薄々気づいてはいる

ただ見守って居たいだけ

それとは違う思いが確かにある

いまは気づかないままでいたい







     人間万事塞翁馬 54















よりも一歩先を歩きながら、通りを進む。
触れれば異常だと感じるぐらいの高熱だというのに、本人に自覚が無いというのがどうも解せない。
何となく嫌な予感がする。
そう思いながら空に視線をやると、雲が厚くかかり始めていた。



「伯寧さん」



が唐突に呼ぶので、歩は止めずに顔をそちらへ向ける。
私の隣に並ぶように、ほんの僅か歩を早めたが私を見上げた。



「伯寧さんは今日、出勤日だったんですか?」



のその問いに、私は視線を向けて答える。



「いいや、今日はもともと休み。けど手詰まりになった案件があってね、それをさっきまでやってたんだ」

「…忙しそうですね、終わりそうですか?」

「ああ、お陰様で無事に終わったよ。これでまた、明日からは気持ちよく次の仕事にかかれるってものさ」

「それなら一安心ですね」

は明日が休みなんだっけ?」

「はい、そうです…そういえば、そろそろ上巳ですね…」



そう言って、何かを考えているらしいを見て、私は釘をさす意味で言った。



…明日は大人しく邸で一日休むこと、いいね?」

「…私、まだ何も言ってませんけど……」

「それなら、明日どうする気だったか教えてくれるかい?」

「…大人しく休んでます……」



目を逸らして答えるを見て、私は溜息をついた。
何をするつもりだったのかは知らないけど、釘させただけでもよしとしよう。
そう思っていると、の邸の門が見えてくる。
私はもう一度に視線を向け言った。



「正直なこと言うと、世話する人が一人もいない君の邸に一人っきりにするっていうのは如何なものかと思ってはいるんだ。本当は私の邸にでも来てもらいたいぐらいなんだよ。その熱の出方はどう考えたって異常なんだからね。普通に考えても、そうやって過ごせてること、そのものが異常だって言ってもおかしくは無い」

「伯寧さんの言いたいことは何となく分かります…でも、そんなご迷惑掛けられませんし、ともかく大人しく寝てますから。一人で生活してるっていう点では、向こうにいた時もそうでしたから、ご心配なく。ゆっくり休むって約束します」



そう言って、笑みを浮かべるに私は返す言葉が見つからず、ただ閉口した。
の邸の門の前に着く。
が門をくぐりながら、短く声を上げこちらを振り向いた。



「伯寧さん、お借りしていた書を今、お返ししても良いですか?」

「ん?ああ、いいよ。もう写せたの?」

「はい」



二巻だけの書じゃ、すぐに写してしまうか、と思いながらの笑顔を見る。



「すぐ持ってきますね」

「いや、そこまで一緒に行くから、そんなに焦らなくていいよ」



の近くへ歩み寄る。
それから邸へと歩き出したの後ろについて歩いた。
邸の扉に向かう途中、冷たい風が吹く。
が立ち止まって、唐突に空を見上げる。



「一雨きそうですね…風が冷たい」



それから私の方を振り返った。



「ちょっと、急ぎますね」



そう言って早足になったが邸の扉を開け、私を中へと促す。
一歩中へ入ったとき、それはまた唐突に耳に届いた。



、息災でおるかね」



背後からの声に振り向くと、扉の外に後ろ手にして立つ左慈の姿。
思わず後方に二歩退いたとき、さらに背後から再び声がする。



「約一年ぶりであるな」

!こっちへ!」



振り向いたと同時に、扉が勝手に閉まった。
私は咄嗟にの手を引き自分の後ろへそのまま誘導して左慈と対峙する。
前と同じようにはいかせるものか、そう思ったのと同時に、の体温が更に上がっていたことに気づいた。
ただの疲労や体調不良だとは、愈々思えなかった。

私の後ろからが言う。



「何しに来たの?まさか前みたいに顔見に来たとか言うんじゃないでしょうね」

「前みたいに…?」



私は訝しんでに視線だけ向ける。

そういえば、左慈はさっき一年ぶりとか言ってたな。
それだと、私の記憶と合わない…。
そう思っていると、が言った。



「ええと、ちょうど一年前の上巳の日に文則さんと遠乗りに出かけたことがあって…その時に言われたんです、顔見に来たって」

「なるほど」



左慈に視線を戻すと、一拍ほど置いて左慈が言った。



「警告に来たのだ、

「…また私の頭の中読んだわね…しゃべってもいないのに会話が成り立つの気持ち悪いからやめて、って前にも言ったわ」

「ならば、そなたもこの術を見につけてみるのはどうかね?この小生が手ほどきしよう…だが、その前に」



左慈はそこで言葉を区切ると僅かに顎を引き、上目遣いに覗き込むような視線を向け言った。



「このままでは、そなた命を落とすぞ」



その時、どこかで雷鳴がした。
強い風が戸をがたがたと揺らす。

いま、左慈は何と言った?
が命を落とす、つまり死ぬといったのか?
まさか、この高熱と関係が?
いや、そうに決まってる。



「どういうことだ、左慈。その話、詳しく聞かせてもらおうか」

「…は、伯寧さん……?」



自分が思っていた以上に、出した声は低かった。
が戸惑ったように私の名を呼んだが、背で聞くだけに留めた。

左慈は目を細めてその鬚をゆったりと扱いている。
風の唸る音が聞こえる。



「良いだろう、話して進ぜよう。小生も娘の死を望んでいる訳ではない故な」



左慈は徐に鬚から手をはなした。
手を後ろに組み直し、再び口を開く。



「さて、。問題はそなたにある」

「私…?」

「さよう。そなた、この一年以上、力を使うばかりで気を養う術を一度も行っておらぬであろう」



私はその言葉に不審を抱いた。
は一体、何に力を使っているというのだろうか。
気を養う術―…。
もまた黙る中、左慈が言う。



「自覚しているかは問題ではないと言っておろう」

「だから、頭のなか覗かないで頂戴」

「…、少なくともそなたがその容姿で居続ける限り、力は常に使われているものと心得よ」

「それは、どういうことだ左慈。分かるように説明してくれないか」



思わず疑問をぶつける。
自分が知らない情報がある。

左慈は目を細め、私を見る。



「ふむ、満伯寧…そなたは幾分、話が分かると見える」



褒めているんだかなんだか知らないが、全く嬉しくない。
そんなことより、今は一刻も早くの状態を把握して解決策を練らなければ。

左慈が前触れもなく話し始めた。



がその容姿で居続けるということは、その才ひいては能力が高い次元で維持し続けられるということ。それはつまり、本来道士がその寿命を保つため養い使う力を、全く逆のもののために使っておるということだ。水の流れに逆らうが如く、それは心身に大きな負担をかける」

の常人離れした能力はそのせいだと、そういうことか?」

「いいや。能力そのものは自身のもの。その能力値以上のものは、力を駆使できたとしても身につけることは叶わぬ。今の容姿の頃が最も、にとってその能力を最大限に引き出せる時期であったのだろう。ただ、小生が見るに…まだ、その全てが発揮されている訳ではないようだがの」



そういい終わった左慈を私はただ、じっと見る。

左慈のこの話からはこれといった解決策は見つからない。
力を使わずに済むならそれに越したことはないが、現状それは無理だろう。
が力を使いこなせているのなら話は別だが、自身が自覚して力を使っているわけではないということは周知のことだ。
力を使わずに生活する、というのは今のところ出来ない。

その時、背後で何か気配がして私は後ろに視線を向けた。
そこには、さっきまで普通にしていたが片膝をついて額に手を当てている。
肩で息をしているその姿は先程までとはまるで違う。



!?」

「ご、ごめんなさい…頭、痛くて…」

、それ以上力を使おうとすれば、死期が早まるぞ」



その言葉に、一瞬で頭に血が上った。



は力そのものを自覚していない!そんな状態でどうやって使いこなせる!」

「ふむ、尤もだ。故に小生はここに来た」



自分とは対照的にゆったりと、静かに話す左慈。

腹の底から怒りがこみ上げてくる。
に視線を落とす。
上衣の裾を硬く握り締めて、ただ何かに耐えようとしている。
相当強く握り締めているのか、拳の色は白く変わり小刻みに震えていた。
左慈が言う。



「案ずるな、気を養えば大事はない」

「ならば、その方法を教えてくれ。その言い方は既に知っているということだろう?…私たちには他に知る術がない」

「無論だ」



左慈に視線を向けた。

の背に手を添えているが、布(きぬ)越しでも分かるくらい異常に発熱している。
これが人の体温とは到底思えない。
それでも、まだがこうしていられるのは、その力があるせいなのだろうか。

左慈が唐突に指を三本立てる。



「方法は三つある。即ち、行気、房中、外丹。但し、行気については今の状態で行っても効果が薄い。また、の気の消費量から考えるに、行気では追いつかぬだろう」

「ということは、残された手は…房中か外丹」

「さよう。この中で最も手っ取り早く、且つ最も気を養える術は房中。本来、然るべき手順があるが、余程の者でない限りならば誰が相手であれ気を養えるであろう。一つ付け足すとすれば、道士が最もその相手に適している…しかし、勘違いするでないぞ。必要とあらば、他の者を連れて参る、そういうことだ」



その左慈の言葉に、が肩で息をしながら言った。



「…どちらにしても…お断りよ……そんな、人様に迷惑かけるような…こと…」

「ふむ。そう申すであろうと思い、それを用意した」



私は左慈に視線をやった。
左慈は口髭を指で摘んでいる。
左慈がそれ、と視線で示す先はだ。
再びに視線を戻す。
は、握り締めていた拳を開いて、そこを凝視していた。
震える手の中には焼き物で出来た小瓶がある。

左慈が言う。



「それは、小生が特別に練った丹薬。房中と同程度以上の気が養えるよう作っておる…劇薬に近い。常人が服用すれば死にはせぬが目は覚まさぬ。例え目を覚ましても答えることは終生無い。だが、そなたならば乗り越えられよう」

「これを飲めば、は助かるというのか?」

「さよう。但し、心がするが良い。それを服用すれば一晩苦しみに耐えねばならぬ…万が一、耐えられぬときは常人と同じ末路を辿る。苦しみの形は人それぞれだ。もし、今後も養生の術にそれを使うのであれば…六月に一度服用するが良かろう。房中ならば、最低一月半から二月に一度は必要であろうな…無論、今まで以上に力を使うこととなれば、それでは足らぬが」



が小瓶を握り締める。
会う度に突拍子もない話をしてくれる、と思いながら私はに視線を落とした。
左慈が言った。



「何故、と問うか…先も言ったとおり、小生はそなたの死を望んでおる訳ではない」



左慈をちらりと見やる。
それから、に視線を戻した。
先ほどからの二人の会話から、どういう訳か左慈はの頭のなか…心に思ったことを読めるらしい。
私も読まれているのかは定かではないが、恐らく読めるのはに対してだけなのだと思う。
素振りを見せないだけなのかもしれないが、様子を窺うに、そう思った。

左慈が再び口を開く。



「確かに、そなたの言うことも一理ある。しかし、そなたは障害であると同時に希望。それはぎりぎりまで見極めることは出来ぬ。また、以前にも伝えたとおり、小生個人としては、そなたのこと嫌っておるわけではないのだぞ」

「……、……」

「これは手酷い…だが、そなたが希望であることに変わりはない」

「………」

「そうならぬことを小生は祈る。、養生せよ。命を落とすには、まだ早い」



そう告げると、左慈は音も無く消えた。
まだ膝をつき左手を米神に押し付けているに、私は向き直る。
雷鳴がもう一度した。
外は風が更に強くなっているようだった。
その時、が口を開く。



「伯寧さん…早く、帰ってください……外、大分荒れてる、みたい…です、から……私は、一人で…大丈夫」



言葉も絶え絶えにそんなことを言うへ、私は思わず声を荒げそうになるのを堪えた。



「大丈夫なんかじゃないよ、全くね。こんな状態の君を一人にするなんて、考えられない。ここまで来たけど、私の邸に連れて行くよ」



力が抜け始めているのだろうの手から、私はさっきの小瓶を取り上げて懐に入れた。
が俯いたまま言う。



「私は…」

「悪いけど、いま君の意見は聞いていない。抵抗するのは構わないけど、私も手荒なことをにしたくはないから大人しく従ってもらえないかい?」



にそう伝えてから、自分の左手を差し出した。
二拍ほど置いて、が遠慮がちにそこへ手をのせる。
私はそれを握り返してから、を背負い自分の邸を目指した。

外は雨が降り始めていた。














つづく⇒(次はグロ表現有り。苦手な方はご注意。)



ぼやき(反転してください)


うーん、満寵をかっこよく書けない
困った

2018.09.22



←管理人にエサを与える。


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