人間万事塞翁馬 83















最後の兵が門に入ったのを確認して、私もまたその門の中へと滑り込んだ。
騎乗したまま後ろを振り返る。
閉まっていく門の間から、広がる黒い地面と遠くで灯された松明の小さな灯りが点々と瞬いているのが見えた。
この世のものではないみたいだと、頭の片隅で思いながら、ほのかに漂ってきた匂いを吸い込んで、血の匂いだ、とまたどこかで思う。

門が締め切られるのを確認してから数秒後のことだった。



!おめえ、中々やるじゃねえか!この俺様も流石にびっくりだぜ!」



声がした方へ視線を向けると、兵の先頭にいた張飛さんがこちらへどしどしと歩いてくる。
下馬してから目前で立止まった張飛さんを見上げた。



「ありがとうございます。それよりも、張飛さんを始め、皆さんのご協力のお陰で予定通りの成果を上げることが出来ました。これで終わりではありませんが、まずは…」
「そんな堅っ苦しいことは、なしだ、なし!おめえ酒が強えだけじゃねんだな!益々気に入ったぜ!」



と、私の言葉を遮り張飛さんは乱暴に私の頭へその大きな手をのせると、がしがしとしごく。
髪がぐしゃぐしゃになるのを感じながら、何となく夏侯淵さんに似ている、とも、典韋さんに似ている、とも思えた。
懐かしさに少しだけ目頭が熱くなり始めて、私は、まだのせられた手の中で一度強く目を瞑ってから息を吸い込む。



「張飛さん、ちょっと落ち着いて下さい。髪がぐしゃぐしゃに…」

「あ、わりい!すまねえ、あんまりにも嬉しくてよ、つい」

「まったく、仕方のない義弟(おとうと)だ」



関羽さんの声に、手をはなした張飛さんがうしろを振り向く。
私はとりあえず、乱れた髪を撫でながら、あとで結び直そうと心の中で呟いた。
最中、張飛さんが言う。



「んなこと言ったってよ、兄者……兄者だって一緒にあの場に居たんだ、見てただろ?」

「無論、それを否定するつもりはない。殿の武、見事であった」

「うむ。そして、策もな」



今度は劉備さんの声が加わる。
視線をあげると、まっすぐ私を見ていた。
そして続ける。



「夜陰に乗じて城を抜け出し、地形の高低とその死角を利用して兵を伏する。城壁の敵から見える位置に私が立ち、両隣に雲長と翼徳を模した人形を配置して敵を油断させる」

「その前準備として、殿自身が囮となり、彼の者らをその気にさせ更に油断させてから注目を集めた上で、機を見計らってこれを攻める」



関羽さんが続けるようにして言うと、更に張飛さんがその後に続く。



「その気になってたやつらは吃驚仰天。意味がわかってねえ内に、俺様達が加わって更に引っ掛けまわすと。…かーっ、スカッとしたなあ!」

「まことに、殿の策、見事だったな」



締めくくるように、劉備さんがそう言って笑みを浮かべた。
直後、関羽さんが張飛さんを見て言う。



「それにしても、翼徳も意を解していたとは。中々やるではないか」

「あ!ひでえぜ、兄者!俺様だって、そんくらい分からあ!」

「さようか。それは失礼いたした。翼徳のこと、てっきり全てが終わった後に理解したものと思っていたが」

「…そ、そんなことあるかよ!俺様のこと馬鹿にしすぎだぜ、兄者!」

「ほう。ならば、次回よりは更に期待しよう」



視線を泳がせながら口を噤む張飛さんを見て、分かりやすいなー、と内心苦笑する。
二人をなだめる劉備さんを見ながら思った。



「劉備さんたちは3人揃って、本当に仲が良いんですね」



三者三様、お互いに視線を交わしてから笑みを浮かべる。
そんな顔を見て、私もまた表情を崩した。
それから改めて劉備さんを見る。
表情が変わったのを確認してから、口を開いた。



「さて。これでひとまず、曹性は気をもみながら陣に籠もることでしょう。向こうの援軍が到着するまでは動かない筈です。その間、皆さんは任に就いているとき以外、ゆっくり休んで英気を養って下さい。その代わり、お酒は禁止です」

「分かった。だが…しかし、この城はまだ包囲されたままだ。我らの隙を突いて、攻撃を仕掛けてくるようなことがあれば、どう対処すれば良い」

「心配無用です、劉備さん。そんなこともあろうかと、こちらの手の者に流言を広めるよう動いてもらっています。今頃敵は、表面上は分からなくても、疑心暗鬼で収拾のつかない状態になっていると思いますよ。少なくとも敵の援軍が到着するまでは収まらないでしょう。ですから、自信を持って皆さんにお伝えします」



見える範囲を全て見渡してから、なるべく穏やかな口調で言った。



「明日までは敵の援軍が到着することは、まずありません。休める方は、それまでゆっくり休んで下さい。今日は皆さん、お疲れ様でした」



ここに来て直ぐの兵士さん達の表情を思えば、かなり良い表情をするようになった。
今はそれだけ心にとどめて、私は一度、目の合った何人かに向けて無言で頷く。
それから私は、城壁に上ることを劉備さんに伝えて、その場を後にした。

――城壁から見下ろす地は、下から見るほど暗くなかった。
上り始めた月が東の空に確認できる。
満月の頃からすれば、かなり欠けたと思う。
満月から下弦へ、そして新月に向かって欠ければ欠けるほど、地上は暗くなる。
月の出の時間はどんどん遅くなって、夜空に月が浮かぶ時間も短くなる。

吐き出す息が白い。
辺りを一通り見渡してから異常が無いことを確認して、私は手を頭にのせた。
少し撫でる。
やっぱり、ぐしゃぐしゃになってるな、と再確認。
紐を解くと一気に首の後ろが暖かくなった。



殿」



紐を口にくわえて髪を高い位置へ持ってきたところで、唐突に声がかかる。
視線だけ向けると、そこには劉備さんが立っていた。
ささっと結わい直してから顔を向ける。



「どうかされましたか?」

「…いや。殿の指示通り、皆が城外への警戒を怠っておらぬか見回りに来たのだが…、問題も無く安心していたところだ」

「はい。そこだけは、何があっても気を抜くわけには行きません。ここで勝つには、譲れない条件です」

「そうだな」



言いながら、劉備さんは私に並ぶようにして立つと城外へ視線を向けた。
その横顔を横目でちらりと見上げながら問う。



「…どうか、なさいましたか?」



何か言いたげにしていると、そう感じた。
最初の頃に比べたら、苦手意識はすっかり薄くなった。
それでも、理由の分からない妙な胸のざわめきは消えなくて、気にしてしまうと落ち着かない。
そういう意味では、苦手、かもしれない。



殿は何故、曹操殿に仕官を?」



私を見ずに、そう唐突に劉備さんは言った。
やたらに話す気はないし、かといって隠す気もない。
ほんの数秒、言葉を考えてから劉備さんと同じように、まっすぐ前を見て言った。



「主に二つ。一つは、同じ思いを抱いたから。二つ目は、恩返しをしたいから」



要点だけ、簡潔に。
理由は探せばいくらでも出せる気がしたけど、結局この二つが最初だった。
…まあ、あとは生活するための働き口探してた…っていうのもあるけど。

劉備さんは黙ったままだった。
なぜ急にそんなことを聞くのかと思ったけど、話のネタで聞くこともあるかと思って、それ以上考えるのはやめた。
思いがけず、典韋さんのことが頭をよぎる。
ゆっくり深呼吸をした。
それ以上、思考を掘り下げないために。



「ありがとう。変なことを聞いて、すまなかった」



劉備さんを見ると、私に身体を向けてこっちを見ていた。



殿も一度、休んでくれ。私はもう一度、見回りに行こう」



そう告げて、会釈してから劉備さんは去っていった。
城壁の所々で待機している兵士さんに話しかけているその姿を、私はただ何をするでもなく見つめた。
それから少しだけ東に視線を移す。
その先には下邳の城がある。



「……呂布、陳宮…」



私なりの、けじめのつけ方。



「今はまだ、目の前のことに集中しなきゃ」



視界に浮かぶ月は徐々にその高度を増していた。









 * * * * * * * * * *










のそりと身体を起こしてから欠伸を一つ。
毎度のことながら、全く寝た気がしない。



「死体の山の夢を見るほうがまだマシだわ」



ぼそりと呟いて、天幕内をぐるりと見渡す。
身支度用の水を張った盆が視界に入る。
掛け布を畳んでからその場に立ち上がった。
伸びをして、それから盆の前まで進んで膝をつく。
口を濯いで、顔を洗う。
布から顔を上げながら、ため息を一つ。



「…お風呂に入れないって、本当苦痛ね……贅沢言ってるのは分かってるんだけど…」



口元にあてた布の中で呟く。
…身体、拭けるだけマシか……。

結局、そこに行き着いた。
邪魔が入らないうちに、ささっと身を整える。
脱いでいた上着を羽織り直して、もう一度伸び。
刀を佩くためのベルトを締める。
右腰に下げたポーチの中身を確認。
忘れ物はないか、足りないものは何か、確認できたら準備完了。
今日までは攻撃してこないはずだけど、万が一に備えてやることはやらないと。
と、思った矢先、天幕の外からヤマバトの鳴き声がする。

このちょっと間抜けな感じの囀り、結構好きなのよね。
と思いながら、天幕を出る。
白み始めた空を見てから少し先の地面へ視線を落とすと、1羽そこにいた。



「おいで」



手を差し出すように伸ばせば、ハトは私の手の平にのる。
やたらな躾はしていないけど、行儀が良くて助かってるのよね。
伝言メモを取り出すと、意味を理解したみたいに私の肩へ飛び移った。
そのままにしておきながら、メモを開く。
斥候からだった。
要約すると…。



「定陶から東40km地点で夏侯惇さんと接触…か」



ん?
ということは、早ければ明後日到着予定…。



「…結構な強行軍で来たわね……無理してないかな、夏侯惇さん…」



早いのは有り難いけど…。
まあ、大きなお世話かな。

と思っていると、また1羽、紙を広げる私の手に降り立つ。
伝言メモを再度取り出して広げる。
ハトはまた、私の肩へ。

郭嘉さんからだった。



「行軍は順調……」



彭城の西の約60km地点で合流を希望。



「順調ってことは、逆算すると…3日後には向こうは着いてるって感じかな…」



合流は早い方がいいけど、やっぱり小沛(ここ)をキープしたまま軍を分けて合流、は難しいな。
当初予定のとおり、小沛は一時放棄。
あとは、あとのこと次第、だな。
ベストは敵の援軍、斥候情報だと高順を引かせることができれば、その先が楽ね。
いや、だけど…。
ああ、いやいや、今はとりあえず良しとしましょう。

とりあえず…その援軍足止め作戦はうまく行ってるかしら…。
なんせ時間が無いから、殆ど賭けみたいなものだけど。

そこへまた1羽。
いい加減、私の肩も満員よ。
メモを開く。
その、斥候からだった。
更に1羽。
そのメモも、その関係の別の斥候から。



「…あら、グッドタイミング。最高じゃない」



足止め工作は成功。
どちらも内容は同じ。
万一のために、二重尾行の要領で別々で連絡もらえるようにしておいたの。

…となると、夏侯惇さんがここに到着するのと、敵援軍がここに到着するのは、同日中になりそうね。
足止めって言っても、時間も人手もないから簡単なことしかお願いできなかったし。
すぐに持ち直される筈。
援軍の兵数は1200って聞いてるわ、きっとすぐでしょ。

でも、時間が少しでも稼げればいい。
それを考えれば、本当に最高よ。



「…今回はお給金いつもより奮発しないと申し訳ないやつだな…」



ざっくり言うと私兵扱いだから、斥候で動いてもらってる人たちには都度、自腹で支払ってるのよ、手間賃。
当たり前なんだけど。
個人契約だし。
けど、私もそこまで給料良いわけじゃないから…。
何か、功を立てなきゃ、ってところね。
功、か…。



「生活してるって感じするわ…」



暫し、我を忘れて遠くを見る。

耳に残るハトの囀りで我に返った。
手元のメモを一度見てから視線を上げ、視界に入った松明に歩み寄る。
その炎の中に、捻りまとめたメモを放った。
灰になったのを確認して、ポーチから1粒ハトの餌を取り出す。
郭嘉さんのところから来た子にそれを与えた。



「君はもうひと踏ん張り。とりあえず、了解って郭嘉さんに伝えてね」



この子だけ行けば、意味は伝わる。
飛んでく1羽のハトを見送って、それから3粒別の餌を取り出した。
残りの3羽にそれを与える。



「君たちはとりあえず休んでていいよ。また呼んだらよろしくね」



飛び去るそれを見送った。
けど、大体は近くにいるのよね。



「さて、と…」



臨時の作戦会議を始めなきゃ。
現時点での情報共有と、ここから打って出るタイミングをどうするか、ちょっと詰めないと。
タイミング逃したら出られなくなるわ。
他にも色々あるし。
どんどん忙しくなるわね。



「忙しいのは良いことだ」



ふと、向こうでのことを思い出した。
理由はない。
多分、同じようなことを言ったことがあるからだと思う。
勝手に記憶の引き出しが開いた。

社長との、ある日の会話。
確か、遅くまで残業してた日。
残業続きだった、ある日。



『俺が悪いのは承知しているが…、たまには休んだらどうだ、

『忙しいのは良いことです。気にしないでください、私の性格の問題もありますし』

『だがな…』

『会社のため、社長のため、休んでる暇なんて私にはありません。夢が夢で終わらないように、目標に向かってどこまででも、私は…頑張ります』



「すみません、社長。結局、私…」



そこで頭を振る。
これからケジメつけようって時に、向こうのこと思い出してどうするの。
そこも含めて、ケジメよ。
ケジメっていう名の覚悟をし直さないと。
…私、何回覚悟するのかしら。
同じようなことばかりを、何度も何度も。



「…いつか、それで良かったと思えたなら、それでいい」



ふっと息を吐き出してから空を見上げた。
東の空の端が朝焼けに染まっている。
ああ、なんて綺麗なんだろう。
そう思ったら、私は自然に笑っていた。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


ああ、もう本当どうしよう
下邳終わったら寿春


2019.03.22



←管理人にエサを与える。


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