身近に居た者が命を落とす 例え覚悟をしていようとも 悲しみに苛まれるのは世の常なのだろう 人間万事塞翁馬 73 典韋殿が亡くなられたと聞いたとき、は大丈夫だろうか、と頭を過ぎった。 の口から、典韋殿の話を聞く機会が何かと多かったからだ。 それに加え、典韋殿と共にいるときのは他の者と共にいるときに比べ、声を上げて笑っていることが多かった。 それだけ、気を許していたのであろう。 楽しそうに笑いあう二人に、皆、口元を緩めていたのは間違いではない。 主公が、まるで慈しむかのように目を細めていたことに気付いたのも、そんな二人を前にしていたときだった。 それがまさか、こんなことになろうとは。 その一報を耳にしてから、初めてを見たのはまだ宛城にいた時だ。 許昌へ引き上げるため後始末をしていたとき、偶然見かけた。 兵に何か指示を出しているようだった。 何か無理をしているようには見えなかった。 そこへ夏侯惇殿が現れて一言二言何かを告げたようだったが、その時も変わった様子は無く笑みを浮かべていた。 許昌に戻ると、どうやらは賈詡殿と同じ室で勤務するようになったのだと知った。 先日、宮城へ出向いたとき賈詡殿と話をしているを回廊で見かけたが、そこでも変わった様子は無かった。 賈詡殿が主公のご子息や典韋殿たちの仇なのだとあたる者も少なくはない中、他の者たちと同じように接しているは、やはり笑みを浮かべて話していた。 その場は直ぐ後にしたが、が何を思っているのかは分からない。 ただ、気がかりではあった。 ――邸に戻ると丁度、周蘭が籠を抱えこちらへ歩いてくる。 周蘭が私に気付いた。 「これは、お帰りなさいませ」 「うむ…、…それは?」 籠の中は蕗の薹のようだ。 それを見れば何となく想像はつくが、問うた。 周蘭は一度、籠に視線を落としてから顔を上げる。 「初物が入りましたので、様にもお届けしようかと」 「…そうか」 相槌を打ってから、一時視線を外し考えた。 それから、すぐに周蘭へ戻す。 「私が持っていこう。支度を」 「…はい!すぐにご用意いたします」 そう、周蘭は嬉しそうな笑みを浮かべて踵を返し、足早に邸の中へと入っていく。 そこまでの反応が返って来たことはいささか腑に落ちなかったが、周蘭がこと、の事となるとこのようになるのは今に始まったことではなかったので、それ以上言及するのはやめた。 ――孤児であった周蘭が、あれほどまでに年相応の表情を浮かべるようになったのも、の存在が大きいか。 李楡たちが共に勤めるようになってから明るくなったとは思っていたが、それでもその比ではない。 もしが急に居なくなれば周蘭の悲しみは計り知れないだろう。 そう考えると、同じように気を許していたであろう典韋殿があのようなことになってしまった今、は…。 は孤児ではないが……やはり、気がかりでならない。 支度を済ませ、周蘭から籠を受け取った私はの邸を目指した。 まだ明るい方だが、薄暗くはなってきている。 はもう帰っているだろうか。 そんなことを考えながらその邸に着くと、どうやら不在のようだった。 まだ、帰っていないらしい。 今朝会った時のことを思い出す。 があの時間帯に稽古場にいることを知った、もとのきっかけは兵の噂話だったが、まさか真実だったとは思っていなかった。 傍目には、常と変わらぬ。 だが、手合せをして分かった。 一手一手は確かに鋭く重い、一見迷いなどは感じられない。 だが、ごく僅かではあるが、らしくない粗さが端々に見受けられる。 籠を縁側に置く。 視界の端に入ったそれに気付き、見上げると夜露を避けるように干肉が軒下に吊るされていた。 「文則さん…!」 同時に、後方から声があがる。 振り向くと、が門の前、控え壁の辺りに立っていた。 「おかえり、」 「ただいま帰りました。…じゃなくて……、どうされたんですか?」 と、驚きながらも反射的にだろう、返したが直後首を横に振る。 二歩三歩と距離をつめるに、私は言った。 「周蘭から預かってきた。初物だそうだ」 言いながら、縁側の籠を手に取る。 近くまできたが籠を覗く。 「わあ、蕗の薹!こんなに沢山!…これをわざわざ私のところへ?」 「うむ」 頷くと、は籠から視線を外し、私を見上げ破顔した。 「ありがとうございます!嬉しいです、今年初めての蕗の薹!早速、天ぷらにします!文則さんも一緒に召し上がりますよね」 と笑顔を向けるに、断る理由など無く頷いた。 どうしますか、と問われることが無くなったのはいつ頃からであったか。 そういえば、典韋殿が亡くなられてからと夕餉を共にするのは初めてだ、と思い出した。 暫くして、が中へと招く。 一度考えるのを止め、一言断りを入れてから邸の中へと入った。 * * * * * * * * * * 酒を交えつつ、肴をつまみ、談笑をする。 と共に過ごす夕餉の時間はいつもそうだった。 無論、今日もそれは変わらぬ。 改良を加えたのだ、と”初物の天ぷら”に目を輝かせてそれを頬張るは常のそれと変わらない。 何事も無かったかのように、変わることが無い。 杯を口元に運ぶその姿を暫し見る。 手を下ろすところを見計らって言った。 「…ところで、郭嘉殿とはまだ棋の勝負を?」 は視線を上げ、杯を置きながら口を開く。 「はい。まだ勝てません。…というより、勝てる気がしません。今回こそいけるかも、と思うときもありますけど…それも、そういう戦略なんじゃないかと最近は何でも疑心暗鬼です」 そう言って苦笑するはやはり、常と変わらない。 から聞いた話だが、郭嘉殿からの提案で二十日程度に一度が勝ちを取るまで棋の勝負をすることになった、と。 無論、相手は郭嘉殿。 提案とは言うが断ろうとしたところ、ならば上司命令だ、と返されたとのことだ。 もう数ヶ月前のことだが、腑に落ちない、という顔をして杯を傾けていたのを覚えている。 そんなことを思い出しながら、もう一度に視線を向けた。 杯を両手で包むようにして下を見ている。 程なくして、が言った。 「私は…何も分かっていないんでしょうか」 呟くような問いだった。 まるで、自分にというよりも自身がその身に言っているような、そんな言い方だ。 をただ見つめる。 暫し、沈黙した。 それから私は言った。 「何が、分かっていないと言うのか」 再度沈黙する。 は視線を上げず、下を見ていた。 暫くして、言葉を探るようにして言った。 「私は、祖父が亡くなったとき、心のどこかで仕方が無い、と思いました。…すごく悲しくて、寂しくて、苦しくて、だけど医者には年齢的なもので心臓が弱っていると聞いていたので…、寿命なら仕方が無い、と…人なら、生きている限りいつかは死ぬんだから、仕方が無いと思ったんです。…けど、典韋さんは違った。どれだけ考えても、仕方が無いなんて思えなかった。…今も、思えない。病気じゃない、寿命じゃない、曹操さんを守っただけ…なのに、どうして死ななければならなかったの」 断りもなく、唐突に話を始めたのは普段のらしくはなかったが、不快だとは思わなかった。 私は、ただそれに、耳を傾けた。 ただじっと、を見る。 僅かに俯いたその表情は、見え難い。 炭の弾ける音がした。 ほんの一時、火種が燻る音だけがそこに満ちる。 が言う。 「…私も、同じように人を殺めます。間接的にも、直接でも…残される誰かを苦しめること、相手の全てを奪うこと…覚悟はしています。賈詡さんの策で張繍さんの軍が動いて曹操さんの命が危険に晒された、それが元で結果的に典韋さんが命を失ってしまった、それは事実です。けど、私がもし賈詡さんの立場なら、とふと思ったとき…、私も同じことを考えるかもしれない、と…そう思った…」 「………」 「…例えば誰かが、賈詡さんが仇だと、そう言ったとしても私にはそう思えない。無理をするわけじゃなく、そうは思えないんです…。…誰かのせいじゃない…きっと、誰のせいでもない…。それでも、生きている限り死ぬのは仕方の無いことだ、とも思えない……、どうして典韋さんは死ななければならなかったの。ずっと、…ただ、ずっとそれだけを思ってしまう。…、…それは、そう思うのは、私がまだここのことを何も知らないからでしょうか」 その両の手に力が篭る。 続けるその声音は細く弱い。 「…、…悲しくて、苦しくて、寂しいと思うより、ずっと辛くて…けど、泣けない。…私は、どうしたらいいの。このままじゃダメだと思っても、どうしたらいいのか分からない…。それは、私がまだここのことを、何も、知らないからでしょうか。もっと、何かを知ることが出来たら、解決できるんでしょうか…」 即答は出来なかった。 が自分から、その胸の内をここまで話すことは稀だ。 特にこの手のものは殆ど話すことが無い。 沈黙が流れる。 私は、今伝えたいと思ったことだけを、伝えることにした。 「…私の考えが、の求める答えかは分からぬが…、何かのために涙を流すこと、一時そこで立ち止まることは、何も悪いことではない。一度立ち止まり、悩み、深く考えることが重要なこともある。答えはその時出せずとも、それで良いのだ。然るべき時に道を見失わなければ」 は俯いたままだ。 また、一人で何か考えているのだろうと思った。 ふとしたとき、の話を聞いていると、やはり自分たちとは違う世間で育ったのだろう、と思うことが間々ある。 自分たちが気にせぬことを気にしたり、周蘭達からの話を聞いていてもそう思う。 だからといって、それが悪いことだとは思わぬ。 全てを理解することはできぬが、多少考えを巡らせれば、理解できぬことも無いわけではない。 ――それでも、やはりこういうことは、自身の気質のようなものだろうと思う。 「は、優しい…いや、優しすぎるのだな」 が徐に顔を上げた。 見返すその瞳の色は弱々しい。 油燈の灯りが影を揺らすと、一層弱々しく見えた。 「いや、それが悪いと言っているのではない。…そこに皆、知らず知らずの内に救われているのだ。きっと典韋殿もそうであっただろう。…救われる、というのは少し大袈裟かもしれぬが…、だからこそ典韋殿もと同じように笑っていたように思う」 「…そう、でしょうか」 「納得できぬのであればそれでもいい。だが、少なくとも私はそう思っている」 「だったら、すごく、嬉しいです。誰かの笑顔の、一つの切欠になれていたなら…」 再度俯く。 数拍置いてから、不意にが言った。 「…今はまだ、どうしたらいいか分かりませんが…」 そこで一度言葉を区切った。 視線を上げ、が私を真っ直ぐに見る。 「お話、聞いて下さってありがとうございます」 そう言って、は優しげに笑みを浮かべた。 私はただ、頷く。 今日のこの出来事が、にとってどうか良いものであるようにと願った。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) 落とし所をどうするのかいつも悩む… 考えすぎると手が止まるので 考えないようにしているのが敗因ではないかと思われる… とりあえず、于禁落ちでいいんじゃ← ウチの于禁さん、割と聞き分けの良さそうな感じですけど もっと不器用で厳しい感じの于禁も好きですよ(何 2018.12.27 ![]() |
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