまた、私には想像できぬことだった。

間もなくして着岸、下船した我らは皆、寿春を目指して行軍を始めた。
少なくとも、殿個人に対しては親近感すら抱いているが―彼女が同じように思っているのかは別として―、寿春の先にある思惑に変わりはない。
先を見据えれば、変わるはずなどあり得なかった。
それ以上は考えられなかった。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


久しぶりにゲームやり直したら、なんか微妙に違うところを発見…
…まあ、いいか
見なかったことにしよう←←


2020.02.10



←管理人にエサを与える。


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