人間万事塞翁馬 91















城の回廊をいつもと違うルートで執務室(へや)を目指す。
用事を済ませて戻る途中、たまには気分転換、と思いながら人気のまばらなその回廊からふと空を見上げた。
そろそろ立夏を迎える時分。
八十八夜も過ぎて、目に映る新緑が眩しい季節。
強く風が吹いた。



「んー、いい天気だけど…今日は風が一段と強いなー…」



と、私は誰にともなく独りごちて、横髪をおさえた。
思わず止めた足を再び動かし、不意に思い出す。

数ヶ月前の一件以来、李典さんとまともに会話をしていない。
…というか、李典さんが私を避けている…ように思う。
城(ここ)で会っても、練兵場で会っても、鍛錬場で会っても、馬場で会っても、それこそ街中で遭遇しても、すぐ目を逸らされる。
いや、気にはしてないんだけど…仕事に支障が出なければね。
因みに今の所、支障はない。
原因は何となく分かる。
けど、原因が何となく分かっても、私にはどうすることも出来ないし…。

『あいつは、あんたを苦しめた陳宮や呂布の仲間だったんだぞ』

…確かにそうなんだけど、当事者じゃないもの。
張遼さんが私にそれをしたわけじゃない。

『あんたはいいよな。直接、復讐できたんだからさ』

…まあ、そう見えるよね。
否定はしない。
ただそれを、李典さんに言われると、私からは何も言えないな。



「はあ…どうしたもんかしらね」



思わず、ため息と一緒に漏れた。
変に気負いしているわけじゃないんだけど、やっぱりちょっと、何か気が晴れないのよね。

あの日、腕を引っ張られて連れてかれた場所には楽進さんも居た―たまたま居合わせたって感じだった―んだけど、李典さん言うだけ言ってどっか行っちゃったし…。
けど、ともかく私からフォローなんて出来る状況じゃなかったから狼狽えてる楽進さんにお願いして、後追ってもらったりして。
後日どうなったか、それとなく楽進さんに聞いたけど、首を横に振られちゃったわ。

時間が解決…してくれるかなあ…。

そう思いつつ顔を上げたとき、視界の端に女官さんの姿。
知り合いではない。

大きな木を見上げて何かしている。
気づいてよく見ると、木の枝の間から白い何かが見えた。



「もしかして、洗濯物でも飛ばされたのかな?」



と思い至った私は、その一人の女官さんのもとへ足を向ける。
回廊を抜けて、中庭へ。
距離が近づくにつれ、確信を得る。
やっぱり、洗濯物飛ばされたんだ、と。
もうそれとすぐわかる、白い手拭いのようなその布切れは何に使うものか、女官の仕事のすべてを知っているわけではない私には検討もつかないが、それでもそれが手元に帰らないままではやっぱり困るだろう。
木を見上げ途方に暮れる女官さんの横をすり抜けて、私は一歩踏み込んだ。
勢いのまま、幹を一蹴りして太めの枝に手を伸ばす。
前回りの要領で枝に乗ってから、枝先に引っかかっていた布に手を伸ばした。

我ながら、本当常人離れしたな。

と内心思いながら、枝から飛び降りて女官さんに歩み寄る。
ぽかんとしてるその彼女に、布を差し出す。



「はい。今日はほんと、風が強いものね。お疲れさまです」

「…あ、え、と……はい、その、ありがとうございます!」



そう言って、勢いよく頭を下げる彼女を見て、私はふっと息を吐き出した。
間もなく顔を上げたその人が、それでも遠慮がちに布を受け取る。
頭一個分背の低い彼女は上目遣いに私を見てから、どこか恥ずかしそうに目を逸らして、それからもう一度勢いよく頭を下げた。
そして私に背を向けると、持ち場へだろう、一目散に駆けていく。
それを私は見送りながら、無意識に頭の後ろに手を当てた。



「私も戻ろう。まだ仕事残ってるし」



呟いてから一歩踏み出したその時、今日一番の強い風が吹いた。
突風に煽られて飛んできたらしい砂埃が、あろうことか目に入る。
普通に痛い。
風に顔を背け、手で影を作りながら目をきつく瞑る。
数秒、風がやみ始めたのを確認して手を下ろし、ほんの少し屈めた身体を起こした。



「うう、目にゴミが入ったみたい…痛い…」



そんなことを呟いたその時、背中に何か、重くもなく、かといって軽くもない、なんとも言えない衝撃を感じた。
それは、何かがぶつかったとか、そういう感触ではなくて言うなれば、何かが落ちてきて当たったような感触。
そして、それは経験のある何かだった。

そう、それは思い出したくもない――。
向こうにいた頃、じいちゃんちの庭で同じ様に大きな木の下を歩いていたとき。
たまたま立ち止まったときに、今みたいな強い風が吹いて、そのあとそれは起きた。
その感触は数秒待っても消えなくて、何となくそれが上へ移動する感覚もあり、違和感を覚えながら身を捩って背中を見たんだ。
そして、なんの前触れもなく行き成り眼の前に現れた、ソレ。

そこにいたのは、とてつもなくデカい、芋ムシ…。
私、土いじりするけど、あまりデカい奴らは得意じゃないっていうか、全然駄目なのよね…。
あれだけは駄目なのよ。
そして、やっぱり今起きたその違和感は今も背中にある…気がする。

…気のせいだと言って……。
そう、気のせいよ、きっと。
絶対、気のせい。

と無意識に青空を見上げていた視線を、恐る恐る徐に、私は背中へと向けた。

ああ、ほら…気のせい。
気のせい…。
気のせい。

その後の一部始終を私は覚えていない。










 * * * 










「…確かに、その方が効率は良さそうです」

「だろう?ううん、やっぱり進言してみるべきかな」



と、俺の目の前で満寵殿が顎に手を当て天井を仰いだ。
ここは満寵殿の執務室だ。
今抱えている案件の一部について、参考のために助言を乞いにここへ来たが、いつのまにか別の話題になっていた。
話が一区切りついたところで、そろそろ戻ろうと思ったその矢先、唐突に耳に届く女性の悲鳴。
思わず、満寵殿とほぼ同時に顔を上げ、開いたままの戸の向こう、回廊へと視線を向けた。
疑問が口をついて出る。



「今の悲鳴は?」

「分からない。女官だろうけど普通じゃないね…ともかく、行ってみよう。ここから近いみたいだ」

「そうですね」



満寵殿と顔を見合わせてから房を出た。
白昼堂々、しかも宮城へ何者かが襲撃したとでも言うのだろうか。

回廊を満寵殿と駆けていると、文若殿と出くわした。
わずかに、だが表情が硬い。
理由は俺達と同じに違いない。
足を止めずに文若殿が言った。



「お二人も今の悲鳴を?」

「勿論さ。だから何があったのか確かめに向かっている。荀ケ殿も同じだろう?」

「はい。おっしゃる通りです」

「白昼堂々、女官を襲うなんて…意図が全く分からないが、行けばわかるだろう」

「…だと、いいのですが」



と、今度は俺が満寵殿に相槌を打ちつつ回廊を駆けること間もなく、視界の先にうずくまる人影を確認して俺たちはそのまま中庭へ出た。
そして、近づくその人影が見知った人物であると気づき、思わず声が漏れる。
意図せず、俺達三人の声が重なった。



!?」
「「殿!?」」



その声に気づいたのか、殿が顔をあげると一拍間を開けて、こちらへと駆け寄る。
そして数歩、俺と文若殿よりも先にいた満寵殿に、なんの前触れもなく勢いよく飛びついた。
思わず足を止めたのは、文若殿も、当の満寵殿も同じ。
意味のわからない俺達に、いや、きっと誰に対してでもなく、殿は取り乱した様子で言った。



「お願い、取って!取って取って取って取って取って取って取って取って取って!早く取って!!」



その必死さが伝わってくる様は、とても普段知っている殿と到底結びつかない。
そして更に言えば、その理由がまるで分からなかった。
満寵殿の影に隠れている彼女の様子はよく分からないが、ただ異常な程狼狽えている、ということだけは確かだろう。

それを見ていることしか出来ない俺達の目の前で、満寵殿が困惑したように言う。



「と、取ってって…一体、何を…」

「何でも!早く取って!お願いだから早く取って!取って!!取って取って取って取って取って取って!!!お願い!!!!」

、まずはちょっと落ち着いて…」



と二人の会話を聞きながら、俺は思わず文若殿と顔を見合わせた。
再び視線を戻すも、依然、殿は満寵殿にしがみついたままだ。

――と、その時、何かに気づいたらしい満寵殿が声を上げた。



「ああ、なんだそういうことか…はい、取ったよ。ほら」



数拍置いて、殿が身体を起こす。
そしてまた数拍後、声を上げた。



「…、いやあああ!お願いだから、見せないでっ!!!」



再び顔を伏せ満寵殿にしがみつくその様に、複雑な心境になる。
直後、隣に立っていた文若殿が満寵殿に向かって言った。



「満寵殿、いったい…」

「何、なんてことはない。これさ」



と言いながら、何かを見せる。
それは、指につままれた三寸―約7.2センチ―程の…。



「いも…」

「むし…、ですか」


文若殿に続いて、思わず呟いた。
黄緑色のそれは、確かに見事な大きさだ。
満寵殿につままれて、抵抗するように動いている。

はたと気づくと、郭嘉殿と賈詡殿がそこに立っていた。
どの時点からそこにいたのか、賈詡殿が関心した様子で顎に手を当て言う。



「あははあ!まさかあの呂布へ平手を食らわせたにこんな弱点があったとはね!」



しかし、殿はそれどころではない様子で…。



「早くそれを捨てて!!どっかやって!視界に入れないで!!!」

「はは、ごめんごめん。…はい、もうないよ。これでいいかい?」

「……、…あ、ありがとう…」



と、消え入りそうな声で礼を述べてから、やっと落ち着きを取り戻したらしい殿が徐に満寵殿から離れる。
二人から少し離れた先に大きな木が一本立っているのが見える。
枝葉が風に揺れている。
となれば、恐らくそこから落ちてきたものか。

やや強い風が吹く中、数拍置いて文若殿が殿に問うた。



「ところで…、殿は畑仕事をなさいますよね?」

「…いいんです、それは小さいから」



意を解した殿が間を開けずそう答えたので、今度は俺がそこに続けて質問した。



「大きさが問題なんですか?」

「大・問・題、です!」



そう、想定外な強い語調に内心驚くと同時に、まだ知らない殿の一面があったのかと、どこかで思う。
そして、思っている間にも殿が誰にもとなく、先を続けた。



「そもそも既に蛹になる能力を有しているのに、どうしてあんなサイズまで成長するのかしら。絶対3齢は迎えているじゃない!いつでも成虫になれるんだから、さっさと変態して蝶にでも蛾にでもなってしまえばいいのよ…いえ、そりゃまあ、私だって苦手意識を克服しようと思って色々調べたりはしたわ」

「調べたって…芋虫をかい?」

「勿論。相手のことを知らないままじゃ駄目だと思って、図書館に足を運んで図鑑で生態を調べたり、飼って観察してみたり、写生してみたり、流石に解剖はしませんでしたけどホルマリン漬けの標本を見せてもらったり、ともかく調べられることは調べてみました。けど、結局効果なくて寧ろ……ああ、だめ…思い出してきた、気持ち悪い!」



と語っている内容の一部に未知の単語も含まれるが、それでもどこか呆れるほどの徹底ぶりに、流石殿だと思ったのは、俺だけではない筈だ。
事実、満寵殿は後ろ頭に手を当てて中空を見上げている。
再度、文若殿と顔を見合わせると視界の端に郭嘉殿が入った。
常時と変わらない様子で腕を組むようにしながら、口元に手を当てている。
賈詡殿が腕を組みながら言った。



「ふうん、意味がわからない部分も一部あるが、その心意気には敬服するね。しかし、こいつがそんなに苦手かい?」

「!!!いやあああ!どっか捨てて!拾わないで!見せないで!お願いだから近づけないで!!」



いつのまに拾ったのか、満寵殿が捨てたはずのそれを賈詡殿が目線の高さまでつまみあげると、殿が間髪入れずに再び満寵殿にしがみつき、その後ろへ隠れるように回った。
本当に苦手なのだと見てすぐ分かる反応に、確かに弱点だ、と思う。

賈詡殿がどこか面白がっているそこへ、水を差したのは意外にも―と言うのは失礼かもしれないが―郭嘉殿だった。



「賈詡、をからかうのはやめてくれないかな」

「おや、意外だね郭嘉殿がそんなことを言うとは思わなかった」

「ひどいね、それだとまるで私がいつもに嫌がらせをしているみたいに聞こえるけれど」

「あははあ!違いましたかね」

「そう見えるのなら違うと答えるよ。けれど、今一番気に入らないのは、目の前の状況かな。私に抱きついてくれるならまだしも」



言うや、その場の全員の視線が殿に向かう。
それに気づき、殿が一度周囲をぐるりと見てから、ゆっくりと僅かに顔を下に向けた。
一拍置いて、賈詡殿が呆れた様子で呟くように言う。



「はははあ、なるほどそういうことですか」



同時にそのつまんでいたものを手放す。
それは、ゆるく弧を描いてどこかへ落ちていった。
殿はといえば、やっと状況を理解したのか、今度は顔を真っ赤にして慌てた様子でそこを離れる。



「ご、ご、ごめんなさい!!!すみません!!!」



そして、何度も頭を下げた。
耳まで赤くした殿は、頭を下げつつ矢継ぎ早に言う。



「もう、本当!大騒ぎして皆さんに迷惑かけました!仕事中なのに、以後気をつけます、すみません!ほんと、すみません!!始末書書いて仕事に戻ります!!ごめんなさい!失礼しました!!」



止める間もなくそれだけ言い残して、殿が回廊へと駆けて行く。
その先に見えるのは夏侯惇殿だろうか。
後方で、ぽつりと満寵殿が呟くように言った。



「相変わらず、先に行ってしまうな…」

「全くだね。……始末書か…提出されても困る、かな」

「んー。しかし、これは使えるかもしれんね」



と、違うことを言う賈詡殿を、今度は皆が一斉に見た。
賈詡殿がさも不思議そうに肩を竦める。



「おや?思わなかったかい?」

「いや。恐らく、同じことを考えたよ。私もね」



と、頷きながら郭嘉殿が相槌を打つ。
一拍置いて、満寵殿が首を横に振った。



「…私は何も聞かなかったことにしよう」



内心、俺も同意する。
文若殿は無言のまま、静かに息を吐き出した。
不意に風がやむ。
それが何かの合図のように、郭嘉殿が切り出した。



「ところで、満寵殿。に抱きつかれた気分はどうかな?」

「また、君はそういうことを…。どうもこうも、私は郭嘉殿と違って特別な感情は持っていないよ」

「ふうん、そうかな?」

「ああ、そうだね」



と普段通りの調子で、あまり良いとは言えないやりとりをする二人に賈詡殿が手を二度打って言う。



「はいはい、下らん話はそこまでにして、戻った戻った」

「そうですね、賈詡殿の言うとおりです。戻りましょう」



間髪入れず、文若殿がそう相槌を打つ。
回廊へと向かうその背に倣う。

数歩進んだとき、思い出したように風が吹いた。
この後起きるであろうことを考えると、気が重くなるのを俺は感じずにはいられなかった。










 * * *










出勤するのが憂鬱になる日が来るなんて、思ってもいなかった…。

というのも、この約1週間ほど、私の目の前や不意を狙って、やたらと立派なサイズの芋虫が尽く現れるのよ。
あの失態を犯した日を教訓に、二度と同じ過ちを繰り返さないためにかなり頑張って耐えてるけど、もう無理。
軍議中に現れたときは、叫びそうになるのを何とか耐えたけど、思わず固まっちゃったわ…。
たまたま同席してた文則さんがつまんで外に出してくれたから良かったものの…、もう最悪。
泣きたい…違う、半分泣いてる。
誰がなんの目的のためにやってるのかっていうのは、早い段階で気づいたけど、本当無理よ。
もう無理。

今日は鍛錬棟に直行だったわね――。

と、私は寝ぼけ眼で口を濯いだ。
貫徹で残業するより辛いって、何なの。
と思いながら、気が向かないままの足を一路、鍛錬棟へと向ける。

忙しなく過ごしながら数刻、日も大分高い位置に差し掛かった頃、棟内の回廊を歩いていると後ろから不意に声をかけられた。



「よ!!元気してっか?」



後ろを振り向くと、声の主は軽快に片手を上げてみせた。



「夏侯淵さん」

「いやあ、聞いたぞ。お前さんにも苦手なものがあったなんてな!」

「…その話、失礼ですが、どなたから聞いたんですか?」

「ああ、主公だよ。用事があってちょっくら顔出したときにさ。そんときは流石に耳を疑ったぜ」



と言いながら声を上げて笑う夏侯淵さんを見て、私は無意識に肩を落とした。
ため息まで出てしまう。



「…笑い事じゃないですよ。もう大変なんですから…」

「いや、俺は良いと思うぞ。ていうか、ちょっと安心したわ。にも可愛らしいところがあるんだな、ってな」

「そんなところ、なくていいです」



言いながら横目でじっと夏侯淵さんを見るが、当人は一切悪びれた様子もなく軽快に頷いている。
きっとこの辛さは伝わるまい、と内心ため息を吐き出した。
いつか克服できたならいいのだろうが、そんな日は来ないだろう。
と、今の状況を考えると思わざるを得ない。
きっとこの先絶対にない。

そもそも克服するために色々調べはしたが、調べなくて良いところまで調べてしまったような気さえ、今となってはするのだ。
生態やらメカニズムやらはよく分かったし、生命の神秘だわ、とかも思ったけど、だけどどうしたって思い出しただけでも動きが気持ち悪い。
そんなことを考えている今だって、もう全身鳥肌立ってるし、首の周りがなんだか落ち着かない。
寒気がするわ…。
小さければなんてことはないんだけど…。
それでも、もう一生観察することなんてないでしょうね。
成虫ならまだしも。
理屈じゃないのよ。



「敵さんが岩じゃなくて青虫降らせたら、には覿面かもな、…なんつってな!」

「…冗談じゃないですよ、この世の終わりです」

「ま、そんときゃ俺様が天蓋でも差してやるさ」

「本当ですか?それ」

「おう!この妙才様に任せとけって!」



信じられないような信じられるような、やっぱり信じられないようなことを腰に手を当てて言っている。
もしそんなことになったら、いっそ全部燃やしてやるわ…。
火炎放射器が欲しい。
と頭の片隅で思った。



「さて、と。んじゃ、俺様は先に行くわ。またな!」

「はい」



去っていくその背を見送って、見えなくなるまで目で追った。
その背が消えてから左手側へ視線を送る。
空は青い。
ため息を吐き出してから、目的地へ向かうために私は足を動かした。
人気が疎らになっていく。

もういい加減無理だぞ、と眉間に皺が寄っているのを自覚してから足を止めた。
視線の先、行く手を阻むようにやつが歩いている。
やたら元気に動いている。
背筋が一度、ぞわりと粟立った。
同時に人の気配。
振り向きながら思わず声が漏れた。



「やっと…、出てきたわね」



顔をあげると、見知らぬ男が驚いたような表情を見せた後口元を歪ませた。



「なんだ、気づいてやがったのか。だが、まあいい。お前の弱点は分かっている。悪いが俺のために死んでもらう!」



と男が懐に手を入れた瞬間、私は地を蹴った。
慌てた男が何かを私にばら撒くが、今はそんなこと関係がない。
全てはこいつが元凶…!
勢いのまま、怯んだ男を倒してからうつ伏せに組み敷いて腕を捻り上げた。



「な、なぜだ!なぜ効かない!!」

「甘いわね…、私はずっとこの時を待ってたのよ。あとで話を聞かせてもらうわ」



言い終わるが早いか、私と男の視線の先に楽進さんと李典さんが姿を現す。
そして、後方には文則さんと張遼さん。
男を逃さないために無理を言って協力してもらった。
腕の中で男の力が抜けていく。



「くそっ…俺は何も…」

「話す気がないのなら別に構わないけど、罪は重いわ。後悔しても遅いわよ。じっくり時間をかけて私が直接、聞いてあげるから覚悟してちょうだい」

「…う……」



そう、罪は重いわよ。
こんな下らない目に合わせるなんて…。



「絶対に許さないわ」



丁度やってきた兵に男を引き渡しつつ立ち上がると、李典さんと目が合った。
勿論、未だにまともな会話は出来ていない。
気まずそうにする李典さんに、私はただ笑って返した。
後ろから近づく気配に振り向くと、同時に声をかけられる。



「流石の身のこなしだ、

「文則さん。…皆さんも、こんな下らない茶番みたいな策に協力してくださってありがとうございました」

「いえ、そんなことはありません!相手は命を狙っていたんですから、一時はどうなることかと心配しておりましたが、殿に怪我もなく一安心です!」

「ありがとう、楽進さん」



とは言いつつ、やっぱ下らない、本当に策とも言えない茶番だと思う。
最初に思いついた賈詡さんと郭嘉さんは…半分遊んでるでしょ、もう…。
考えるだけで眉間に皺が寄った。
もちろん、さっきと理由は全然違うけど。

その時、張遼さんが言った。



「しかし、お見事。不審者を捕らえると同時に、ご自分の弱点まで克服なされるとは。改めて、敬服致した」



と、よく分からないことを言っている。
克服?なんて私はしていない。

訳が分からないままでいると、唐突に目の前の文則さんが私に手を伸ばす。
意図がわからなくて、それをただ目で追うとその手は私の左肩に伸びていた。
何も考えず、そのまま視線をそちらへ向ける。

そこを見てから1秒も間はない。
7、8センチ程のそれが文則さんにつままれて、元気よく抵抗しているその姿が、私の視界の全てを占領した。
思考は当然のように停止する。

…………。



「!!!!!いやあああああ!!どっか捨てて!近づけないで!見せないで!!焼き捨てて!!!無理無理無理無理!もう、絶対無理!!!!!どっかやって!どっか捨てて!!半径5メートル以内に近づけないで!!!!」



そしてその後、文則さんを盾にするが如く、その背中にしがみついていた私は、なぜそこにしがみついているのか、気づいたその瞬間には自分でも理解が出来ずにいたが、果たして二度も―勤務中に―失態を犯してしまったその事実に、数日のあいだ立ち直ることが出来なかった。
もちろん、その暫くの間、伯寧さんと文則さんの顔をまともに見ることも出来なかったのは言うまでもない。

例え私憤と言われようとも、あの男を差し向けた黒幕の袁術を許してなるものか、と私は心の片隅で思うのだった――。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


恐ろしく、ただのギャグ回です。
芋虫で大騒ぎっていうネタがやりたかっただけなので、色々無茶設定してます。
半分体験談です、思い出しただけでぞわぞわする…。
あとはもう割愛。


2019.07.16



←管理人にエサを与える。


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