人間万事塞翁馬 80 急いで家に寄った。 得物と邪魔にならない程度の防具を装備してから戸締り。 他に弓一式と伝書用の餌とか、現地調達が難しいものは必要最低限持った。 それから軍の馬小屋に一直線。 馬場を横目に駆けていると、視線の先に曹仁さんと伯寧さんが立っていた。 段々と近づく。 向こうもそれに気付いて、先に声をかけられた。 「殿。そのように急がれて、どうかいたしたのか?」 「はい。ゆっくりご説明できないのですが、これから小沛へ行くことになりまして」 「小沛って…まさか、一人でかい?」 「いえ。関羽さんとです」 「「関羽と?」」 曹仁さんと伯寧さんの声が見事に重なった。 それから、すぐに意味を理解したらしい伯寧さんの表情が少し硬くなる。 その口が開きかけたとき、別のところから声がした。 「!」 そちらへ顔を向けると、そこには曹休さんが私の馬を引いて歩いてくる姿がある。 どうも、調教中だったみたい。 青毛が艶々と輝いている。 因みに、赫々云々で曹休さんも敬称略で私を呼ぶようになった。 今はその話を省くけど。 正しく丁度のタイミングに思わず、小走りで駆け寄る。 「グッドタイミングです、曹休さん!この子、直ぐに出せますか?」 「ああ。この通り、装備は全て済んでるからいつでも行けるが…、そんなに急いでどこへ?」 「小沛です…、…ああ、ごめん。この子なんて言ったから怒っちゃったの?機嫌直してよ、くろ」 と、曹休さんに答えるや、愛馬の不機嫌そうな鼻息にその鼻面へ手を伸ばした。 もう大分前、曹休さんと一緒に求めに行った時に迎えた子。 馬の毛色は青毛なんだけど、もう本当に真っ黒だから、くろって名前をつけたの。 李典さんには、どうせつけるならもっと格好いい名前にしてやれよって言われたんだけど、思い浮かばなくてこれ。 案外本人も気に入ってるみたいだから、いいやと思ってそのまま呼んでる。 因みに牡馬。 不機嫌が治ったところで馬具に弓矢を下げる。 そんな私に、曹休さんが訝しげに言った。 「小沛?」 「、それは…」 続くようにして言う伯寧さんに、私は顔を向ける。 「両方になると思います」 何を聞きたいのかすぐに理解して、そう答えた。 つまり、斥候で行くのか、そうじゃないのか、ってこと。 改めて、その場で向き直ってから、三人を見渡した。 「すみません、先を急ぐのでこれで失礼します。恐らく、召集かかると思うので、詳しくはそこで確認して下さい」 一礼してから背を向ける。 くろを引いて歩き出そうとしたところ、またもや人に止められた。 声がした方に顔を向けると、李典さんが走ってくる。 顔を見ると、どこかで話を聞いたみたいだ。 もしかして、皆を集めに来た…? いや、まさかね。 それはちょっと、早すぎる気がする。 目の前で立止まって膝に手をつき肩で息をする李典さんをとりあえず、ひとしきり見る。 李典さんが顔を上げた。 「、あんた…」 「やだなあ、そんな顔して。別に呂布に会いに行くわけじゃないんだから。心配してくれるのは有難いけど」 「ばっ、そうじゃなくてだな…!」 「え?違ったの?」 と何故か恥ずかしそうに否定する李典さんに私は返す。 どことなく慌てた様子の李典さんのその肩に、私はとんとんと軽く、拳の甲を当てた。 「だいじょぶ、だいじょぶ。多分、城からは出てこないと思うから」 「あんたな…」 呆れたような声音に、私は思わず笑いを漏らす。 笑顔で言う。 「それじゃ、先に行ってるから。…皆さんも、お会いできる方は戦場でお会いしましょう」 改めて言い直してから、私はくろを引いて馬場を後にした。 足早に門を目指す。 東の門を出てから騎乗した。 とりあえず、速歩で街道を進む。 ちらほらと大きな荷物を抱えて進行方向と正反対へ歩く家族連れとすれ違う。 そろそろ戦が近い、と思うと見かけるようになる彼らは、やっぱりそういう空気に敏感なんだと思う。 どこから逃げてきたんだろうと思いつつ、ちらりと過ぎる考えに内心頭を振る。 「成すべきことをする。その為なら、鬼にでもなんでもなるわ」 私は逃げない、絶対。 目を逸らしたりなんてしない。 くろ、が駆けながら一度、ぶるりと鼻を鳴らす。 その顔を少し覗くと、瞳はまっすぐ前を向いている。 けど、何か言いたげに見えて、私はふっと笑った。 「気にしてくれてるの?ありがとう。……家の敷地がもう少し大きかったら、一緒に住めるんだけどね。ごめんね。これ以上の贅沢は言えないの」 それには何の反応も返ってこない。 二度、首筋を撫でてから視線を前方に移すと布に巻かれた長物を手にする馬上の人影が目に留まった。 やけに大きいその人影は、間違いなく関羽さんだろう。 30分ぐらい先に出発していたのに、予想より早く追いついたと思うのは、向こうは常歩だったから。 しかも、かなりゆっくりめ。 私は、多分出発してから10分ぐらい駆けたかな。 時計が無いから詳しく分からないけど。 馬首を並べるようにして、声を掛けた。 「お待たせしました、関羽さん」 「うむ、殿。それほど待ってはおらぬよ。曹操殿のおっしゃるとおりか」 「あはは…。ああいうの、恥ずかしいので本当はやめて欲しいんですけどね」 「さようか」 笑い混じりに関羽さんがそう言うと、くろが鼻を鳴らした。 それに気付いて、くろに視線を向ける関羽さん。 「うむ。そなたも聞いた通りと見受けるが、主思いの良き馬であるようだ」 1秒ほど置いて、くろがもう一度頭を揺らし鼻息を吐き出す。 それを見て、関羽さんはふっと笑うと、暫くして視線を前に戻した。 「途中の拠点で休憩を交えつつ、まずは譙を目指し申そう。それでよろしいか?」 「はい。異論はありません」 視線だけ寄越した関羽さんに相槌を打って頷く。 許昌から譙までは大体80km強あるんだけど…許昌を出てきたのは9時ぐらいだったかしら。 今日中に…着くな。 こっちの馬って何故か向こうの馬と違ってスタミナありすぎるのよね。 なんで? 分かんないけど、ともかく上手く走らせれば今日中に着くわ。 多分、辺り真っ暗になると思うけど。 それにしても。 「あの、関羽さん」 「なんでござろうか」 「小沛から許昌までどのぐらいで来ましたか?」 「三日でござる」 「…3日……追っ手も撒いて、ということを考えても…駆けましたね…」 因みに小沛から許昌は確か、370kmぐらい離れてるのよ。 一日120km強? 多分、最低限の休憩だけで駆けてきたのね。 馬…途中で乗り換えたのかしら…? どっちにしろ頑張りすぎだわ。 だけど本当、ここの馬ってどうなってんの? 1日80kmだってびっくりだっていうのに…。 「兄者たちのことを考えれば、どうということもござらん」 「なるほど。そのお気持ちは分かる気がします」 お互いどちらともなく笑いあって、暫くは常歩のまま譙を目指した。 * * * 布擦りの音に気付き、気配を凝らす。 間もなく、房から一人の気配が消えた。 目を瞑る。 房と言っても一晩だけ民から借りたこの小屋には房は一つしかない。 戸外に出た気配は遠ざかることも無かった。 虫の音も聞こえない静かな夜。 どのぐらいか、ともかく暫くして戻ってきた殿が腰を下ろすのを待つ。 それから、横になったまま言った。 「眠れぬのか?」 「ごめんなさい、起こしてしまいましたか」 殿には背を向けたまま問うた。 どんな表情をしているかは分からない。 どちらにしても、真っ暗なこの中では例え顔を合わせたとて、見えはしないが。 「いや、それは構わぬ。性分なのだ」 「そうでしたか」 「それは良いが…休めるうちに休んでおいた方が良い。ここを出れば、小沛までは野宿になる。ゆっくり休めるのは今夜までとなろう」 「はい。……おやすみなさい」 「うむ」 目を閉じる。 一向に寝息は聞こえてこない。 寝付いた気配も無かったが、それも仕方ない、と思考を止めた。 ――翌朝。 まだ日の昇らぬうちに目を覚まし、予定通りに支度をする。 馬を引いてきた殿が傍まで来て言った。 「小屋を貸して下さった方が、朝餉用にと胡餅を分けて下さいました。道中、頂きましょう」 「さようか、それはありがたい。…それでは、行くとしよう」 「はい」 街道に出てから騎乗する。 道中、馬上で朝餉を取りつつ小沛を目指す。 朝日が昇ると、朝露に濡れた木々が輝いて見えた。 紅葉の盛りも徐々に過ぎてきている。 とかく、朝は冷えるようになり霜の降りる日もしばしば。 今朝はまだ暖かい方と言えるが、この先野宿続きとなることを考えると、やはり心配にはなる。 横目で殿を盗み見る。 昨夜、しっかりと休めたのかはついぞ分からなかったが、睡眠不足、という顔はしていない。 戦場での彼女を自分は知らない。 話だけなら耳にしたことはある。 また、先の許昌での郭嘉殿と夏侯惇殿の口ぶりを思い出せば、確かなのだろう。 それでも、やはりいつぞやの、殿の邸で話をしたときの印象が強く、どうしても一人の非力な女子だとしか思えぬ。 …その女子と、仕方が無いとは言え同じ房で一夜を共にしたのは自分でもどうかとは思うが。 ともかく、本当に大丈夫であろうか、というのが今のところの正直な意見だった。 「関羽さん」 不意に声を掛けられ顔を向ける。 殿が言った。 「情報を整理する為に、関羽さんが小沛を発った時前後の状況を詳しく教えていただけませんか?」 「うむ。では、順を追って話し申そう」 「お願いします」 そう頷いた殿に、小沛が攻められる数日前からのことを話した。 敵の兵力と率いている者の名など。 話し終えた後も、暫くは殿からの質問に答えた。 それまから間もなく、殿が言う。 「失礼ですが、関羽さんは、この呂布軍からの攻撃がこのまま収束するとお考えですか?」 「いや。当然、拙者が曹操殿のところへ参じた時点で更に厳しいものとなるであろうことは、火を見るより明らかと考えている。だからこそ、急ぎ戻る必要がある」 「はい。ですが、このままいくと旅程は4日かかります。せめて3日半、欲を言えば3日に縮めたい…ですよね?」 そう言って、笑みを浮かべる殿。 正直を言えば、その通りだ。 だが、例え単騎とて、許昌から小沛までの道のりを四日で駆けるとなると簡単な話ではない。 それに加えて…。 「明日の午(ひる)までに定陶へ着くように駆けましょう。私も、早めに確認しておきたいこととか、色々あるんです」 邸での時の印象のまま明るく微笑む殿に、暫し、呆気にとられた。 「泣き言は言いませんから、先導をお願いします」 断るべきか、否か。 今の旅程でも、通常から考えればかなり強行であることは事実。 彼女のことも考慮すると、これでも十分であることに変わりはない。 だが、少しでも早く小沛へ、というのもまた事実なのだ。 殿を今一度見る。 変わらぬその笑みを見て、それから決断した。 「分かり申した。しかとついて来られよ」 「はい」 互いに頷きあう。 街道を一直線に駆ける。 傍らの気配に、ただ、礼を述べた。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) 一日の移動距離とか、割とふわっと計算して割増してるので深く考えない 無理ありそうとか考えない← 馬がんばれ 許昌から○○までの距離は面倒だったので某マップ上で算出してます 端折ってる話はそのうち短編?…番外?とかで出します 2019.03.05 ![]() |
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