人間万事塞翁馬 66















中に入ってから、郭嘉殿が女将に新人を見たいと告げると、二階の最奥の部屋にいるからどうぞ、と返ってきた。
この際、郭嘉殿の顔がやたら通っているだとか、用が済んだらゆっくりしていってくれだとか言われたのは、おいておくとしよう。
先を歩いていた郭嘉殿の足がある扉の前で止まる。
私を振り向いて言った。



「さて、この部屋だ。この階では一番の上部屋…準備はいいかな?満寵殿」

「…準備も何も、何の準備だい?」

「心の準備だよ」

「いつでもどうぞ」



呆れて返すも、実際本当にだったら…いや、ないだろう…と、信じたい。
郭嘉殿が扉を開ける。
中に入ると上部屋というだけあって、大層な寝台と調度品の数々が視界に飛び込んでくる。
独特の甘い香の残り香が、僅かに眩暈を呼び起こした。

この匂い…やはり苦手だ…。

と思いながら、窓の手前でこちらに背を向ける件の妓女へ郭嘉殿が部屋の中を進みながら声をかける。



「君が最近話題の子、だよね?相手を取らないのに客を楽しませる術をよく心得ている、と評判の…是非、私の相手をしてくれないかな?」



…本当に調査が目的か?

と、私は郭嘉殿の背を見ながら目を細め、その横、一歩後ろに立つ。
そのとき、視線の先の妓女がこちらをゆっくりと振り向いた。
その横顔、それからこちらを向ききった姿を見て、思わず見惚れる。
妓女が美しいというのはよくあることだが、ここまでの妓女は見たことがなかった。
妓女らしさを感じない、というとおかしな話だが、ともかく綺麗な人だ。
化粧もして飾り立ててはいるが、それだけじゃない。
それに負けない何かがあるのだろうと思う。



「これは、驚いたね。君ほどの人をこの私が見落としていたなんて」



郭嘉殿がそう言ったとき、改めてその妓女を見て私はあることに気づいた。
彼女が手にしている紙束と筆。
それは見たことがある、いや、よく目にしているもの。
それは、間違いなく…。



「え?郭嘉さんと伯寧さん?何で二人揃ってここに…、……あ、もしかして、まさか…お二人とも、最近流行の…」



そう言って、彼女――は口元を手にしていた紙束で隠した。

最近流行の、って…。
もしかしなくても、とんでもない想像を…。



、流石に私はそっちの趣味はないよ。満寵殿は分からないけれどね」

「そういう誤解されるような言い方、やめてくれないかい?私もそっちの趣味はないよ」

「なんだ、びっくりしました……最近流行ってるって言うので、てっきりそうなのかと」



すかさず返すと、は言いながら紙束を下ろしてほっとしたような表情を見せた。

全くとんでもない想像をしてくれたな、と思う。
同時に、そんなものが流行っていることを呪いたい。
何が流行っているかなんて、説明はしないよ。

そんなに郭嘉殿が近づいて言った。



「それより、…本気で私の相手をしてくれないかな」

「嫌です」

「…郭嘉殿、そうじゃないだろう。全く君は…」



私は郭嘉殿を横目で見てからを見る。
筆を筆入れにしまい、紙束に挿みながら呆れた顔をしているに向かって言った。



…何で君がこんな所でそんな格好をしているんだい?」

「それ、どっかで聞いたセリフ…ああ、いえ、こっちの話です」



そう言って、私を見上げるはいつものと違う顔。
だと分かってから胸を打つ鼓動が無駄にうるさい。

が言う。



「これには理由が…」



そうが言ったとき、下階から何か大きな音がして、それから男の怒鳴り声が響いた。
思わず扉の方へと視線が向く。



「やっと来たわね…ごめんなさい、これ持ってて下さい!」

「あ、ちょっと、!まだ話が!」



から紙束を押し付けられ、私はそれを手に扉の向こうへ駆けていったの背を見やった。
似たようなことが以前にもあったな、と頭の片隅で思い出す。



「満寵殿、私たちも行こう。あれこそ、がここにいる理由だろうからね」

「言われなくても、そうするよ」



私はに渡されたそれを懐にしまって、郭嘉殿に倣うようにの後を追った。










 * * *









一階の、出入り口前の広間に通じている階段まで来ると、それはすぐに視界に飛び込んできた。
体格のいい壮年の男と対峙するように立つ
そして、男の足元で伸びている一人の男。
それを遠巻きに囲む人だかり。
壮年の男が言った。



「俺んとこのが迷惑かけたようだな」

「部下の指導は徹底してもらいたいわ。こういう所で見せるべき男(もの)はどういうものか、ちゃんと教えてあげてちょうだい」

「ふん、言うな姉ちゃん。あんまり生意気言うと姉ちゃんにも教えてやんないといけなくなるぜ」

「何を教えてくれるのか知らないけど、丁重にお断りするわ。それよりも私…あなたはもう少し礼儀をわきまえた方だと思っていたのだけど、勘違いだったかしら」

「…俺のことを知っていると?」

「さあ、どうかしら」



二人の会話を聞きながら、横に並んだ満寵殿が呟くようにして言った。



は、何を言っているんだ?」

「さあ、分からないけれど…恐らく何かを動かしたね」



それに満寵殿からの返答はなかった。
男が言う。



「あんた、ただの妓女(おんな)じゃねえな。どこの者(もん)だ」

「どこも何も、私はここ、許昌の人間よ。出身はここじゃないけど…まあ、ただの一般人。あなたと同じ、ね」

「…ふん、食えねえ姉ちゃんだ。まあ、俺はこいつを追い返したヤツの顔を見たかっただけだ。こいつはどうしようもねえからな。ここに何かしようって気は更々ねえ。てめえの落とし前ぐらいてめえでつけろ、ってことだ」



言って、男は足元に転がる男を軽く蹴った。
それからに視線を戻す。



「だけどな、俺が恥かいたことに変わりはねえ。この落とし前はどうつけたもんかねえ…」

「……」



無言のに、男は口角を片方だけ上げて笑った。



「まあ、だがな。あんたのことも俺は気に入っちまった……なあ、あんた、俺と勝負しねえか?」



それにもは無言だった。
恐らく視線だけで返したのだろう。
満寵殿が神妙にしながら言う。



「勝負…あの男、何をするつもりだ」

「さてね。あまり、いい予感はしない、かな」



と言いながら、傍観を決め込む私は薄情だろうか?

男が言う。



「俺と勝負をして、俺が負けたら大人しく去る。俺が勝ったら、あんたは俺の女になる」



満寵殿の呆れたようなため息が耳に届いた。
同感だった。

が言う。



「もし、私がその勝負とやらを断ったら?」

「それはさせねえ。そうなったらここは無くなる」



声を低くしてその男は言った。
二拍ほどおいて、が唐突に笑い声をもらす。
それから腹を両手で抱えるようにして、声を上げ笑った。



「ははは、さっき何もしないって言ったばかりなのに?人ってどこ行っても、本当に変わらないのね。自分の欲の為にすぐ手の平を返す、まったくおかしいわ」



唐突に言ったの言葉の真意は分からない。
しかし、ただの演技とは思えなかった。

が続ける。



「いいわ、そういうの嫌いじゃない。けど、私はしたいと思わない。だから、私はあなたとちゃんと約束するわ。その勝負、私が負けたら私はあなたの女になる。そして、私が勝ったらあなたは何もせずここを去る。もし約束破ったら、あなたには針千本飲んでもらうから覚悟してちょうだい。逃げられると思わないでね」

「ああ、いいだろう」



横から再びため息が聞こえた。
の声が耳に届く。



「それで、何の勝負をするの?」

「六博」



六博は基本、頭を使うが運も大きな鍵を握っている遊びだ。
それに、いかさまをしようと思えばいくらでも出来る。

私は満寵殿を見た。



「満寵殿、行こうか」

「ああ」



相槌が返って来た。
同じところへ考えが至ったらしい。
階段を下りながら、の声を聞く。



「オーケイ。いいわ、やりましょう。但し、いかさましても針千本飲んでもらうわ」



その後ろに立ってから、私は男を見て言った。



「その勝負、私たちが検証させてもらおうか」



がこちらに視線を向けたが、私は気にせず男を真っ直ぐに見る。
男が訝しげに、睨むように私を見返した。



「お兄さんらは?」

「彼女の友人ってところかな。ああ、安心して欲しい、私も彼女の本気が見たいから、仮に彼女がいかさまをしても目を瞑るつもりはないよ。ま、彼女に限ってそんなことはしないと、保障もするけれど」



男が満寵殿に視線を移す。
満寵殿はといえば、隣でただ肩をすくめた。



「ふん、いいだろう。兄さんらの好きにしな」



男のその言葉を聴いてから、私は店の者に六博と卓、それから酒を準備するように指示を出す。
間もなく準備されたそこへ六博を前に、男とが向かい合い、椅子に腰掛けた。
使う道具については満寵殿が検分する。
十八面ある煢―さいころ―を卓に置きながら、私の向かいに立つ満寵殿が言った。



「これも大丈夫だ、おかしな所や仕掛けは何もない」

「うん。これで全て白だね。さて、それじゃあ…」

「あ、ちょっと待って下さい」



そう言って、が唐突に手をあげた。
私、満寵殿、そして男がを一斉に見る。
はそれを気にした風もなく、その傍らへ歩み寄ってきた妓女から一尺四方の木箱を受け取り卓に置いた。
男が言う。



「それは?」



はふわりと笑みを浮かべ、返した。



「さっき約束したので用意させました。目の前にあった方が、実感湧くでしょう?」



言って、木箱の蓋を開け中が見えるように少し傾けてみせる。
そこに見えたのは大量の針。
も中々にやる、と思いながら男の声を聞く。



「…あんた、やっぱタダもんじゃねえな…そんなもん、さっきの今でどうやって用意させた?」

「それはトレードシークレット、企業秘密です。さ、はじめましょう?」

「ふん…変わった言葉を使う姉ちゃんだ」



蓋を閉め、笑みを浮かべるに男はそう言った。
そんな二人を、私は交互に見る。



「では、煢を振って先攻後攻を決めてもらおうか」



男がに言う。



「あんた先に振りな」

「…そう?いいんですか?なら、お言葉に甘えて」



言って、が煢を振る。
卓の上で転がり、止まった。
出た目は媿。
この目ともう一つ、驕の目は、一回休みと酒の罰を受ける目だ。
思わず満寵殿と顔を見合わせてからを見た。



「あら、いきなりか…」

「…あんた、引きが強えな」



そう言って男が煢を手に振る。
出た目は十一。



「俺が先攻だ」

「…もちろん、私が後攻…、…で、そのお酒ください」



酒で満たされた杯をに渡す。
はそれを受け取ると、一拍置いてから一気にあおった。
湿る唇を舌先で拭うその仕草が、いつもと違う雰囲気のせいか、より色っぽく見える。
本人に自覚は無いのだろうけど、まるで誘っているかのようだ。
空の杯を逆さにして見せる。



「さあ、さくっと進めましょう。あなたの番です」



笑みを浮かべるに、男は口角をあげて見せる。
煢を手にし、それを振った。
私は再度に視線を戻してから、二人の勝負の行く末を見守ることにした。









 * * * 









「勝負あったね」

「俺の負け、か…」



郭嘉殿の言葉に続けて男はそう呟くように言うと、がっくりと項垂れた。
が言う。



「約束どおり、何もせずにお帰り下さいね」



満面の笑みだった。
それにしても、あれだけ媿の目を出しておいてこうも見事に勝ちを取るなんて、改めても中々やるな。
まあ、郭嘉殿との棋の勝負を思い出せば、当然といえば当然、か。
そんなことを思いながら、私は頭を掻いた。
男が顔を上げ、に言う。



「ああ、二言はねえ。大人しく帰るぜ。まったく、あんた…いや、いい。じゃあな、騒がせて悪かったな」



言って立ち上がり、背を向けた。
もまた、その場に立ち男の背に向かって言う。



「いいえ、いい勝負でした。ありがとうございました」

「…あんた、本当に食えねえな。そこの兄ちゃんちも大変なこった。じゃあな」



そう言って去っていく男に、首をかしげるの姿が目に入る。
郭嘉殿が無言のまま、肩をすくめた。



「本当に助かったよ、ありがとう」



女将がに歩み寄ると、そう言いながらその手を取った。
されるがまま、が言う。



「いいえ、返って騒がせました。すみません」

「いいんだよ、そんなことは」

「そう言ってもらえると助かります。あの男はもう、ここで暴れることはないでしょう。それは保証します」



言って笑みを浮かべるを見て、女将は目を細めた。



「本当、様は不思議な方だ…もう、ここには来てはくれないのかい?」

「…まあ、そういう契約でしたし。本職を疎かにもできません」



は苦笑いを浮かべる。
そこへ数人の妓女たちがの下へと詰め寄った。
を見上げ、勢いのまま次々に言う。



「なら!私たちを買いに来て下さいませ!」

様になら!」

「私も!」

「うん…え、は!?」



生返事を返したのも束の間、素っ頓狂な声をあげ、うろたえる
音もなく私の横に並んだ郭嘉殿が言った。



は本当に罪作りな人だね。ここにいい男が二人もいるって言うのに、どう思う?満寵殿」

「……どうも思わないよ。勝手に人数に入れないでくれるかい」



郭嘉殿を見ずに、それだけ答えた。
の手を未だに握っている女将が妓女たちに向かって言う。



「あんたたち、様を困らせるんじゃないよ」



その言葉に、下がっていく妓女たちを確認して、再び女将が口を開く。



「でも、この子達の言うとおり、様なら特別に通すからいつでも来ておくれ、ね?」

「…ええと、はい…ありがとう、ございます…?」



満面の笑みの女将に、は困ったような笑みを浮かべ首をかしげた。















つづく⇒



ぼやき(反転してください)


いつものことだけど、詰め込みすぎ
六博のルールは(も、か…)かなり、いい加減です
こうだったら面白いかなー、という独断で設定したのでご容赦を

2018.11.21



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