一九六年二月 人間万事塞翁馬 52 緊急だと呼び出され、私は今、主公の執務室にいる。 用件を聞き終えた頃、丁度同じように呼び出されたがここへ姿を現したのはつい先ほどだ。 拱手し、私の横に並ぶように立ったに主公が言った。 「急に呼び出して済まぬな、。今しがた、近くの村を賊が襲うとの情報が入った。その情報どおりであれば今から駆けても間に合わぬかもしれぬが捨て置くわけにもいかん。于禁と至急向かい、これにあたって欲しい。大まかな指示は于禁に伝えてある」 主公の視線を受けて、私は傍らのを見た。 と目が合う。 言葉には出さず頷いてみせると、意を解したように小さく頷いてからは主公に視線を戻した。 「承知しました、すぐに向かいます」 「頼んだぞ」 「は」 「はい」 声が重なり、ほぼ同時に拱手してから私とはそこを後にした。 それからの行動は早かった。 道中、主公からの指示をへ伝えながら、兵らを百五十名程引き連れて問題の村へと駆ける。 賊は五十を満たないと聞いているが、不足があっては目も当てられぬ。 どちらにせよ、捕らえるならばこのぐらいの兵数は欲しい。 主公からは”極力生かして捕らえろ”との指示が出されている。 件の村から数里離れた拠点より、街道を外れてやや遠回りにその村を目指す。 間もなく、村を見下ろせる小高い丘に到達した。 許昌を発ってから半刻は経っていないだろう。 しかし、木々に身を潜め見下ろした先の村は遠目にも分かるほど、既に惨劇と言える有様だった。 賊は女・子供関係なく手をかけている様子で、風下であるこの場所へ風に乗って血肉の臭いが運ばれてくる。 傍らで同じようにそこを見下ろしていたが声を絞るようにして呟いた。 「あれは…酷い…」 僅かだが、声が震えている。 頭の片隅で、はまだ力を持たぬ民たちがあのような惨劇に遭う姿を見たことがなかったのだ、と思った。 ふと思い起こしても私の知る限り、これが初めての筈。 声が震えたのは、恐怖からではなく、衝撃が余りにも大きかったのだろうと思う。 当然だろう。 私とて、稀に見るほど酷な現場だと思っているのだ。 「やはり、遅かったか…」 苦々しく思いながら、私は拳を握った。 同時に、の気持ちに構ってやることのできない今の状況をもどかしく思う。 例えほんの僅かであっても、兵らの士気に関わるだろうことは控えねばならない。 此度の、参謀の立場で参戦するが動揺しているなどと、兵らに少しでも思わせる訳にはいかないのだ。 自身にその気がなかったとしても。 そのとき、私の後方で待機していた副将が声を上げた。 「将軍!直ぐに救援へ向かいましょう!」 「待ってください、このまま闇雲に突っ込んでも逃げられてしまいます」 逸る副将を宥めるように、がすかさず釘をさす。 その声に震えはなかった。 寧ろ、毅然としたものすら感じられて、既に心を切り替えたのだと合点する。 目を見ると、何かを捉えたような色をしていた。 「、何か考えがあるのだな。聞こう」 「はい。このまま片方から攻めても片方から逃げられてしまいます、在り来たりですが…隊を二つに分け、挟み撃ちにしましょう」 私の言葉に、強くは頷くと村を再び見下ろしながらそう口にした。 私もまたつられてそちらへ視線を送る。 その村の周囲には簡易ではあるが土塀がめぐらされ、東と西それぞれに比較的大きな門が設けられていた。 に相槌を打つ。 「うむ。あの村の東西の出入口を塞ぎ、攻めると。そういうことか」 「はい。いま見えている手前の一か所、そして反対側奥の一か所から合図を決め同時に攻めれば、彼らを捕らえられます。ただ、向こう側へは彼らに気づかれぬよう回る必要があります」 「分かった。ならば、私とで隊を分け、向こうには我らが回ろう。合図は如何する?」 「そうですね…」 指示を出し次を促すと、は顎に手を当て一瞬考える。 は視線をやや落とすと一度動きを止めた。 その視線の先を私は辿るように見やる。 そこには弓を手にする兵が立っていた。 その意に気づいたと同時に、が言う。 「弓で…弓で、あの男を私が射ます。それを合図に同時に攻めます…あの様子だと、あの男が恐らく頭(かしら)です。指揮者を攻撃すれば他の者も怯むはず。その混乱に乗じて攻めましょう」 「異論はない、その方針に従おう。時間が惜しい。ここに残る者以外は私に続け」 私はそう告げ、副将にはの指示に従うよう残してその場を後にした。 * * * 西に位置する村の門へ向かった文則さんたちをひとしきり見送ってから、私と同じように身を屈める副将さんや兵士さん達を振り返り順繰りに見ながら言った。 「配置について準備を。私が射たら一斉に攻めて下さい。一、二を考える必要はありません」 頷いた彼らを確認して、私は背を向けた。 さっき副将さんから受け取った弓を握る手がじわじわと汗で湿る。 必要以上の緊張は駄目だ、と私は一度目を閉じて二度、ゆっくりと深呼吸をした。 身を低くしたまま、村の西の方に視線を再び向ける。 大分離れてはいるが、視認は出来る距離だ。 程なくして、そこに辿り着いた文則さんが手を上げたのが見えた。 流石に早い、と思いながら何となく私は一度頷く。 見えているかは分からない。 傍らの副将さんに目配せをして、それから私は中腰のまま弓を構えた。 村の広場らしき所で腕を組む男が東の方角を振り返る。 傍ら―その男の奥―には別の賊の一人が立っていた。 狙いを定めやすくなったそこを狙って、私は番えた矢から手を放す。 矢は真っ直ぐに飛んでいく。 それから一拍ほど置いて、視線の先のその男が片膝をついたのが確認できた。 賊の一人は慌てている様子だ。 同時に、文則さん達が村へと雪崩れ込んでいくのが見えた。 私の横を兵士さん達がすり抜けて眼前に見える村の東門へと駆け下りていく。 その場に立ち上がる。 「さあ、私たちも行きましょう!」 副将さんを振り返ってそう告げた。 副将さんは弓を預かる、と言わんばかり両手を差し出していた。 そこへ弓を手渡して、私は村を振り返る。 鍔に指をかけ、丘を駆け下りた。 それから私は村の門をくぐると、変わらず鍔に指を掛けたまま抜刀はせず広場を目指した。 行く途中、事切れた村の人たちを苦い気持ちで見送る。 老若も性別も関係なく、あまりに無残な姿で斃れていた。 腕がない、脚がないのは普通で、それ以上の仕打ちをされた姿がただただ目立つ。 ただ命を奪われただけではないのだ、というのが見て直ぐに分かった。 どうしてこんなことを…。 そう思いながら、ただまっすぐ走った。 むせ返るほどの血肉と臓物を開いた時の独特の臭いが辺りに立ち込め、鼻につく。 程なくして、目的の男が視界の先に見えてきた。 私の放った矢は、男の右太腿に命中していたようだ。 その男は右膝を地面について、そこを左手で押さえている。 右手には剣が握られていた。 その数メートル手前で、私は立ち止まると同時に鯉口を切った。 男と目が合う。 男に向かって言った。 「大人しく捕まってもらうわ」 「へ、嘗めんなよ、女」 その男は、剣を杖代わりにしながらゆっくりと立ち上がる。 顔には不敵な笑みを浮かべていた。 何かを狙っている、と直感する。 と、同時に私は背後からの気配に気づいた。 「!」 私の前方から文則さんが叫んだのが分かる。 けど、その声が耳に届いたときには、もう既に後ろを振り向いていた。 視界の端で振り下ろされる何かを確認しながら、それを身体が反応するまま、右に避ける。 斧が地面を穿つが、私はそれに構わず、避けると同時に低くしたその体勢から、その斧を振り下ろした巨漢(おとこ)の脛を切りつけた。 巨漢が膝をつく。 すかさずそこで右手を返し、刀を薙いだ。 手の中に感触が残る。 膝をついた巨漢の首が地面に転がった。 私の身体は自然に”そうする”ように動いていた。 ”そうした”のは多分、”そうする他ない”と私の中の何かが直感したからだと思う。 「ちっ!くそっ!!」 背後でそんな男の声がする。 振り向くと、その男の首筋に文則さんが三尖刀をあて動きを封じていた。 周囲を窺うと、兵士さん達が賊を捕らえまとめあげている。 ひとまず、反乱は鎮圧されたのだと思った。 ふと、地面に転がる巨漢の首と目が合う。 鬼のような形相をしてそこに転がっている。 戦場に出ると、たまにこういう顔の敵と遭うことがある。 向こうにいた時は、こんな顔を見たりするのは普通じゃなかったのに、ここにいる今は、普通だと思える。 だけど、これって普通なんだろうか。 視線を上げながら、もう一度辺りを見回す。 地獄絵図のようだった。 どうしようもない現実に、なんともいえない感情が湧き上がってくる。 正面に向き直ると男が杖代わりに両手で剣をついたままこちらを見ていた。 背後には文則さんが変わらず三尖刀を男に向けている。 ただこちらを睨み付けてくる男に、私は質問をした。 「なぜ、女子供までに手を出したの?」 「へっ、理由なんかねえ。やりたいと思ったからだ。弱い奴をいたぶるのが堪んねえ…それだけだ」 「下郎め」 普段よりも、もっと低い声で文則さんが言った。 私は余りのことに言葉を出せなかった。 ただ、眉間に力が入った。 男が続ける。 「何とでも言え。俺や、お前がやったそいつ、俺の弟からしてみれば、乱世様々なんだよ」 「……そう」 弟、と聞いて私は開きかけた口を一度閉じてから、それだけ言った。 弟。 この男にも家族がいる。 同じ、人間なのに…。 いや、それは初めから分かってたこと。 分かってたことだけど…。 ぐるぐると、何かが私の中で堂々巡りを始めようとしたとき、男が鼻で笑って言った。 「女のくせに、いっちょまえに男の真似か?そういう女をいたぶるのが、一番俺は堪んねえぜ」 すごく、下品で醜い顔をしていた。 こんな男に何かを考えても仕方ない、と心のどこかで思った。 一度目を伏せて、息を吐き出した。 眉間から力が抜ける。 男を横目で見ながら言った。 「そうなの?それはお生憎さまね、私をいたぶれなくて」 言い終わった瞬間、男の口が三日月のように弧を描く。 目は狂ったような色をしている。 「最高だぜ!その顔が苦しむ瞬間を見てやる!」 否や、男は負傷しているとは思えないほどの素早さで地面を蹴り、手にした剣を振り上げながら私にまっすぐ向かってきた。 私は何も考えず、男が間合いに入る瞬間ただ抜刀する。 鞘引きをして切っ先を飛ばし、右腕を身体の前で大きく円を描くようにしながら刀を振り上げ、そしてそのまま血振った。 男の腕が剣を握ったまま宙を飛ぶ。 同時に、男の首もまた宙に飛んだ。 文則さんが三尖刀を繰り出して、男の首を落としていた。 男の腕と首が地面に転がる。 それを私は見下ろした。 狂気じみた表情がそこに張り付いている。 「大事ないか?」 「はい。大丈夫です」 文則さんの声で我に返り、顔を見てから頷いた。 * * * 「…そうか、間に合わなんだか……だが、賊は捕らえたのだ、此度はこれで良しとしよう」 「はい。しかし、申し訳ございません。賊を率いていた者を生かして連れ帰ることは叶いませんでした」 「よい、于禁。どちらにせよ、同じことよ。ご苦労であったな」 「いいえ、勿体なきお言葉」 「、そなたもだ」 「はい、恐れ入ります」 「それぞれの功に応じ、褒賞を与えよう。邸で待つが良い…下がって良いぞ」 宮城に戻ると終業も間近の時分だった。 主公に報告を済ませ、その室を後にする。 拱手して顔を上げるとき、の顔を盗み見たが、主公への受け答えの声音と変わらず、表情もまた落ち着いているように見えた。 しかし、先刻の村でのことを思うと何か声を掛けずには居れなかった。 は何でも一人で抱え込もうとする。 それが悪いことだとは思わぬが、限度がある。 あの頭目の男と話をしていたときのの表情を思い出すと、今が普段どおり落ち着いて見えようとも、到底心の中までが平常であるとは思えなかった。 少し先を歩くの背を見つめる。 回廊には私と以外の者の姿はない。 私は足を止めた。 「」 「はい?」 が返事をして振り向く。 立ち止まると、不思議そうな表情をして私を見上げる。 村でのことなど何もなかったかのような顔をしていた。 私は一瞬戸惑い、そして分からなくなった。 同時に、蒸し返す必要があるのか、と考えた。 「…いや、何という訳ではない」 やっとのことで、それだけ言った。 それを聞くと、は一瞬目を見開いて、それから目元を緩める。 私はただ、それをじっと見つめた。 が言う。 「気にして下さっているのでしたら、お礼を言います。それから、私は大丈夫ですから」 私の心を見透かしたかのように、はそう言って笑みを浮かべた。 普段目にする笑みと何ら変わりはない。 の言葉から”それ”は確かにあったと分かるのに、その表情を見た今は”それ”が本当にあったのか、と疑問に思う。 あの村でのことが幻か何かだったのか、とまるで遠い記憶のように感じた。 それからは、書机をそのままにしてきているので、と言って拱手すると足早に回廊を歩いていった。 その背が見えなくなるまで、私はを無言で見送った。 * * * 帰宅して直ぐ、私は沸かした湯を風呂桶に汲んだ。 湯を沸かしている最中、早速褒章―といっても目録だけだけど―を持った遣いの人が来て、一通り形式どおりの受け答えをした。 それを受けるのも、もう何度目だろう。 いい加減、慣れたな…とは思うけど、それでもやっぱり少しは緊張する。 何だかんだ言って、向こうとこっちの違いを無意識に感じてるんだと思う。 特に、そういう形式的なことはすごく、そう感じる。 まあ、仕方ないか、と私は風呂桶に身体を沈めながら天井を仰いだ。 あげた首級の数や、その首の主の地位なんかで褒章があったりなかったりする。 他にも評価基準は色々あるけど…。 何より、人の命を奪った数で褒章を貰えるなんて…。 向こうじゃ、人の命を奪ったら罰せられるって言うのに。 ――そんなこと分かってるし、分かってて身を置いてるけど、ふとしたときに虚しくなる。 後悔してないし、逃げたいとも思ってない。 だけど、こんなことまだ考えている内は、私まだまだここで見るべきことを間違えてるのかもしれない。 そう思う。 その時ふと、曹操さんに報告したあと、回廊で文則さんに呼び止められたときのことを思い出した。 呼ばれて振り返ると、一瞬だけ表情が強張って、それから眉間を更に寄せてた。 初めはよく分からなかったけど、すぐにあの村で起きたことに関係するものだろう、と思ってお礼を言った。 恐らく、気を遣ってくれたんだろうから。 文則さんは余計なこと一切言わないし、たまに外であっても必要以上のことを言わないから他の人に比べたら、ずっとそれは素っ気無く見えるかもしれないけど…。 物凄く、心配してくれてるんだってことは分かる。 何だかんだでいつも気に掛けてくれてて、その上で私がすることを黙って見ていてくれる。 それを、他の誰かのそれと比べることは出来ない。 出来ないけど、それでも、それはとても大きくて、広くて、深くて…優しいと思う。 伯寧さんや李典さんや荀彧さん、曹操さん達とは違う形。 もちろん郭嘉さんとも違うし…それに郭嘉さんのそれは、ちょっと特殊な気もする。 そこまで考えたとき、突然、脳裏に私が首を飛ばした男の、その張り付いていた顔が浮かんだ。 同時に、頭目の男の転がった首に張り付いていた表情。 「同じ…人、なんだよね…?」 風呂桶の湯を右手に掬い上げる。 指の間から湯が零れ落ちた。 手の中に、その時の感触が残っている気がした。 想像以上に動ける自分に、初めのうちは内心戸惑いもした。 もう何年も長く経験していたことみたいに勝手に身体が動く。 目が勝手に相手を捉えて、考える前に身体が動いている。 自分のものではない、というそんな感覚はないけど、ただ自分が”そう思って”動いているという自覚はあって、たまに混乱しそうになるときがある。 だけど、それを考えてはいけないのだ、と自分の中の何かが私に指示をする。 私はただそれに従って動く、それが本当に自分の意思なのか考えてしまうと何も手につかなくなるから。 一番初めはそんなことはなかった。 ある時気づいたら、私の中にあった。 それはともかく不思議な感覚だった。 余計なことを考えず、ただ目の前のことをこなせばいい。 そんなこと、向こうにいた時だっていくらでもしてた。 多分、同じはずなのに、人の命を前にしたときに急に沸いてくるようなその感覚は、同じじゃなかった。 「同じ、じゃない、のかな」 ぐるぐる思考が回る。 村の人たちの無残な姿が、今目の前に広がっているように錯覚する。 どうして、あんなに酷いことが出来るんだろう。 あれは、ただ命を奪ったんじゃない。 事切れた表情が物語ってた。 あんな、理不尽なこと。 理不尽…。 「私がしてることも、誰かにしてみれば、結局は変わらない、か」 求められて策を練るにしても、結局どうなるか分かってて、私はそれをしてる。 それならきっと、私も変わらない。 理不尽なことをしているってことは。 でも、これだけは違うって言える。 私は、快楽のためにそれをしてるんじゃない。 そこはあいつらとは違う。 私は思い切り、風呂桶の中に頭を沈めた。 ここには誰もいない。 誰もいない筈なのに、誰かが頭を撫でた気がした。 ……夕飯…何にしようかな…。 * * * * * * * * * * お風呂から上がってタオルドライした後の髪を適当にまとめて着替えた。 ドライヤーってやっぱ素晴らしいわ、と思う。 部屋着に着替えて、夕飯どうしようかと考えながら作り置いていた煮豆を小鉢に盛り付けていたときだった。 不意に、玄関扉をノックするような音が聞こえて、私は手を止めた。 「…誰?…か来た?」 疑問に思って思わず一人ごちると、再び音がする。 気のせいじゃない、と思いながら私は慌てて玄関に向かった。 外は日が陰り始めている。 取っ手に手をかけ、そーっと扉を引いた。 「はい、今開けます…って、文則さん!」 扉を開けたすぐ先には文則さんが立っていた。 平服姿だった。 唐突に、文則さんが右手を少し掲げる。 その手には酒甕。 「共に、如何だ?」 「…はい!是非」 下がってたテンションが一気に上がったのを、自覚した。 どうして文則さんがここに来たのか、わかる気がするけどそこは考えるのをやめた。 詮索なんかせずに、素直に時間を楽しもうと思った。 それから文則さんを私は家の中に招き入れて、酒甕を受け取る。 同時に、周蘭さんが持たせてくれた、という朝採りの山菜を頂いた。 山菜ときたら、天麩羅しかない。 私の中では一種の方程式になっている。 最近、天麩羅もしてないな、と思いながらそれをメインの肴にすることにした。 台所に立って油の準備。 といっても、向こうみたいに大量の油を準備するのは結構大変で、まあまあそこそこの量程度。 フライパンで揚げ物するような感じ。 他には、さっきの煮豆とこれも作り置きの川魚―小魚だけど―の干物をさっと二度揚げした。 草物の一部を湯がいてお浸しに。 天麩羅用に塩とつゆっぽいものを準備して、とりあえず完了。 囲炉裏をまたぐように準備したテーブルに並べて腰を下ろした。 ちなみに、囲炉裏は板で蓋をしてある。 最近、大分あったかくなってきたから次のシーズンまでお休み。 文則さんと一杯目を飲みあってから、私は料理の簡単な説明をした。 こっちに来てから天麩羅を他の人に出すのはこれが初めて。 底の浅い竹籠に盛り合わせた天麩羅を凝視しながら、文則さんが言った。 「てんぷら…?」 「はい、油の量が少なかったので、もどきですけど…味は保証します」 そう伝えてから、私はその一つを塩につけ口に運ぶ。 同じように、文則さんも箸をつける。 呟くようにして言った。 「美味だ」 「たまに無性に食べたくなるんです」 「好きなのか?」 「はい。大好きです。祖父と山菜を採りに行った日の夜は必ず天ぷらでした、懐かしいです」 「そうか。思い出深い物なのだな」 「はい」 それから何杯か飲みあいつつ、他愛のない話をした。 最近何してるのか、とか、あと向こうでの思い出話を少し。 仕事の話は一切ない。 プライベートの話だけ。 途中、話しながら自分の話をしているのに、人の話をしているみたいな感覚を覚えた。 それは今回が初めてじゃないけど。 私は本当に、今ここにいるんだろうか。 そういう漠然とした感覚。 私は何をしているんだろう、という虚無感のようなそれ。 そんなときは、いつも考えるのをやめてる。 きっと、現実逃避でもしたいのかな、と思うから。 あまり時間が遅すぎない所で区切りをつけて、今回の晩酌という名の飲み会は終わりにした。 明日は、私も文則さんも出勤日だ。 羽目を外しすぎるのはよくない。 立ち上がった文則さんを私は見上げる。 「そこまでお見送りします」 ただ頷きだけが返ってくる。 玄関扉の前まで行くと、唐突に声が降って来た。 「」 「はい」 条件反射で返事をして、こちらを振り向いた文則さんを見上げてから、ふと気づいて視線を落とす。 文則さんが右手を差し出していた。 意図が分からないが、私はそこへ右手を重ねた。 なんとなく、そうしなきゃいけない気がした。 そこへ更に文則さんが左手を重ねる。 私はそれをじっと見つめた。 二拍ほど置いて文則さんが言う。 「あまり考え過ぎるな。考え過ぎると、深みにはまる」 一瞬心臓が跳ね上がる。 そんな顔をしていたんだろうか、と思いながら段々と落ち着いていく鼓動に気づいた。 一人ではない、というちょっとした安心感。 「…はい…そう、します」 私はやっぱり弱い、と思いつつそう答えた。 「では、また明日。」 「はい。また、明日よろしくお願いします」 文則さんの言葉に、私は顔を上げ笑って答えた。 表情を変えずに一度頷いてから去っていく文則さんの背中を、玄関から見送る。 門の向こうへ消えた気配を確認して、玄関扉を閉めた。 そこへ背を預け、暗い天井の梁を見上げる。 居間から漏れる明かりに照らされて、僅かだか輪郭が浮かんで見えた。 「考えすぎるな…か……考えすぎなのかな」 誰からも答えは返ってこない。 一人で過ごすことは慣れている。 暫く過ごせば、大抵のものは慣れてしまう。 慣れて気づくと、気にも留めなくなる。 「いつか、慣れてしまうんだろうか」 人の命を奪うってことに。 気に留めることも無くなるんだろうか。 もし、そんな日が来たら、きっとそれは…。 「あいつらと変わらない気がする」 きっと皆同じように考えて、悩んでいるはずよね。 「同じ、人間なんだもの…同じはずだわ」 息を吐き出した。 視線を落とす。 土間に明かりの筋が通っている。 「考えるの、やめよう…」 もう一度ゆっくり息を吐き出してから、私は再び居間にあがった。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) 最後が暗くならないといいな、と思ってます といいながら、次以降が暫くまた暗いっていう… 2018.09.15 ![]() |
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