上司がいない、それは日常 伯寧さんと遭遇する、それも日常 文則さんを見かける、それも日常 今は全部、それが日常 人間万事塞翁馬 53 「…いない……またサボりかな…」 執務室に戻るとそこに居る筈の郭嘉さんが居なかった。 私はまた、郭嘉さんと二人きりの執務室に戻っていた。 といっても、以前と同じ部屋じゃなくて増やした方の棟にある。 ちなみに、私が監理を担当してた棟でもない。 あそこには曹操さんが入ってる。 私は一度溜息をついた。 いつだか、新棟に入ってる書庫へ行った時、途中の人気のない回廊の奥にある物影で昼だってのに、女官とにゃんにゃんしてた郭嘉さんを見かけた。 え?私のそのときの気持ち? 恥ずかしいとか微塵もなくて、ただ呆れたわ。 仕事中だからね。 昼やるなとは言わないわ。 息抜きだって必要よ。 けど、仕事中だからね。 仕事は尊敬できる。 従軍させてもらった時とかも、戦略戦術全然隙がないし、囲碁をたまにするけど勝てた試しがない。 押しても引いても勝てる気しない。 すっごい尊敬してるけど、そこは。 そこは、ね。 悪い人じゃないんだけど…。 でも、その素行…どうにかならんのか。 曹操さんの所へ行くと、最近よく程cさんと陳羣さんが抗議している所に出くわす。 …まあ、程cさんは諦めてる感のあるカオしてるけど、陳羣さんは全然ね。 すごい潔癖そうだし、程cさんと比べたらまだ全然若いから、分かる気はするわ。 そこで同席してしまうと同意を求められるのが、ちょっと困ってるけど。 そういえば、曹操さんからそろそろ正式に私をどこに割り振るか決めるからそのつもりで、って言われてたっけ。 …どこになるか分からないけど、与えられた所で自分のすべきこと、そして私がしたいこと、ちゃんとこなしていければそれでいいわ。 どこでもいいけど…、どこになるのかな。 もう一度溜息をついた。 自分の机に視線を落とす。 ふと目に留まる。 そこには、見慣れない紙切れ。 「メモ…?」 手にとって、畳まれたそれを開いた。 そこには郭嘉さんの字で、こう書いてあった。 「”上司命令、今日はもういいから早く帰れ。きかないならお仕置き”………。」 暫く沈黙する私。 どこからか桃の香りがふわりとした。 文香…早速実践してくれたのはいいけど…使いどころ間違ってると思う…。 ていうか、その前に。 「仕事あるんですけど…って、あれ?」 メモから視線を外して落とした先に、ある筈のものが無い。 確かにそこに頼まれた書簡があったのに、無いとはどういうことか。 メモを懐に入れ、思わず床に膝をついて机の下を覗くがそんな所にある筈が無い。 向こうと違って紙じゃないし、嵩張る竹簡と巻物だったんだから。 流石に落ちてれば、すぐ目に留まるし分かる。 だけど、無い。 立ち上がってぐるっと部屋を見回す。 ふと、郭嘉さんの机に一本だけ置かれたそれに気づいて、私はそこへ歩み寄った。 「…これ、私の仕事だったやつだ」 表(おもて)にタイトル入ってるからすぐ分かる。 …けど、なんでこれがここに? 「ちょっと、失礼…」 誰も居ないけど、一言断って私はそれを手に取った。 開くと、先に書かれていた報告の後に、私が入れる筈だった総評が既に入っている。 字は郭嘉さんの字。 当然まとめたのも郭嘉さん。 ということは…。 「私の仕事やっちゃったのか…そんなに帰って欲しいってこと?」 私はそれを巻き直して元に戻した。 暫く考えるも、ここまでされたらきくしかないか、と思い至る。 ため息が出た。 部屋を出て扉を閉める。 回廊から空を見上げた。 青空が眩しい。 そして、日が高い。 「郭嘉さんがよく分からない…何したいんだろう、あの人…」 そんなことを思いつつ呟いて、私は回廊を進んだ。 * * * * * * * * * * 「駄目だ、やっぱり落ち着かない…」 身体元気なのに大した理由無く早退するっていうのは気持ちが悪い。 そんなことを思いながら、私はいつもと違う通りを歩く。 その道を選んだ理由は特に無い。 ただ、何となく気分変えてみようと思っただけ。 そういえばこの先の広場に、今人材募集してるとかで色んな人が集まってるんだっけ。 ちょっと、気になるな…どんな人が集まってるのか…。 行ってみようかな、することないし。 …うん、行ってみよう、気になってきた。 と、気持ちを切り替えたその時、後ろから声がした。 「じゃないかい?」 振り向くと伯寧さんがこちらへまっすぐ歩いてくる。 「こんな時刻に、こんな所歩いてるなんて、どうしたの?。仕事は?」 「伯寧さん…ええ、と…実はこんなものが机に置いてあったんです」 と、説明するより見せた方が早いと思った私は、懐からメモを取り出して伯寧さんに渡した。 それを受け取った伯寧さんは不思議そうな顔をして、メモに視線を落とす。 私はそれを暫しの間、見守った。 「…なるほどね。まあ、郭嘉殿にしてはかなり遠回りな優しさだね」 返されたそれを私は懐に戻しながら疑問をぶつける。 「優しさ…?って何のことでしょう?」 「え?まさか自覚してないのかい!?」 「…何のことでしょうか…?」 額に手を当てた伯寧さんを、私はただ不思議に思いながら見上げた。 そもそも、郭嘉さんの遠回りな優しさって、一体何に対する優しさ? 優しくされるようなこと、私何かした? と思っていると、伯寧さんが唐突に手の平を私に見せて左手を差し出す。 何のことか分からない。 伯寧さんの顔を見上げてから、その手を凝視した。 まじまじ見てみると…。 「伯寧さん、手大きいですね…ていうか、生命線めちゃくちゃ長いですね」 「…それはまた今度聞くことにして…、そうじゃなくて。手、貸してごらん」 「え?…はい」 言っている意味が分からず、とりあえず一度呆れた顔の伯寧さんを見上げてから、その手に自分の右手を重ねた。 やっぱ、手大きい。 いや、まあ、これだけ背が高ければね。 …ていうか、でもその前に…。 「伯寧さん、手冷たいですね。冷え性ですか?」 「……いい加減、私も怒るよ。そうじゃなくて、君いま熱があるんだ。自分の体調ぐらい分かるよね?」 目を細められて、私は一瞬たじろぐ。 呆れながら眉根を寄せる伯寧さんに、私はただ困った。 そんなことを言われても、自分が体調悪いなんて微塵も感じてないんだけど…。 「私、全然元気ですけど。これでも風邪とか体調管理には気を遣ってる方ですよ。栄養管理にも気遣ってますし…」 「…じゃあ、これでもそう言えるかい?」 言うや、伯寧さんが少しだけ身を屈めて、私の左手を私の額に、私の右手を自分の額にあてた。 つまり、私の右手は今、伯寧さんの額にある。 右手の下が冷たい。 「ああー…たしかに、私かなり体温高いですね」 手を放して離れていく伯寧さんを見上げながら私は納得した。 けど、だとしても全然だるさとか無いし、第一、二人とも触らずしてどう分かったというのだろう。 そう思っていると伯寧さんが言う。 「顔色、少し良く見えるからだよ。普段もう少し色白だからね」 「…それって普段の方が顔色悪いって事ですか?」 「そういうことだね」 「………どっちにしろ、よくそれで分かりましたね。凄いです、お二人とも…」 私は米神に手を当てて目を閉じた。 そんな私に伯寧さんが言う。 「まあ、ともかく…邸まで送るから大人しくしていること。さあ、分かったら行くよ」 「ああ!ちょっと待ってください!!」 来た道を早々に引き返そうとする伯寧さんを私は思わず引きとめた。 確かにそっちからの方が、私の家に行くには早い。 けど、その前に行きたい所が…。 こちらを振り向いた伯寧さんが、何かに気づいたように、私の後方を一瞥した。 そして腕を組む。 「君、いま結構な高熱だってこと、分かってるよね?」 「分かってます、でもどうしても見たいんです」 「私としては、直ぐにでも休んでもらいたいと思っているのも分かってるかい?」 「分かってます!けど、どうしても、どうしても!見たいんです、お願いします、伯寧さん!ちょっとだけですから…」 と、私は伯寧さんから視線を外さずにお願いした。 暫くじっとしたまま私を見下ろして、それから伯寧さんは溜息をついた。 「言い出したら聞かない所あるからね、も…」 「じゃあ…!」 「分かったよ。その代わり、ちょっと見るだけだからね。私が行くって言ったらそこまで。言うこと聞かない時は抱えてでも連れ帰るからそのつもりで。約束できるかい?」 「はい、約束します」 「うん。それじゃあ、行こうか」 「はい、ありがとう!伯寧さん!」 「…本当に、には敵わないな」 そう言って溜息を吐き出す伯寧さんを、私は不思議に思いながら見上げる。 歩き出すその背中を、私は追った。 * * * * * * * * * * その広場を見渡せる3mいかないぐらいの高台から、私は伯寧さんの隣でそれを見下ろした。 受付に殺到している人の塊は、上から見ると黒い何かでしかなく、列なんて秩序だったものは何も無かった。 どこからか整列しろと怒号が聞こえる。 自分の居る所と反対側で文則さんが恐い顔してる…。 う、うん…適材適所とは思うけど、そんな雑務的なことを将軍級の人がするの…? 文則さんも大変だな、と私は心の中で呟く。 「うん、ちらほらこれは、って感じの顔付きの人が居るね」 伯寧さんの言葉に、私は気を取り直して手前から順に視線をやった。 「…そうですね、顔だけで能力の判断はしきれませんが、いい目をしている人は多少います」 言いながら、後ろの方、奥へと視線をやった私は、ふと目に留まったそれに思わず声を出して呟いた。 「うわ、あの人すっごい大きい…頭何個分飛び出てるの…」 「ん?…あれは、関羽…」 伯寧さんの言葉に私はもう一度その人物を見た。 その名前はここ最近やたら民の間で聞くようになった名前だ。 正確に言うと、一緒に居るもう一人の方の名前だけど。 ともかく最近、井戸端会議でも、料理屋の中でもよく聞く名前。 「あれが関羽………てことは、あの虎ヒゲっぽいのが張飛で、真ん中のが劉備、か…」 「そういえば、はあの三人を見たこと無かったんだっけ」 「はい。徐州のとき、私は小沛をまわるルートじゃなかったですから」 私は視線を外さずにそう答えた。 視線の先の三人はこちらにまだ気づいていないらしく、何やら話をしている。 ただ、何となく気になって私はそれをじっと見続けた。 「気になるかい?あの三人」 唐突に降って来た問いに、私は伯寧さんを見上げた。 笑みを浮かべる伯寧さんを一度見てから視線を戻す。 「そうですね…三人というか、劉備が、かなあ……最近じゃ、どこ行っても民の口から出てくる名前だから、気にはなってました。陶謙のときも、徐州と関係のない人間で言ったら、唯一味方した人、ですし」 「も劉備みたいなのがいいと思う?」 「…いいえ。まあ、何ていうんでしょう、その…目の前で困っている人を放っておけない、とか、情を優先して人を思うっていうのは、理想だとは思いますけど…」 何となく、心の中がすっきりしない。 何でだろう。 「大局を見るには向かないと思いますし、それに…ただ優しいだけじゃ、人は救えませんから」 私の視線の先には人のよさそうな笑みを浮かべる劉備がいる。 やはりこちらには気づいていなくて、他の二人と何かを話している様子だった。 「…さて、それじゃそろそろ送ろうか」 不意のそれに、しかし、私は直ぐにその言葉の意味を理解して伯寧さんの方を向く。 「え!もうですか!?もう少しだけ…」 「だめ。さっき約束しただろう?それとも私に抱えられて帰るのをご所望かな?」 半分本気で言っているらしい顔を見て、私は思わずたじろぐ。 ここで答えを間違えては駄目だ…。 「いえ…ごめんなさい、帰ります」 こんな大衆の面前で抱えられるのだけは嫌だ。 「じゃあ、帰ろう」 「はい…」 一足先に高台の階段を下り始める伯寧さんの背を追いながら、私はもう一度階段の途中で足を止め、劉備を見た。 何故か、気になる。 そのとき、劉備がこちらに気づいたのか私を見た。 目が合った瞬間、優しそうな笑みを浮かべ会釈をしたので、私は劉備が視線を戻したのと同時に同じように会釈を返した。 一拍置いて、唐突に伯寧さんの声がする。 「、抱えられたい?」 視線を声がした方へ向けると、階段を下りきった先の仕切り壁の向こうから伯寧さんが顔を出している。 「い、いいえ!すぐ行きます!」 あまりの笑顔に、私は背中に寒さを感じながら、慌てて階段を駆け下りた。 「ご、ごめんなさい…」 「いや、私は別に構わないよ。を抱えていくぐらい、なんてことは無いからね」 「い、いえ…お手を煩わせるわけには……帰ります」 「そうかい?それじゃ、行こうか」 「……はい」 私はいつから伯寧さんに頭が上がらなくなったんだろう、と思いつつその背を追って一歩足を踏み出した。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) やっと本編きたか、と思いきや… 要るか分からない、夢主の過去話入ります 多少、間抜いても話が繋がるようにしてはみますが もう、なんだろね 2018.09.22 ![]() |
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