恨んでいない、といえば嘘になる

だけどそれで、過去がなくなるわけじゃない

いつまでも恐れていたくない、いつまでも逃げていたくない

自分と素直に向き合えたら、きっと恐れず生きていける







     人間万事塞翁馬 87















下邳城は落ちた。
城内は水に浸かり、攻め込む時には敵将兵の殆どが降伏した。
呂布と陳宮は部下に裏切られ縄で縛られていた。
それを私はまだ確認していないけど、今は内城の前の広場に居るはずだ。
私はその城内の一角にいる。
ふと見下ろした窓の外は、まるで湖のようになっていた。

自然災害とかじゃなくて、私達がしたのよね、これ…。
こうなることは分かっていたけど。

感傷に浸ろうとする自分を途中で叱りつけた。
そんなことを思うなら、綺麗さっぱり身を引くべきだ。
やるなら徹底的に。

ただ、目の前の現実を見る。
ただそれを、認める。
薄っすらと雪の積もり始める窓外から視線を外して短く息を吐きだした。



「ここにおったか」

「…曹操さん」



不意に声をかけられて後ろを振り向くと、曹操さんが立っていた。
一人だった。
向き直ると、曹操さんは二歩ほど歩み出て、それから言った。



「これからわしは呂布と陳宮のもとへ行く。本当に、任せて良いのだな」

「はい、二言はありません。決めましたから、もしその時には……私の手で、送ると。だから、お願いしたんです」

「………ならば、最早何も言うまい。首を落とす役目、そなたに任せた」



普段と変わらない表情の曹操さんに私はただ、無言で拱手した。
数秒、頭を下げ続けた。
去っていく気配に頭を上げると、丁度壁の向こうに曹操さんの背が消えるところだった。
足音だけが響いている。
そしてやがて、聞こえなくなった。

一度目を閉じる。
ゆっくりと深呼吸する。



「よしっ、暗いのは終わり!行くわよ」



自分の顔を両手で一度、勢いよく叩いてから視線を上げた。
足音だけが響いていた。









 * * * * * * * * * *










その部屋に着いた私は、ただ、そこで立って待っていた。
ただ立って、その時が来るのを。



「あなたが、あなたが処刑執行人ですかな」



唐突に、ずっと後ろの方から、もう聞きたくないと思っていた声がする。
その声音は、どこか明るい。
もう死ぬことが分かっていて、諦めてでもいるんだろうか。

ゆっくり振り向くと、縄に繋がれ兵二人に連れられてきたらしい陳宮は、私の顔を見るなり驚いたような表情を浮かべた。
それからすぐに、下から覗き込むような目で私を見る。
その口角を、片方だけあげて見せながら言った。



「これはこれは…殿ではありませぬか。あまりの変わりように、一瞬誰かと思いましたぞ」

「あなたは変わらないみたいで、ちょっとほっとしたわ」



そう答えると、陳宮はあの、独特な笑みを浮かべて更に、口角を上げて見せた。
私はそれを確認して、それから歩み寄る。
適当な距離で足を止め、真っ直ぐに陳宮を見た。
陳宮が言った。



「聞くところによると、殿は大変なご活躍をなされているとか…。いやはや、その知識が役に立ちましたなあ」

「お生憎様ね。活躍してるかはさておき、知識なんて私にはないわ。これっぽっちもね」

「ほう…、まだ白を切るおつもりですかな」

「あなたにはもう、関係のないことでしょう?……、処刑執行人。それは正解よ」



知己と話をするように、努めて明るく、いつもどおり私はただ会話する。

陳宮の真横へ、私は進み出た。
視線の高さは、ほぼ同じ。
陳宮が、横目で私を見る。
二人の兵が、陳宮をその場へ跪かせるのを私は黙って見ていた。

そのとき、不意に僅かに間をおいて、陳宮が嘲るように、声を殺して笑う。
暫くして言った。



「…正解、正解でございますか。それはつまり…、…つまり私への復讐、ということですな?」

「違うわ、勘違いしないで。復讐なんてものに興味なんかない。そんなもののために、ここにいるわけじゃないわ」

「ふむ。ならば、どういうことでしょうな」

「あら、意味が欲しいの?」

「少なくとも、あなた以外の者であったなら、問うことはなかったでしょう」



下から私を見上げる目が、じっと私を見つめる。
私もただそれを見つめた。
空気が冷たい。
息が白い。

記憶が甦る。
あの時の、今でも夢に見る記憶。
自分の最も弱い感情に寄り添えたら、きっと楽だろう。
だけどそれでは駄目。
それだけは選べない。

もう名前しか知らないこの男が、何をして名前を残した人間か、私は知らない。
ここまでに見てきた全てが、忘れてしまった男のそれと同じかどうか、私は知らない。

私は思う。
したいことをして、思うまま生きる。
後悔しないために、例え迷い続けても覚悟する。

きっと形は違っても、かけた思いはこの男も同じはず。
そうでなければ、こんな目をしていない。
いい加減な思いしか抱かなかった人間なら、こんな目が出来るはずがない。



「…話す気なんて無かったけど…、聞く気があるなら、話してあげる」

「是非に、是非にお願いしたいところです」



それを聞いてから、私は一度ゆっくり息を吐き出した。
私を見上げる目から視線を外して、正面をまっすぐに見る。
石の壁が視界に入った。
松明の火が揺れている。
息を吸う。



「あなたの魂に、敬意を表するためよ」

「……、…」

「あなたがあなたの人生全てをかけて、魂をかけたその覚悟に敬意を表するためよ」

「随分と、上から物を申されますなあ」

「あなたほどじゃないわ」

「くく…、殿は、殿は本気で私が、その、魂をかけて覚悟をしたと思っておられるのですかな?」



その問いに、私は視線を陳宮へ戻した。
口角を上げ、私を見ている。

何かを見抜こうとしている目。
露骨な視線。
あの時も、同じような目をしていた。

私は陳宮の目を見ながら言った。



「違うの?少なくとも、私はそうだと思ったわ。例えあなたがどう思うと、私は私が思ったまま、感じたまま、あなたの魂に敬意を表するわ」



言い終わると、突然、陳宮は声を上げて笑い出した。
私は思わず面食らって、陳宮を見る。
数秒後、笑いを治めた陳宮が言う。



殿、あなたは実に、実に面白いお人ですな!くくく、…この陳公台、最後に殿と話が出来て、まことに、まことに良かったですぞ」

「そう…。……なら、最後に教えてあげるわ。実は、あなたの言う知識…、あのあと直ぐ、色々あって綺麗さっぱり忘れちゃったの。名前以外のこと、もう、これっぽっちも覚えてないわ、真っ白よ」



私はそう、陳宮に言った。
陳宮は、驚いた表情を見せると、また笑みを浮かべる。



「それが真実ならば、まことに残念!しかし、しかしそれでも尚、あなたを手にした者がもっとも天下に近い…それは変わりませぬぞ。何故なら、あなたの知識は、知識はそれだけでは無いのですからな。それが今、分かりました」

「買いかぶり過ぎね。そんな大それたもの、私にはないわ。行き過ぎた評価は、いい迷惑よ」

「ふ…ご自分の価値に気づかぬとは……先が思いやられますな。……ところで…今、殿は名前以外、とおっしゃいましたか。その名前、名前には私の名も入っているのですかな?」

「…入ってるわ。名前だけ、だけどね」



そう答えると、陳宮は暫く黙って、それからどこか自嘲するような何かを哀れむような表情を浮かべ、視線を逸らした。
私はそれをただ見る。
陳宮の傍には兵が二人まだいたけど、まるで私と陳宮、二人しかいないような、そんな錯覚をした。
陳宮が静かに言う。



「この陳公台、あなたの記憶に留まるなら、留まるなら…まあ、よしとしましょう。殿、どうかこの陳公台の名、くれぐれも、くれぐれもお忘れなく」

「忘れないわ、絶対にね。だから、私はここにいるのよ」

「感謝しますよ、殿」

「…あなたがどうして名前にこだわるのか分からないけど、その言葉、素直に受け取っておくわ」



陳宮はただ、笑みを浮かべた。
その意味は、やっぱり分からない。



「しかし、しかし惜しいですな。耳に心地よい殿の声を、もう聞くことができぬとは…実に惜しい事です」

「…まったく、冗談じゃないわ………この期に及んで。本当に、…あなた、サディストなの?」

「さでぃすと…?」

「加虐趣味なのか?…って言いたいのよ」

「ふむ…、あなたに対してはそうかもしれませんな」



私は思わずため息を吐いてから、陳宮を見下ろした。
それから一歩後ろへ引いて間合いを取る。



「良い趣味してるのね。けど、私はあなたを苦しめない。一刀で終わらせる…、敬意を表して皮一枚。それは、私の国の昔の作法だけど……、…何か、最後に言い遺したいことはあるかしら?」



ゆっくり抜刀して、それから肩に担ぐように構えを取る。
兵は、もう傍にはいなかった。
少し離れたところでただ立っている。
陳宮は首を私に向けて、見上げて言った。



「ならば、ならば最後に、私を字(な)で呼んでいただけますかな?公台、と」

「いいわ、最後にあなたのことをそう呼んであげる」



私は陳宮の目を見て答えた。
陳宮はふっと笑みを浮かべると、下を見て、そして上半身を前へ、首を差し出すように少しだけ首をもたげた。
今一度、ゆっくりと静かに、深く一度呼吸をする。



「ではまた、またお会いしましょう、殿」

「ええ。いつかまた。公台さん」



片手で振り下ろした刀を、左手で制する。
ぴたりと、決められたそこで刀身が止まる。
視線の先で間を置かず、折った膝、腿の上に身体が落ちる。
首の皮一枚を残して、膝の向こう側にその頭が落ちた。
顔は見えない。

上着の内ポケットから一枚、布を出した。
口にくわえて刀の柄を握りなおす。
布を左手にして、刀身を拭いながら納刀した。
柄から手を離す。

布は畳んで、片膝をつきながら傍らに置いた。
そのまま、私は数秒陳宮のその亡骸を見つめる。
血が、流れてゆく。
誰の声も聞こえない。
静かで、ただ静かだった。
もうそこに、生の気配はない。

手を合わせる。
ゆっくり、目を瞑った。

いくらかそうして、目を開ける。
その場に立ちあがって、次の場所へ足を向けた。















つづく⇒(引き続き流血表現ありで、死ネタです)



ぼやき(反転してください)


介錯の作法は割とテキトーなことを書いています←
一部については、管理人が師事している流派を参考にしてます
あまり突っ込まないでいてやってください
腹切ってないから介錯でもないしね…

2019.04.17



←管理人にエサを与える。


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