人間万事塞翁馬 85















彭城の西に位置する地――
そこには既に簡易な陣が出来上がっていた。
横目で辺りを見渡していると、丁度向こう、正面から曹操殿がこちらへゆっくりと歩んでくる。
私もまた、雲長と翼徳を伴って歩み寄った。
数歩手前で立ち止まり、拱手する。
顔をあげると同時、少し険しい表情で曹操殿が言った。



「劉備、徐州の呂布を討つ時が来た。おぬしたちにも同道してもらう」

「……曹操殿。私は、居候させていただいている恩を返さなくてはならないと常々思っております。ですが、私はかつて徐州を治めていた身……。そこを再び戦乱の渦に陥れることは……」

「悩むのは自由だが…。奴を野放しにしておけば、乱世は終わらぬぞ?わしは周囲がどう思うおうと、乱世終結のために奴を討つ。そして、そのために使えるものを使うのみよ」



それはつまり、殿も同じだろうか。
使えるから、使うというのか。
瞬時にその考えが頭を過る。

小沛からここに至るまでの間、殿には本当に世話になったと思っている。
彼女が居なければ、一人の死者も出さずにここに至るということは出来なかっただろう。
その策も、武も驚くほどに洗練されている。
そして、何よりさりげない兵たちへの気遣い。
それにどれほど助けられただろうか。
優しく微笑むあの姿は、等しく私達に安心感を与えてくれた。
それを思い出すと、やはり何の躊躇いもなく武を振るう。
あの様は思い出したくない。
心が苦しんで、仕方がなかった。

――その時、ふと気配がして、私は曹操殿へ向けていた視線を移した。
顔をそちらへ向けると、丁度そこで殿が立ち止まる。
曹操殿を真っ直ぐに見ていた。
そのやや後方に夏侯惇殿が立っている。
殿が拱手すると、表情を緩めて曹操殿が口を開いた。



「おお、か。まずはご苦労。そなたのお蔭で、大分楽が出来たようだ」



そう言って、曹操殿は視線を彼方にやった。
殿がその視線の先を見る。
私もまたつられてそちらに視線をやった。
曹操殿の下につく、軍師たちの姿がそこにあった。
何か、話をしている様子だ。



「それなら何よりです。でなければ、先行した意味がないですもの」



殿のその言葉でそちらを見ると、殿は笑みを浮かべ曹操殿を見ていた。
曹操殿が言う。



「ふ、頼もしいことよ。引き続き、頼むぞ」

「はい」



複雑な気持ちだった。
二拍ほどおいて、曹操殿が私を見て言う。



「劉備よ。進軍の合図があるまで、おぬしたちは暫しの休息を取るがいい。とはいえ、あまりゆっくりも出来ぬであろうがな」



そう告げて、曹操殿は誰にともなく短く声をかけ、件の軍師たちのもとへと去っていった。
そのあとに夏侯惇殿が続く。
殿はといえば、それを半ば見送るようにただ見ていた。
暫くして、殿が私を見る。
笑みを浮かべ言った。



「劉備さん。あの足を負傷した方ですが…典医の見立てでは、複雑骨折ではないとのことですから二月(ふたつき)ほどで歩けるようになるそうです。それでさっき、担当している衛生兵に説明をして、このあとの彼の事を任せておきました。ですので、ひとまずはご心配なく」

「そうか、それは良かった。殿には何から何まで世話になるな…、ありがとう」

「いいえ。出来ることをしてるだけ、あまり気になさらないでください」



そう言って、殿はにこりと笑った。
それを見て、ふと思い出した。

『同じ思いを抱いたから』

あの時は深く考えなかったが、それは、どういう意味なのだろうか。
曹操殿と同じ思いを抱いたから、という解釈であっているのだろうが、同じ、とは何が同じなのであろう。




、何をしている!」

「はい!」



その声で我に返る。
夏侯惇殿がやや遠くから殿を呼んだようだ。
殿がそれに答え、夏侯惇殿の方に顔を向けている。
同時に、軍師たちの何人かがこちらを見ていた。
殿が私を見て言う。



「すみません、私はもう行きますね。また後ほど」



言い終わってから拱手すると、足早に去って行った。
途中、駆け足になる。
そこへと向かう殿の背をただ見つめる。
それから唐突に、翼徳が言った。



「けっ、なんでえ。話をしてただけじゃねえか。まるで俺らが何かしたみてえな目しやがって、いけすかねえ!」

「翼徳、口を慎まぬか」



雲長が釘を刺す。
翼徳がふてくされたように腕を組んだ。
それでも私は、視線のずっと先で話をしている殿から目を離すことが出来なかった。



「兄者?いかがなされた」

「あ、ああ。いや、何でもない。…言葉通り、少し休ませてもらうとしよう」

「うむ。それが良いでしょう」

「…では、行こうか。雲長、翼徳」



踵を返す。
ただ苦しい、という思いだけが心に渦巻いていた。









 * * *










駆け足でそこに向かうと、どこか不機嫌そうな夏侯惇さんが開口一番、言った。



「何を話していた」

「負傷した兵のことをお伝えしてました。すみません、お待たせしてしまって」

「いや…そういうことなら、構わん」



と、どこかバツが悪そうにする夏侯惇さんに、曹操さんがニヤニヤしながら言う。



「優しいのう、夏侯惇将軍は」

「茶化すな…!お前が呼べと言ったのだろう」

「わしはそんなことは言っておらぬ。がおらんな、と言っただけだ」

「……、…!」

「ま、まあまあ…。ごめんなさい、私がもたついたばっかりに」



怒りからか肩を震わせ始めた夏侯惇さんとそれを面白がる曹操さんを、私は交互に見ながら謝った。
夏侯惇さんが溜め息を吐き出す。
それを見計らったように賈詡さんが言った。



「そんじゃまあ、本題といきますか」

「うん。まずは、



相槌を打つように、郭嘉さんが言って私に視線を向ける。
顔をあげると、同時に続けた。



「君は私と賈詡と一緒に沂水の水門へ向かってもらうよ。他に、于禁殿が合流予定だ」

「わかりました…、ということは泗水へは荀攸さんと荀ケさんが?」

「はい。それから、夏侯惇殿と夏侯淵殿にも任にあたってもらいます」



荀攸さんの言葉を聞いてから、私ははたと気づいて周囲を見回す。
そういえば…。



「あの、曹休さんの姿が見えませんが…もう先へ?」

「いいや。曹休殿には、呂布が袁術のもとへ出した援軍要請の使者を阻止するよう、俺から頼んだ」



そう答えたのは賈詡さん。
ていうことは、つまり。

私は賈詡さんを見て言った。



「じゃあ、こちらからの情報、間に合ったんですね」

「ああ、お陰様でね。ついでに、それが済んだら袁術のところへ変装して兵糧をもらってくるように言っておいた」

「…え?呂布軍に変装…ってことですか?」

「勿論」



…曹休さん……、大丈夫かな。
素直すぎるぐらいだから、騙せるのか凄く気になるんだけど…。
いや、こんなこと思うのは失礼なことだとは思うけどね。

と思っていると、再び賈詡さんが言う。



「心配しなさんな。念の為、李典殿に同道するよう言ってある。何とかなるだろうさ」

「…どっちにしても、さすが賈詡さんですね。…大胆過ぎます」

「あははあ!お褒めに預かり光栄至極」

「……褒めてません、呆れたんです」



そう伝えると、賈詡さんは肩をすくめた。
それから数秒して、郭嘉さんが言う。



「さて、それはとりあえず置いておこう。改めて、このあとのことをおさらいしようか。当然だけれど、水門を壊すのに使う兵器は現地で組み立てる。基本の動きは全て、夜陰に乗じて行うことになるね。それでも多分、どこかの時点で敵に気づかれるだろうから、それまでの間にどこまで邪魔をされず任を遂行できるか、が勝負どころかな」

「そうですね。陳宮は即決力に欠けるところがありますから、考える時間を与えずに、迅速に攻める必要があります」

「はい。文若殿の言うとおりです。兵器を使うにしても、確実に水門を狙い余分な手を減らさなければなりません」



そのとき、羽音が聞こえて私は空を見上げた。
曇り空から1羽の鷹が私のもとへ降りてくる。
皆が居ない方へ、私は腕を差し出した。
ばさりと降り立ったそれに、私は思わず声を掛ける。



「グッドタイミングよ、ホーク。あなたが来たってことは、きっと朗報ね」

「「ほーく???」」



と、声を揃えたのは賈詡さんと夏侯惇さん。
相変わらず表情が変わらないのは、荀攸さんと荀ケさんに郭嘉さん。
横で、曹操さんが短く唸りながら顎に手を当てた。



「また、大層な名を付けたものよ。鳳が駆ける、とは…中々良いではないか」

「え、違います曹操さん。鳳駆、じゃなくてHawk、ホークです」

「ん?違うのか。どう書くのだ」



と言うので、私はホークを腕に乗せたまま、その場に屈んで地面の砂地にHawk、と指で大きく書いた。
立ち上がってから曹操さんを見る。



「こうです。Hawk」

「む……、どういう意味だ」

「鷹、です」

「そのままか」

「そのままです」



そのまま無言で私を見てくるので、私もまた無言でそれを見返した。
何度か瞬きをしたあと、郭嘉さんが唐突に言う。



…いつその子に名前を付けたのかな?」

「なんだ、郭嘉。おぬしも知らなんだか」

「もちろんです、曹操殿」



それから謎の注目が集まる中、私は順繰りに視線を移した。
それ、今重要?
そんなことを思いながら、とりあえず答える。



「…えーと、つい数日前です。小沛にいるときに、くろの背に乗ってたこの子が名前を欲しそうな目をしてたので、その場でつけました」

「そんなもの、分かるものなのか?」

「え?分かりますよ。夏侯惇さんだって、ご自分の馬が何を考えてるか大体お分かりになるでしょう?」

「……まあ…大体……な」

「でしょう?」



すると、間髪入れずに曹操さんが夏侯惇さんに言った。



「深く考えるな、夏侯惇。まさしくわしも、同じ気分だ」

「…そうか。お前が同じならば、考えまい」

「……何か、ちょっと酷くないですか?まあ、気にしてないですからいいですけど。…さて、と。朗報は、と」



私はホークの足につけた筒からメモを取り出した。
肩に移ったホークは私の背中の方を見ているみたいで、尾羽根が視界の端に入る。
メモにざっと目を通す。
暗号になってるけど、その暗号を作ったのは私だから意味はすぐに分かった。
賈詡さんが言う。



「で、何だって?」

「ええ。少人数ですが、工作部隊が水門への細工を開始してくれたみたいです。こちらが水門に到着する頃に合わせて、手を加えれば決壊しやすいようにピンポイントで脆弱部を作るようお願いしました。元々兵器でって聞いてはいましたけど、とりあえず人力のみのことも考えて指示は出してあります」

「あははあ!、あんた本当に最高だね」

「ありがとうございます。ですけど、本当に少人数なので、兵器で攻撃するにしても、それなりの回数、撃ち込む必要があります。バレそうになったら直ぐに身を隠せっていう指示も出してますし」

「いや、それでも十分だよ、。私の出番がなくなるね」

「ご心配なく、郭嘉さんの出番はまだまだありますから」

「そうかな。…ところで、露見せず順調にいったとして…その撃ち込まなければいけない回数というのは、大体どのぐらいか予想がつくかな?」

「ん…、そうですね。計算上は、少なくとも片手を少し超えるぐらいは必要になります…。ただ、兵器を川上側に設置できたなら、水圧を更に利用して比較的早く壊すことが可能になるとは思いますけど」

「なるほど。立地次第か」

「はい。あとは音に気づいた敵をどれだけ食い止めていられるか、ですかね。…ただ、立地に関してはあまり芳しくない、と聞いてます」



そう、私は指を口元に当てて言った。
それから暫く、私達は細かい所の確認をしあって散会した。

それで分かったことは、曹仁さんが許昌の防衛、伯寧さんが定陶の防衛についてるってことと、文則さんは遠回りのルートで合流するってこと。
それから、主軍である曹操さんや許褚さん、楽進さんたちは正門から攻めるってことかな。
大体予想してた通りだけど、賈詡さんの策は予想外だったな。
変装は、まあいいけど……、ま、まあ、いいわ。
上手くいくなら問題はないもの。

そのあと、ちょっとした…いや、かなり大きな、個人的なお願いを郭嘉さんと曹操さんにそれぞれして、その日中に私達は陣を発った。
各々の目指す場所へ向けて、進軍開始。

空は雲が厚いまま、時々粉雪をちらつかせて最も寒さ厳しい時期の訪れを告げているようだった。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


ゲームやってて色々突っ込んでたのでネタにしました
所要日数とか簡易計算したメモをよく紛失するので、いい加減な数字が入ってます
沂水と泗水は調べては見たんですが、持ってる資料では正確な位置関係がよく分からなかったので泗水が北ってことにしました
逆だよ!資料あるよ!っていうのあったらこっそり教えてください、直します

2019.03.30



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