一九七年 三月







     人間万事塞翁馬 75















「オーケイ、ありがとう。引き続き、お願い」



斥候を頼んでいる男の一人から報告を聞く。
晴れた日の、路地裏の一角。
通りすがりよろしく去っていく男をちらりと見てから、私は空を見上げた。

今回頼んでいることは、戦とは関係がない。
…巡り巡って、関係あるかもしれないけど、とりあえず直接的には無いかな。
まあ、杞憂だったらいいな、っていう程度なんだけど…、もしそうじゃなかったら…。
………、ううん、今は考えないようにしよう。
それを今考えてもどうしようもないもの。

無意識に首を横に振って、息を吐き出す。
後ろを振り向いて歩き出したそのとき、見知らぬ男に進路を塞がれた。
進行方向に二人、背後に回る男が一人。



「こんなところを女一人でふらついてるってことは、相手してくれるってことでいいんだよな?」



と、あからさまな男の物言いに、私は内心ため息をついた。
今日は動きやすい服で来たのにおかしいな、と思ったところで、そういえば今朝、周蘭さんに出くわして髪に飾りを着けられたんだった、と思い出した。

先日、行商が都であまり見ない髪飾りを並べていたので、これは似合う、と思って購入したんだと言っていた。
ついでに言うと、こういう類の飾りを私が一切持っていないので、この機会にもっと着飾ったほうが良い、と。
そんなこんなで、それを私の家まで届けに行こうと思っていた所、道端で遭遇して早速着けてくれた、っていうわけ。
周蘭さんのテンションが余りに高かったから断りきれなかったのよね。
ここに来るのに着けっぱなしにしてたのは、やっぱり失敗だったかな…。
治安もまだ良くはないか…。
いや、他の都市に比べたら良い方よね。
向こうと比べる癖がまだ抜けないな…。



「腕なんか組んで考え事か?随分と余裕だな」



男の言葉で我に返る。
完全に無意識だった、と両腕を解いた。
そして、顔を上げたその時。

前方の男二人の表情が変わったのと同時に、後方から男の短い呻き声が耳に届いた。
何事かと振り向き際、腕を掴まれそのまま駆け出す。
結構早い。
1月、2月ほどじゃないけど、耳を切る風はまだ冷たい。
駆けながら視線を上げると、帽子を空いた手で押さえながら走る背の高い男が私の腕を引っ張っているのが目に入る。
全体的に緑基調の装いの男だが、知り合いではない。



「えっと、あなたは?」

「いいから、いいから!そんなのあと!兎も角走って!」



こちらに少しだけ顔を向け男は言ったが、問題の顔は全然見えなかった。
ただ、セリフの割に緊張感の無い言い方だ、と思った。

尚も駆け続ける私たちの後方からは、さっきの男二人が怒声をあげて追ってきている。
路地は入り組んでいて、腕を引かれるまま走っているけど、大通りに出る道からはどんどん遠ざかっていた。
この人は多分、土地勘が無い。
と、頭の片隅で思う。

不意に立ち止まった男が今度は右へと走る。
そのまま更に細い路地へ飛び込むと、建物と建物の隙間の死角へと押し込まれた。



「ごめん、ちょっと我慢して」



言いながら、私に覆いかぶさるように男も身を隠す。
遠ざかっていく声が聞こえなくなってから暫くして男が言った。



「…ふう。どうやら行ったかな?さ、出よっか」

「…、…はい」



余りの密着具合に、私は顔を上げずに相槌を打つ。

恥ずかしい、とかそういうんじゃなくて、距離が近すぎて物理的に顔が上げられないのよ。
この人、こんだけがっしりしてて、よくこんなところに納まったわ。

なんてことを思いながら、私はその人に倣ってそこを抜け出した。
自分の服の埃を払っていると、帽子を被りなおしたその人が言う。



「君。あんなところに一人でいるなんて、あぶないよ。何も無かったから良かったものの…」

「あはは、…えーと、ごめんなさい。ところで、あなたは?」

「…それって、もしかして話題逸らそうとしてない?」



と突然のお説教もさておき、疑うような目で見てくるその人に、私は首を横に振る。



「いえいえ、滅相も無い。お礼を申し上げるのに、お名前を先にお聞きしたくて」

「いいよ、そういうのは。それよりも君、ちゃんと俺の言ってること分かってくれた?」

「勿論、肝に銘じます。もう、危ないところには一人で行かないようにします。助けてくださって、ありがとうございました」



頭を軽く下げると、絶対だからね、とその人は言った。

嘘吐いたようなもんだけど…、まあ、もう会うことも無いだろうし…。
嘘も方便……、って調子良過ぎか。
それにしても、過保護そうな人だ、と思う。

視線を上げて、その顔を見る。
じっくりは見れないけど、ぱっと見てもこの辺りの土地の人の顔付きじゃない。
どっちかっていうと西洋っぽい?
彫り深めだよね。
行商…って感じじゃないな…。



「ところで、行き成りで申し訳ないんだけど…、お願いがあるんだ。話、きいてくれないかな?」



そう唐突に、困り顔でその人は言った。
私は一度思考を停止してから思う。

ナンパ…って感じでも無さそうか…。

視線を上げたまま、笑みを作った。



「ええ、私で出来ることなら、構いませんよ。まずはお話、聞かせて下さい」

「ありがとう、それは助かるよ。…まず、俺は伯瞻。許昌(ここ)へは物見遊山で来たんだけど、まさかこんなに広いなんて思わなくてね。ざっくりでいいから案内を引き受けてくれそうな人を探してたんだ。こんなに大きいと、何から見たらいいのか分かんなくなっちゃって。出来れば君にお願いできないかと思ってるんだけど…勿論、そんな時間ないよって言うなら、無理にとは言わないよ」

「観光にいらっしゃった方だったんですか。…時間はありますから、これも何かの縁。私で良ければ、構いませんよ」

「え?本当かい?」



言って、彼はぱあっと顔を輝かせた。



「いやー!俺、すっごい嬉しいよ!ありがとう!」



と身体中でそれを表現している。
なんか、やたら楽しい人だな、とどこかで思った。
ああ、褒め言葉よ、当然。

そんな彼に、私は視線を上げる。



「そしたら、伯瞻さん。まずは大通りに出ましょう」

「うん、お願いするよ!…ところで、君のことは何て呼べばいい?」

って呼んでください。では、行きましょう」



それから私は、その伯瞻さんを伴って、大通りを目指した。
伯瞻って多分、字の方だよね。
なんていう疑問は、この際どっちでもいいか、と気にするのをやめた。










 * * * 










陛下がおわす都ってだけあって、活気が違うよね。
折角お休み貰ったんだから、若も一緒に来れば良かったのに。

そんなことを思いながら俺は、この子――の話に耳を傾けた。
あの路地に迷い込んだのは本当にたまたまで、だから、との遭遇も文字通り、たまたま。
そんな彼女に、物見遊山で来た事を伝えお願いしたら快諾してくれた訳だ。
断らないところを考えると、ちょっと危なっかしい気もするけど…俺としては感謝感謝の一言に尽きる。
とりあえず、一通り目ぼしいものを指差しながら解説をつけてくれる彼女には、物見遊山だという他に、これといってこちらからは具体的な要望は出していなかったんだけど…。
何というか、この子は楽しみの勘所をよく心得ているな、とそう感じた。
さっきは、こんな格好であんな所に居たものだから、どんなお転婆な子かと思ったけど話をしてみると、そうでも無さそうだ。
素直に返事はしてくれるし、噛み付いてくることも無い。
若もこのぐらい素直だったら……、おっと、悪口は良くないよね。
なんだかんだ言ったって、若にも素直な所はあるんだよ。

その時、視線を感じてそちらを見ると、が俺を見ている。
歩みを止めずに言った。



「どうかした?」

「いえ、失礼な質問だったらごめんなさい。伯瞻さんは、もしかして西の方からいらした方ですか?」



俺は思わず目を見開いた。



「よく分かったねえ!大正解だよ。でも、何で分かったの?」

「…、そんなに大した理由はなくて…、お顔付きがこの辺りの土地の方とはちょっと違うかな、と思ったので」

「なるほどねえー…、ん?ということは、は西…西涼の人とかと会ったことがあるの?」

「ああー、いえ。そういう訳ではないのですけど……、まあ、似たようなものですね」

「ふうん?」



苦笑いを浮かべる彼女に疑問は抱きつつも、俺はひとまず相槌を打った。
深く突っ込むほどのものでもないし、いいか、と思う。
自分だって字(な)しか教えていない。
若が一緒だったら別だけど、たまたま今日は一人。
物見遊山ついでに曹操殿のところがどんなか、視察しておいてもいいよね。
何があるわけじゃないけど。

曹操殿の計らいで、若の父君―馬騰殿―と韓遂殿はやっと休戦。
曹操殿には恩がある形だけど、この乱世じゃ今後どうなるか分からないし。
それだったら、今はやたらに名乗っておかない方がいい気はするんだ。
仕事柄の直感、ってやつ?
ちょっと、気にしすぎかな、俺も。

…まあ、それはさておき、直感って言うなら。



「ところで、君もこの辺が出身って訳じゃないよね?」



名の響きが、あまり耳にしない響きだ。
それから、少し不思議な雰囲気を纏ってる。
それが何かは分からない。

は笑みを浮かべた。



「はい、分かりますか?」

「うん。何となくだけどね。どこから来たの?」

「東…海を越えた先の島国から」



そう言って笑って見せた彼女が、一瞬遠くに感じられた。
本当に、ほんの一瞬だったが不思議な感覚だった。
だけど、まさかそんな遠くだとは思いもしなかった。
内心、気を取り直す。



「へえー、俺と全然、真逆だね!だけど、逆に気が合うかもね!」

「そうかもしれませんね。新鮮な気持ちって、きっと皆、同じはずですもの」



そうだね、と俺は相槌を打った。

目を細め何とも優しげな顔をするは、年相応に見えないと思った―年がいくつかは知らないけど―。
ただ大人びて見える、とかそういうことではない気がする。
それに加えて、島国出身だなんて、普通そういう出の者は奴隷として扱われたりするものだ。
だけど、彼女はどう見ても違う。
そういう翳りは見られないし、肌艶を見てもそことは無縁のように見える。
さっき路地で男たちをまいた時だって、微かに香ったのは上品な感じの香(こう)だった。
そんなもの奴隷として扱われる者はまず使わないし、使えない。
まあ、囲われてるって言うなら別だけど、からはそんな雰囲気も一切感じない。
そこから逃げ出してきた、という感じでもない。

――とはいえ、ここで詮索してもきっと彼女とはもう会うことも無いのだから、それに何の意味があるというんだろう。
色んな人がいるものだ。
そう思うことで、俺はその思考から離れた。

それからまた暫く案内をしてもらった。
恐らく、見る場所遊ぶ場所は殆ど紹介してくれたんじゃないかな。
ふとが足を止めて振り向く。
俺を見上げ、笑みを浮かべて言った。



「大体これで目ぼしい所はご紹介出来たと思います。他に興味のあるところはありますか?」

「ううん、とりあえず大・満・足!って色々知ってるんだねー!君に頼んで良かったよ、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして。かく言う私も、他の方に教えて頂いたんです。満足頂けたなら、嬉しい限りです」



そう言って、は笑みを深めた。
それを見ながら思う。
日はまだ高い。
けど、これ以上拘束するわけにもいかないよね。



「さて、君をこれ以上拘束するのも忍びないし…俺はそろそろ今日の宿でも探すよ」



そう告げると、は一瞬、きょとんとした表情を浮かべたあと、再度笑みを作った。
今度は俺が面食らう番だった。



「探す必要はないですよ。この通りは宿場通りですから」



そう言ってから、は後ろを少しだけ振り向いて、その先の一軒の宿を指で示した。



「おすすめはあそこです。皆さん愛想もよくて、サービスもすごく良いんです」

「さー…びす?」



聞いたことのない言葉だった。
思わず首を傾げると、は慌てて手を振る。



「ああ、いえ…えーっと、お客さんへの奉仕が細やかで行き届いてるんです。旦那さんも女将さんもすごく良い人ですよ」



そう言ってまた笑みを作った。
今まで余りに流暢に話すから気にもとめなかったが、島国から来た、というのだから郷(くに)の言葉なのだろう。
俺はそれ以上考えなかった。
ただ、の気遣いと優しさに感謝した。



「なるほどね!それじゃあ、そこにしようかな!がそこまで言うなら、そこが一番!」



笑みを返すに、俺もまた笑い返す。
が一拍置いて言った。



「…それでは、私はこれで。ありがとうございました」

「おかしなことを言うね。お礼を言うのは俺の方だよ」

「いえ。楽しい一日を過ごせましたし、元気をいただきました」



俺を見上げる彼女は、優しく微笑んでいる。
なんだか、不思議な気分だ。



「そう?それなら俺も礼を言うよ。のおかげで凄く楽しめたし、まだまだ楽しめそうだ。それに…」

「…それに?」

「こんなに荒れてる世の中で君みたいな子、俺は初めて会ったよ。まだまだ捨てたもんじゃないね、ありがとう」



そう伝えると、は少しだけ遠い目をして、どこか儚げに微笑みなおした。
深い意味はなかったが、彼女にとっては違ったように思う。
それが何かはもちろん、俺には分からない。

空を見上げた。
青空に雲が流れている。
に視線を戻す。



「ねえ。またね、って言ったら君はまた会ってくれるかな?



それこそ深い意味なんてない。
思いついたまま、そう言った。
は、ほんの僅か面食らったような顔をしてから、すぐに笑顔になった。



「はい。もし、また機会があれば、お会いしましょう、伯瞻さん」

「それは良かった!俺、楽しみにしてるよ」

「私も、楽しみにしています」



お互いに笑いあった後、俺たちは別れた。
去っていくの背を暫く見送る。
通りで人に呼び止められ話をしている彼女がまだ目に映る。
笑っている。
何人かとそうしている姿に俺は目を細めた。
不意に、彼女がこちらに気づいて視線を向ける。
笑みなおして俺に会釈を送ってから、再び歩き出したが雑踏に消えた。



「俺とは無縁のところで生きてそうだなあ」



後ろを振り返る。
宿の入り口が見えた。


――そして、翌朝。
宿を早々に出た俺は帰途につく。
許昌の正門を目指して通りを進んだ。
早朝からの人混みも流石、許昌だろう。

馬屋に預けた馬を引きながら暫く歩いていると、後方が少し騒がしい。
振り返って見てみると、女の子たちが塊になっている。
その中央辺りに、頭一つ分飛び出ている人影が二人。
一人はこちらから顔が見えるが、もう一人は後ろを向いていて顔は分からない。
…けど。



「へえ、いけてるう。あれが曹操殿のところの軍師、郭嘉殿…かな?噂通りの色男だねえ……、と手前は誰だろう?」



髪を高い位置で一つに束ねている。
それしか見えない。
片方は郭嘉殿で間違いはないだろう。
耳にした特徴と一致している。
ならば、もう一人は?
軍師と一緒にいるっていうことは…安直に考えて軍師仲間かな?
でも、荀家の二人でもなさそうだし…確かもう一人、満寵殿は背の高い偉丈夫だと聞いている。
だとするなら、少なくとも郭嘉殿より背が低い、ということはないだろうなあ。
最近降ったっていう軍師かな?



「おい、兄ちゃん!そんなとこで突っ立ってると邪魔なんだよ!」



そんな声が急に聞こえて後ろを振り向くと、目の座った男が立っている。
少し、酒臭い。
ここで面倒事は起こしたくはないね。



「ああ、ごめんよ。他所から来たから道がわかんなくてねえ。正門は、あっちでいいかな?」

「あったりめえだ、ぼさっとすんなよ」



ふらふら去っていく男を見送って、俺はもう一度あの二人の立っている方向を見た。
ほんの僅かの間に人混みが増して更に確認しづらくなっていた。



「ま、そのうち耳に入ってくるかな。若へのお土産も買ったし、とりあえず、帰ろっと」



馬を引いて正門を出る。
青空を見上げた。
雲の流れが少しだけ昨日より早いと感じる。
馬に跨り西涼を目指す。

それから、の噂をその名と共に俺が耳にするのは、まだずっと先のことだった。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


馬岱と接触させてみたかった、ただそれだけです
そして、字は伯瞻を勝手に採用しました
まあ、色々突っ込まない方向で
グダってる…?いえ、気のせいですよ

2019.01.10



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