自分にはどうしようも出来ないことなのか そう思ったとき、自分の無力さを呪いたくなった 彼女のように一歩を踏み出すその勇気が、自分にもあったなら 人間万事塞翁馬 64 「以上、今月はこの方針で行く…それから、そなたに話がある。他の者は下がって良いぞ」 ぐるりと見渡して、主公はそう告げた。 言葉通り、殿以外の者は皆、拱手して扉の開け放たれた評議室を後にしていく。 そのまま回廊を行こうとしていたところを、唐突に腕をつかまれ止められた。 隣の公達殿も同様で、後ろを振り向くと郭嘉殿が笑みを浮かべている。 そして、言った。 「がどこに配属されるか聞いていこう」 「郭嘉殿…また盗み聞きをなさるおつもりですか?」 「曹操殿は下がれとは言っていない、下がって良い、と言ったんだ。ね?満寵殿」 郭嘉殿が私と公達殿の後方へ視線を投げる。 そちらを見ると呆れ顔の満寵殿が腕を組んでいた。 「確かに君の言うとおりだけどね…」 「、もう少し近くへ来い」 俄かに主公の声が耳に届き、次いで殿の短い返事が聞こえる。 僅かに声を潜め、郭嘉殿が言った。 「どちらにしても後で分かることだ。今ここで聞いても変わらない、違うかな?」 誰ともなく溜息を吐いて、結局私たちは郭嘉殿の提案通り、回廊で主公と殿の話を聞くことになった。 この時間帯はまだ僅かに肌寒いと感じるが、確実に温かくはなってきている。 鳥のさえずりを聞きながら、耳を傾けた。 実のところ、気にはなる。 殿の配属先…、主公がどうお考えなのか。 主公の声が耳に届く。 「さて、。残ってもらったのは他でもない、そなたの配属先を正式に伝えようと思ってな」 「はい」 「…だが、少々困ったことになった」 「困ったこと、ですか?」 「うむ」 「…と、おっしゃいますと?」 「…正直なところ、そなたをどこに配属すれば良いか、決めあぐねておる」 「それは、私の能力では足りない、ということでしょうか?」 「いや、その逆よ。そなたが優秀すぎて迷うておるのだ」 ほんの僅か沈黙する。 どんな表情で二人が対峙しているのかは、当然分からない。 再び主公の声がする。 「そこでだ、。配属先については、そなたの望むところに決めようと思ってな」 「私の、望むところ…」 「さよう、どこでも構わん。例えば…戦場に出ることを望まぬのであれば、内政に従事することもよかろう。逆に武官を望むのであれば誰ぞの副官についてみるのも良いな。更にその上を望むのであれば、一軍をさずけても構わぬ。如何だ?。そなたは何を望む?」 しんと、空気が静まり返る。 他の三人もそれぞれ一様に主公と殿の会話に耳を傾けている。 誰一人、一言も発しなかった。 殿は何を望むのだろう。 何をしたいと思っているのだろうか。 「今決まらぬのであれば、あとでまたわしのところへ来い。急かすつもりは無い」 「……いいえ。いま決めます、というより、もう決まっています」 「ほう。ならば聞かせよ。何を、どこを望む?」 それははっきりと、静けさの中で更に静かに耳に届いた。 「私は、このまま郭嘉さんの下で従事することを望みます」 思わず、郭嘉殿を見た。 公達殿と満寵殿も同じようだった。 ただ、当の郭嘉殿はといえば、腕を組んでどこを見るでもなく耳を傾けている様子だ。 表情はいつもと変わらない。 何を感じたかまでは分からなかった。 主公が言う。 「それは何故だ?理由を聞かせよ」 「はい、単純なことです。まだ私は郭嘉さんの下で学ぶべきことが、この手に余るほどあります。それを中途半端なまま投げ出して他に手を付けるということが、私の中では許せない……ただそれだけの…そういう至極、自分勝手な理由です」 「…ふふ、らしいね」 郭嘉殿がそう呟いた。 主公が言う。 「そうか、分かった。ならばこれより、。そなたを正式に郭嘉付きの官とする。また、以後は我が軍の軍師として扱う、良いな」 「私を…軍師と見て下さるのですか?」 「そなた程の才あらば当然よ。わしはそなたのこと、信頼しておる。無論、その武も頼みにする故、そのつもりでな」 「…もったいないお言葉。心から感謝申し上げます。より一層、励みます」 私には、これが最善なのかは分からなかった。 殿にとっては、最善だったのだろうか。 「、辛くはないか?」 主公が、唐突に殿へ問う。 殿が笑い交じりに言った。 「おかしなことを聞くんですね、曹操さん。以前も申し上げたとおり、大なり小なり辛いと思うことはあります。けど、それは向こうにいてもここにいても変わりません。そういう小さいこと抜きにすれば、辛いと思うことはありません。皆さんがいて下さいますから」 そこで一度、殿は言葉を区切る。 それから続けた。 「私がここにいることを認めて下さる皆さんがいるから、辛いことなんてありません」 思わず、口元が緩んだ。 声音から、殿のあの笑みが想像できたから。 そんなつもりがなかったとしても、どうしても口角が緩んでしまう。 それはきっと、主公も同じはずだった。 「ふ、そうか。これからも頼む、」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 それから暫くして殿が評議室から出てくる。 私たちに気づき近くまで来て歩みを止めると郭嘉殿に向かって拱手し、言った。 「改めて、よろしくお願いします」 「こちらこそ。ところで、」 「はい」 「確認しておきたいことがあるのだけれど、ちょっといいかな」 「ええ、もちろんです」 殿がそう答えると、郭嘉殿が殿に背を向ける。 一歩踏み出してから私たちをを見て言った。 「もし聞きたかったら、付いてきてくれて構わないよ」 言って郭嘉殿が回廊を進み、殿がその後ろを追う。 郭嘉殿の目は、暗に聞きに来いと言っているようで、結局私たちは二人の後を追った。 * * * * * * * * * * 人気のない東屋で郭嘉殿が立ち止まり殿を振り向く。 数歩先の郭嘉殿を殿が見つめている。 郭嘉殿が口を開いた。 「さて、。君に質問したいことがある」 「はい、何でしょうか?」 言ってから、郭嘉殿は数拍黙ったまま殿を見る。 柔らかく笑みを浮かべているが、その眼は射抜くように鋭い。 郭嘉殿は殿に何を聞くつもりなのだろうか。 「これは、軍師に限ったことではないけれど…より多くの情報を誰よりも早く入手し、その中からより正確に必要なものを取捨選択するということは、軍師が策を練る上で重要なことだと私は考えている。多分、これはも同じだと思う」 「はい」 「…君は、独自の情報網を持っている、よね?」 「…ええ。確かに、郭嘉さんの言う通り、情報の入手先はいくつかあります」 辰の初刻を告げる鐘が鳴る。 僅かに風がそよいでいる。 郭嘉殿が言った。 「それ…どの程度、信頼していいのかな?」 「中々シビアな質問ですね…ああ、厳しいってことです」 と言いつつも、殿は涼しい顔をしている。 そして、穏やかに言った。 「そうですね…まあ、私もその入手ルート開拓するのに、それなりに身体張りましたし、かなり苦労はしましたから…そういう意味でも彼らのこと、信頼してます。それをどこまで郭嘉さんが信じるかってところでしょうか」 「その相手、教えてくれないかな」 「それはできません」 そう、殿はきっぱりと言い放った。 郭嘉殿の眼光に、鋭さが増す。 「上司の命令でも?」 「はい、できません。そういう契約ですから無理です。それに…」 そこで殿は腕を組み、ごく明るい声音で続ける。 「郭嘉さんならそのぐらい、調べようと思えば調べられますよね?というより、寧ろもうご存知のはずです」 「意外だね。なぜ、そう思うの?」 「もう私の耳に入っているからです」 ただ私たちは、二人の会話に耳を傾ける。 こんな話を始めたこと自体が驚きだが、殿の一言一句にも驚かされる。 いや、恐らくそういうものを既に持っているだろうことには既に気づいてはいた。 何故なら軍議の時、驚くほど情報を持っているから。 だが、こう目の当たりにすると、また話が違う。 殿は一体、何手先を読もうとしているのだろうか。 郭嘉殿が言う。 「それは、どういうこと、なのかな?」 「そのままです、言葉のまま。最近私のことを探っている人間がいるから気をつけろと、忠告を受けていたんです。まあ、それが誰かまでは流石に行き着かなかったみたいですけど…その報告受けた話から、何となく郭嘉さんなんじゃないかと思ってました。私まだ、周囲に標的にされるほど名前知られてないですし、敵に探られているというよりは、味方に探られている、という感じがしたので…もしかして、と思っていた。そういうことです…、まあ、どちらにせよ今後はもっと掴まれないように工夫する必要がありますけど、例え味方でも」 それから、暫く二人はそこでただじっと、視線を交わし立っていた。 唐突に郭嘉殿の眼光が緩む。 郭嘉殿が先に口を開いた。 「流石、。そこまで分かっているなら言うことはない、合格だよ。試すような真似をして悪かったね」 「いいえ。曹操さんに私の意思を伝えた時点で、きっと何か試されるんじゃないかと思っていたので、構いません。郭嘉さん、結構仕事はシビアな方ですものね」 そう言って、殿は笑みを浮かべた。 郭嘉殿が二拍ほどおいてから瞼を伏せる。 それから目を開け、言った。 「そこまで分かってくれているのなら、何よりだよ」 そんな二人を見て、私は複雑な気分になった。 この二人は、なんだかんだで相性がいいのだと。 そして思う。 殿にはやはり、戦に関わるようなところにはいて欲しくない、と。 例えそれが、主公にとって最善だったとしても。 「文若殿…殿が決めたことです。我々が入る隙はありません」 声がした方へ視線を向けると、公達殿が私を見ていた。 殿に視線を戻す。 「ええ、分かっています」 笑みを浮かべるその顔を見た。 …だからこそ、悔しいと感じ、少し寂しいと感じる。 あなたは強すぎるぐらい、強い方だ。 郭嘉殿と共にこちらへ歩いてくる殿に、私は笑んで返した。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) 何か、失恋っぽく書いてますけど… 関係ないです、勘違いです 2018.10.26 ![]() |
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