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一九五年十二月 人間万事塞翁馬 50 「様の好きな人ってどなたですか?」 「は?」 と、ある日の昼下がり俺の座ってる席の後方、二席隔てた先からそんな声が聞こえた。 俺は思わず口に含んだ酒を吹き出しそうになった。 俺がそこに居たのはたまたまだ。 この店の新作肉饅を食べに来ただけだが、たまたまそこへが周蘭と一緒に入ってきたんだ。 当然のように、向こうは俺に気づいていないようだった。 そこにきての、これだ。 今更席は立てないし、そして、ちょっと気になる話題に違いは無い。 いや、ちょっとどころか、すげえ気になる。 俺はその会話に耳をそばだてて聞くことにした。 が遠慮がちに言う。 「ごめん…どうしたの?周蘭さん、そんな唐突に」 「いえ、その…ご主人様なのかな、と。そうだったらいいのに、と思いましたので…」 「っ!!」 茶でも飲んでたんだろう。 俄かにが咳き込む。 いや、当然だろ。 俺も同じ気分だ。 周蘭は何を考えてんだ? 慌てたような声音でが言った。 「ど、どういうこと…!?」 「あの…えっと、なんとなくです…ごめんなさい」 「なんとなく………まあ、いいわ…」 …なんとなく……って何だよ。 周囲は至って賑やかだが、それでも聞きたい会話に集中すればこうも明瞭に聞こえるってのは、不思議なもんだ。 だが、これはちょっと問題だぜ。 周蘭の考えが分からない。 俺は手にした残りの肉饅を食うのも忘れて、その会話に集中する。 周蘭がに言った。 「様はご主人様のこと、好きではありませんか?」 「い、いきなりの展開ね……そうね…」 の声が僅かに上ずる。 おいおい、いきなり何聞いてんだ、周蘭は。 の言も尤もだぜ。 けど、それは大いに気になる。 この返答如何によって、俺にも可能性があるかないかってのが…。 と思っていると、がそれでも遠慮がちに言った。 「…好きか嫌いかで聞かれたら…ま、まあ、好き?かな…」 嘘だろ…! 余りの衝撃に、俺は思わず頭を抱えた。 だが、それも束の間、がすかさず付け加える。 「けど、その多分周蘭さんの思ってる好き、と意味合いが全然違うと思うよ」 ということは、俺の思ってることとも違うって事だな! よ、良かった! と、ひとまず安心できたが、そんな俺に構いもせず周蘭が追い討ちを掛けるように、更に質問を続ける。 「でも、お嫌いではないのですね」 「そう、だね…」 否定しない…。 ま、まあ…そう、だよな…。 そう、かな…。 俺は再び頭を抱えた。 そこへ、の言葉が耳に入る。 「ていうか、周蘭さん。そんな話、こんなところでしてて大丈夫?」 「ああ!そうでした、すみません。慎まなければいけませんね…このお話は、また今度」 「……終わりじゃなくて?」 その二人の会話に、思わず後ろを振り向いてしまった。 すぐさま、それに気づき慌てて正面に向き直るも、その二人の会話からくる動揺が収まるはずが無い。 内心、俺は叫びまくった。 おいおい、ちょっと待て!これで終わりか!? 今度!? 頼む!今、ここでしてくれ! そんな俺をいざ知らず、が今度は周蘭に質問を投げかける。 「ところで、周蘭さんは好きな人はいないの?慕っている人とか」 「え!?…わ、私は、その…」 と、今度は周蘭が明らかに動揺の体をみせた。 違う!悪いが俺はそっちはどうだっていいんだ! 話題を戻せ!周蘭! と、後から考えればかなり薄情なことを俺は思っていた。 だが、今はともかくそれどころじゃない。 仮に、に今好きな奴が居なかったとしても、だ。 無意識に拳を握る。 「それはいるってことね?私の知ってる人?」 「そ、そ、その…いえ…えっと……」 一番、可能性としてありうるのはやっぱり、于禁殿じゃないか? 一緒に住んでたわけだし…! そうだよな! 「あはは、ごめん。大丈夫、これ以上聞かないから。ただの好奇心よ」 の声が耳に入ってくるが、その内容は俺にはどうでも良かった。 今、俺の頭の中はが好きになりそうな確率の高い相手を並べるので精一杯だ。 まず、筆頭は于禁殿だろ。 次は普通にいって、満寵殿か? 俺が見かける時、大体一緒だし…。 「…あの、様…私、お願いしたいことがるのですけど…」 「なんでもっていう訳にはいかないけど、それでもいいなら話は聞くわ」 「ありがとうございます…その………」 次は上司の郭嘉殿…あとは…。 だ、だめだ…軍師ばっかだ……。 俺はどこに入れるんだ? 「言いにくいなら、書いてみる?」 「は、はい…!」 …いや、でもよく考えたら俺、の朝錬で結構一緒になること多いよな…。 毎朝ってわけにはいかないけど、頻度でいったらいい線行ってる、筈。 ま、まあ…勘も大いにあるけど。 もで、組稽古の相手してくれないかって言って来る事多いし。 あれ?俺、意外にいけるんじゃないか? と、内心拳を握る。 「………なるほどね。んー…いいわ、このぐらいなら聞いて来てあげる」 「ほ、本当ですか!?」 「ええ。明日聞いてみるけど、すぐ知りたい…よね?」 「その…はい…」 「それじゃあ、明日の昼休憩の時に…」 と周蘭の話がひと段落ついたころ、俺は一安心して残った肉饅を口に放り込んでいた。 * * * 考え事をしながら宮城の門前まで辿りつくと右方からが小走りでやってきた。 「おはようございます、伯寧さん。ちょうど良い所に」 そう言いながら見上げてくるに、私はおや、と思いながら返す。 「やあ、おはよう。朝から私に用事?」 「はい、城に入る前にお聞きしたいことが」 「てことは、仕事の話じゃないね。なんだい?」 「ここだと、ちょっと…」 そうは珍しく言い渋って人気のない通りの隅を視線で示した。 それこそ、何だろうと思いながら私はに笑みを返して、そこへ足を向ける。 程なくそこに辿りつく。 は辺りを一度見回してから私に視線を上げ言った。 「改めて、単刀直入にお聞きします」 「ん?ああ、はい。どうぞ」 今更、そんなに改まって何を聞かれるのだろう、とは思った。 の意図が全く読めなかったから。 ただ、大したことでもないだろう、とも思っていた。 だが、次の瞬間耳に飛び込んできたその質問は例え一瞬でも思考を停止させるには十分なものだった。 「伯寧さんは好きな人とか慕っている人とか、どなたかいらっしゃいますか?」 「……は?……どうしたんだい?…また唐突に」 内容の割りにさらりと、それこそあっさりと聞いてきたに、どんな表情を返したかは自分では分からない。 ただ、驚いたことは間違いない。 にそんな質問されるなんて、一体誰が思いつくだろう。 誰も想像すら出来ないはずだ。 そんな私に気づいてか、が相槌を打ちながら付け足す。 その表情はどこか申し訳なさそうに眉尻が下がり、苦笑いを浮かべている。 「そうなりますよね。ですけど、理由は話せないんです、ごめんなさい」 言って律儀に頭を下げるに私は手を横に振り質問に答える。 「いや、いいけど………いないね、そういう人は」 「そうですか…気になってる人とかも、いませんか?」 「そうだね」 「ありがとう、分かりました」 再び頭を下げるを私は視線で追いながら一瞬考える。 自身が気になって聞いたというより、誰かに頼まれた、っていう感じかな。 がこんなこと頼まれて動くってことは…大体見当はつくけど…。 その時気配がしたかと思うと、私の後ろから聞き慣れた声がした。 「私には聞いてくれないのかな?」 「…郭嘉さん……」 は、いかにも面倒臭そうな顔をして私の横に並ぶようにして立った郭嘉殿に視線を投げる。 そんなの顔を見て、思わず笑ってしまいそうになるのを私は堪えた。 まだ郭嘉殿のことは苦手だと思っているんだろうか、とふと頭の片隅で思う。 郭嘉殿が笑みを浮かべ顎に手を当てに言う。 「朝から楽しそうな話をしているね」 「楽しくはないですよ…」 「それで、私には聞いてくれないのかな?」 思っていた通りの展開に、私は呆れながら郭嘉殿を見る。 は暫く無言のまま半目になって郭嘉殿を見ていたが、一度目を伏せるとため息を吐き出してから言った。 「…そこまで言うなら、聞いてあげます。郭嘉さんは、好きな人とか慕っている人とか、どなたかいらっしゃいますか?」 「それは、もちろんかな」 「質問にご回答いただきありがとうございました」 ぴしゃりと言い放ち、ぶっきらぼうに頭を下げる。 郭嘉殿がため息を吐き出しながら首を振った。 「まったく冷たいね。もっと嬉しそうにしてくれないかな?」 「私が嬉しいと思うことをしてから言って下さい」 尤もだ、と思いながら呆れ顔のを私はただ、何となく見た。 それから一拍おいて、郭嘉殿がに言う。 「話は変わるけれど…君の書机に急ぎで頼みたい案件を昨日の内に置いておいたから、処理しておいてくれるかな?」 「分かりました。それなら、先に失礼しますね。では、伯寧さん、また」 「ああ、またね。」 会釈するようにして笑みを浮かべるに、私も笑みで返し軽く手を振る。 それに手こそ振らなかったが、もまた胸よりやや高い位置へ軽く手をあげ返してくれた。 踵を返し、宮城の門へと足早に消えていくの背を見送る。 郭嘉殿が同じ方向を見ながら腕を組んで呟いた。 「満寵殿が羨ましいね」 「…君の日頃の行いが悪いんだと思うよ」 郭嘉殿の方を見ずに、私はそう答えた。 どこか心外だと言わんばかり、郭嘉殿が小さく唸り独り言のように、そうかな、と呟く。 そうだろう、と内心突っ込みながら郭嘉殿を横目で見ると、首をわずかに傾げるようにして言った。 「それにしても、は誰に頼まれたのかな?」 「そういうことは詮索しない方が良いと思うけど」 再び私は呆れて額に手を当てる。 見当だって恐らくついてるだろうに、何を言ってるんだ郭嘉殿は。 そんなことを思いながら、続く郭嘉殿の言葉を聞く。 「満寵殿は気にならない?自分を慕ってる子が誰なのか」 「生憎、私は君みたいな趣味を持ち合わせていないよ」 「ふうん…」 意味ありげに唸る郭嘉殿に、私はなんで朝からこんなに疲れなくちゃならないんだ、とため息を吐き出した。 門へ出入りする人の数が徐々に増えてきた。 「とりあえず、私たちも行こう」 言葉を口にしながら、歩を進める。 うん、という郭嘉殿の相槌を私は背中で聞いた。 * * * 「ごめん。お待たせ」 「いいえ、あの…ごめんなさい」 「いいのよ、気にしなくて」 物陰に身を潜め窺うと、すでにそこに居た周蘭と合流するの姿が見える。 何となく面白くなって、思わず口元が緩んだ。 「思った通りだったね。どう?感想は」 「…だから、私は興味が無いよ……」 「ここまで来ておいて?薄情だね、満寵殿も」 「君が私を引っ張ってきたんだろう?人聞きの悪い」 たちの居る方に背を向けて腕を組む満寵殿が、うんざりといった風にため息を吐き出した。 たちからは絶対に見えない場所だが、声はしっかり聞こえる。 もちろん、私たちの声は向こうには届かない。 そこは抜かりなく。 周蘭が不安そうな顔、そして、不安そうな声音で言った。 「ど、どうでしたか?」 「うん、特定の人は、気になる人も含めいないみたい」 「何か、他におっしゃってませんでしたか?どんな…感じでしたでしょうか…?」 結構周蘭も聞くね、と私は内心思った。 まあ、気になる相手のことはどこまでも知りたいし、そのすべてが気になるっていうのは共感できるけれどね。 肝心なことを上手く隠しているから、その肝心なことを私が聞き出せる日はいつになるかな。 それを考えている時間も実に楽しいけれど、今はこっちを楽しみたい。 周蘭の問いに、が答える。 「質問に答えてもらっただけで、他には何も。どんな感じっていうのは…うーん、そうね…まあ、可もなく不可もなく…普段通り、かな」 「そうですか…分かりました、ありがとうございます」 「いいえ」 の顔は見えないが、声音は明るく優しい。 この声を聞くと不思議と安堵を覚えるのだから、全くいけない、と思う。 安心していい、とまるで幼子に諭す母親のような、そんなものにさえ思えてくる。 そして全てを受け入れてくれるのではないかと錯覚してしまう。 きっと、多少の不安を抱いているであろう今の周蘭も、そうだろう。 のこれは男女の差無く、誰に大しても向けられる分け隔ての無いものだ。 「あの、様…私…」 周蘭が控えめに声を発したかと思うと、途端口を噤む。 そのまま黙ってしまった周蘭に、がまた優しくそして明るく、その先を促すように言った。 「他にも頼みごと?内容次第だけど、私に協力できることならするよ」 声音からは、気にするな、というエディ子から周蘭への思いが読み取れる。 のその言葉を聞いて、私は満寵殿に視線をあげた。 「だって。どうする?満寵殿。が”周蘭と付き合ってあげてください”とか言ってきたら」 「…ないね。は特別な事情が無い限り、そういう類のことに協力するような人じゃないよ、恐らく」 完全にあきれ返っているのだろう満寵殿は、先ほどの体勢のままこちらを見ずに空を仰いでいる。 満寵殿がこれぐらいで動揺する分けないか、とどこかで思う。 同時に、確かにはそこまでの”協力”はしないだろうと瞼を伏せた。 暫くして、周蘭が切り出す。 「…あの、様は以前、自分が心で決めたことは自分で切り開いていくものだと思う、と話してくれましたよね」 「ええ。そんな話、したことあったわね」 唐突な話題に、の声音が少しだけ変わる。 周蘭がなぜ、そんな話題を出したのか計りかねた。 どういう流れで、”以前”そういう話になったのかも分からない。 の口からは直接聞いたことが無い、の価値観。 実際はそれを体現していると言える。 思ったまま、私は言った。 「流石、。私が女性だったら惚れてしまうね」 「君、いま自分が言っていること分かっているかい?」 「もちろんだよ」 たちを見たまま返したが、満寵殿の呆れ顔が手に取るように分かり、思わず口元が緩む。 案の定、ため息が聞こえてきた。 周蘭がを見上げながら言う。 「それは…今も変わりませんか?」 「ええ、もちろん。以前も話したけど…例えばの話。それが人から与えられた道だったとしてもそれを最後に選ぶのは自分なんだから、その道は自分で切り開いていくものだと私は思う。人が言ったから、というのは関係ないわ。まあ、出来ないところは人を頼ってもいいと思っているけど。全て一人でする必要も無いしね」 の言葉を聞きながら、暫し考える。 例えば、とは言っているけれど…は基本、経験と実績を重視して物を見る。 とするなら、この話も恐らく経験則からだろう。 ならば人から与えられた道、というのは今の自身のことを言っているのだろうか。 それとも、向こうに居たころ、過去のことだろうか。 或いは、両方。 それでも、普段の言動を思い返すと、前者が当て嵌まる気はしない。 今の状況を自身がそんな風に表現するとは到底思えなかった。 「…はい。私も様のお話を聞いて、その通りだなと思いましたし、それは今も変わりません」 周蘭の声で、ふと気づき内心、頭を振る。 今それを考えて例えその答えが分かったとしても、に自分を意識させることが出来るだなんて、思えない。 ひとつの手がかりにはなるかもしれないけれど。 同時に、と初めて会った頃のことを思い出す。 自分を誤魔化すために口を開いた。 「あの子も中々いい子だよね、可愛いし」 「…見境が無いな、君は」 「冗談だよ」 「もう何も言わないよ」 満寵殿も本当に釣れないな、と思っていると周蘭が口を開く。 「あの、今度様がお休みの日、お邸へお邪魔してもいいですか?」 「いいわ。いつでも来て」 「ありがとうございます!」 そう言って周蘭は満面の笑みを浮かべた。 北からの風が吹く。 強くはないが、その冷たさに思わず首を竦めたくなる。 が頷いて、周蘭に言った。 「どういたしまして。さて…悪いけど、そろそろ私は戻るわね」 「はい、私も戻ります…様、また!」 「うん、またね、周蘭さん」 頭を下げ大通りの方へ去っていく周蘭にが返す。 そして、周蘭は数歩駆けてから一度振り向くと、に手を振った。 もまた控えめながら手を振りかえす。 私は、周蘭の背中が見えなくなったのを確認して、満寵殿の方を振り返った。 「次の休みにの邸へ行ってみたら?満寵殿」 「…あの話を聞いて行く人間がいるとしたら、君ぐらいだよ」 顔を覆うように手をあて満寵殿がそう声を低くして言う。 そのとき、背後から不意にの声がした。 「もう、なんでついてきちゃったんですか?郭嘉さん」 腑に落ちない、といった声音のとおり、振り向くとそんな表情を浮かべてが私を見上げていた。 そんなに私は言う。 「なんだ、気づいていたの?」 「当り前です」 腰に手を当てため息交じりにが言った。 ぶっきらぼうに返すそれに僅かだがどこか怒気が込められている、と感じるのは気のせいではないと思う。 どちらかといえば、呆れの方が強いようだけれど。 そして改めて思う。 案外は情に厚い、と。 「それで、何故私だけ咎められるのかな?満寵殿も一緒なのに」 「どうせ郭嘉さんが無理矢理連れてきたんでしょう?」 「よく分かったね」 眉根を寄せるにそう告げると、一拍おいてからがため息を吐いた。 そんなの反応が、自分にはこの上なく可愛らしく見えて思わず口元が緩む。 宮城(しろ)でも散々見てはいるけれど、やっぱり何度でも見たくなる。 多分、私は彼女を少し、困らせたいんだろう。 私はに言った。 「ところでは、取持ちの協力をしたことはある?」 「な、何ですか?急に」 「いや、単純な疑問だよ。同姓にそういうお願いされたこと、ない?」 は一瞬止まった後、考えるように、暫し視線を横に外した。 それから、ほんの少し眉根を寄せて視線を合わせずに言う。 「…質問の意図が分かりませんが……もう何年も前のことですけど、どうしてもって頼まれて、二回経験があります…ただ、今はどんなに頼まれても受けませんよ」 「ふうん、なぜ?」 再度問うと、は更に眉間の皺を深くして私を見た。 そして口を開く。 「なぜって…元々そういうものに協力するっていうのは気乗りしないんです。基本は全て断わってたんですけど、一回だけだからって何度も頭下げられて……それで渋々受けたのが二回。だけど、結果は全て失敗で、挙句に何故か私が責められるんですよね。本人だけじゃなく、その友人からも………なぜかしら、理不尽だわ」 目を伏せるを満寵殿が怪訝そうに見やる。 そして、小さく呟くようにして言った。 「……それってもしかして…」 「満寵殿…それはきっと言っても無駄だね」 そんな満寵殿に視線をやって私は首を振る。 満寵殿もまた、諦めたように目を伏せた。 経緯は分からないが、取持ちを頼まれた相手の意中の男二人とも、本命はだった、ということだろう多分。 そして、恐らく本人はそれに気づいていない…。 今に始まったことではない、と喜ぶべきか喜ばざるべきか…。 私たちの会話に気づいていないらしいが話を続ける。 「それ以来、断わることに決めてるんです。まあ、でも主な理由はそんなことじゃなくて、どんな結果にしろ私が動いたんじゃその人自身のためにはならないから、ですけど」 だけど、これがさっきの周蘭との会話の中の価値観を形成するに至った決定的な”経験”ではないだろうと思う。 何かもっと別のことだ。 「なるほどね。君が色んな人から見て魅力的に映るってことがよく分かったよ」 「…私、いまそんな主旨の話をしてましたか?」 「あれ?違ったかな?」 「いえ、なんかもう…いいです。戻りましょう」 再び呆れ顔でため息交じりに返す。 ここで生まれ育った人間なら、如何様にも調べられるけど、はそうはいかない。 少しずつ聞き出して、少しずつ情報を集めるしか方法はない。 それも、殆ど本人の口から聞き出さないといけないだなんて、籠城戦で攻めるより難しい話だ。 満寵殿と並ぶようにして歩くの背中を、私はただ見つめた。 薄い青空は、いつもより遠く、高く感じた。 * * * 「私はこんなところで何をしているんだ…」 「満寵殿に同感です」 「二人とも、つれないね」 「そもそも君ね…まさか、荀攸殿を騙して連れて来るなんて、何を考えてるんだい?」 「人聞きが悪いな。そこで偶然会ったから一緒に来てもらっただけだよ」 「……あれは、文若殿」 満寵殿と郭嘉殿の会話を聞き流しながら視線を通りの方へやると、そこを横切る文若殿が視界に入る。 同時に目があって、文若殿が方向を変え、こちらへゆっくりと歩いてきた。 その時、塀の向こうから周蘭殿と殿の会話が聞こえてくる。 「様、ありがとうございます。これでちょっと頑張ってみます」 「ええ。でも、あまり片意地張らずにね」 「はい」 俺たちのいる場所は殿の邸の北側だ。 殿と周蘭殿は建物の北側、書斎に面した縁側にいるらしく塀を隔てていてもその声は聞こえる。 そんな二人の先ほどからの会話によると、どうやら周蘭殿は殿に”肌の手入れ法”を教わっていたようだ。 俺には全く分からないし、興味もないが殿がそのような方法を数多知っていたことが驚きだった。 いや、殿も女性なのだから当たり前なのだろうが、普段の殿を思い出すとどうも結びつかない。 他の女官や街の娘たちのように化粧をしているということもなそうだ。 ただ、肌は綺麗だと思う。 宮城の女官たちが話題にするぐらいだ。 同性から見ても綺麗だと感じるのだろう。 だから、周蘭殿は殿にそんな教えを乞うたのだろうか、と俺は頭の片隅で思った。 文若殿がごく近くまで来ると歩を止めずに口を開いた。 「三人お揃いで、何をなさっているんですか?…こんな所で」 「静かに、荀ケ殿。貴重な情報を得られるかも知れないのでね」 「貴重な情報、ですか………分かりました」 口元で指を一本立て静かに、極真面目な顔で制した郭嘉殿に文若殿は一瞬目を見開くと戸惑い気味にそう呟いて俺の隣に立った。 そして、俺を見ながら何事かと視線で訴える。 俺は声には出さず、ただ首を横に振った。 実際、郭嘉殿の意図は俺もまだ分からずにいる。 半々刻ほど前、通りで郭嘉殿と遭遇し、このあと予定が無ければ付き合ってもらえないかと、ただそれだけ言われここまでついてきた。 既にそこには満寵殿がいてかなり驚かれたりもした。 郭嘉殿はそんな満寵殿に、 『てっきり待ち合わせを無視するものだと思っていたのだけれど、物好きは満寵殿もだったね』 などと言っていたが、満寵殿は、 『君を一人だけにしておくのも何しでかすか分からないから敢えて来たんだ。一緒にしないでくれ』 と訝しげな顔で返していた。 そこで俺はやっと、郭嘉殿に何をするつもりなのかと問うた。 すると郭嘉殿は、『何も』と一言答えてから続けて言った。 『ただ聞くだけだよ』と。 さらに続けて言うには、満寵殿に思いを寄せているらしい周蘭殿が今日、殿の邸へ来るというので二人がどんな話をするのか聞きにきた、というのだ。 俺は思わず呆れた。 流石に顔には出さなかったが、空いた口が塞がらない、というのはこういうことを言うのだろう。 郭嘉殿は基本的に悪い人間ではないが、こと殿のこととなると耳目を疑いたくなるようなことをする。 その行動を予測するのも難しい―中には想像がつくものもあるが― そしてそれらの意図が俺には理解できないし、何より郭嘉殿のそういうところだけは苦手だった。 ただ、当の殿は一切気にしていないらしい、そのことは一種救いと言える。 …いや、だからこそ、郭嘉殿はこういうことをするのかもしれない。 だからと言って、それが良い事だとも俺には思えないが。 そのとき、周蘭殿の声が、やけにはっきりと耳に届いた。 「ところで、様はどんな男性が好みですか?」 俺の隣で、郭嘉殿が唸りながら言う。 「周蘭も聞くね」 「か、郭嘉殿…これは…」 「うん、の秘め事を聞けるかも知れない、好機だよ」 明らかに狼狽えた様子の文若殿に郭嘉殿は視線を塀に向けたまま普段と変わらず、どこか楽しげにそう言った。 内心、若干の緊張を覚えながら、それでも、やはり郭嘉殿が分からない、と思う。 こうなることをを初めから分かっていてここにいるわけではないが、既に俺は罪悪感を抱いていた。 そんな俺の耳に、殿の声が塀越しに届く。 「そういうの意識したことないのよね…好きになった人が好みなんじゃないのかしら」 「じゃあ、様が様の国にいらした時に好きになった人はいますか?」 「…それ、答えないと駄目?」 「はい」 周蘭殿の語気は強い。 殿にしては珍しく、狼狽えたような口ぶりだ。 流石にそうだろう、と思う。 隣で郭嘉殿が言った。 「いいね。周蘭は私の思った通りの子だったな」 「君ね…」 「こんなこと…殿が知ったら……私は…」 満寵殿が額に手を当て呆れると、ほぼ同時に文若殿がそう呟くようにして踵を返す。 その文若殿の腕を、郭嘉殿が素早く掴んだ。 殿と周蘭殿の話声は止まらない。 「いたことにはいたけど…」 「どんな方ですか?」 「うーん……」 言い渋るような殿の声が聞こえる。 片や、郭嘉殿は文若殿を諭すように声音を抑え穏やかに言った。 「まあまあ、荀ケ殿。きっとは私たちに気づいているから、そこまで気にしなくても大丈夫だよ」 「大丈夫なんて…」 「ほら、ちょっと静かに。は良いけど、周蘭にバレたらそれこそ大変だよ」 郭嘉殿の自信がどこから来るのか分からない。 また、そうは言いつつ、そもそもバレてもいいと思っているような節もある。 自分が楽しいと思えるものに対して、本当に郭嘉殿は素直すぎるぐらい、素直だと思う。 「もしかして、思い出したくないことでしたか!?ごめんなさい、私ったら…」 前触れなく、そう慌てたような口調で周蘭殿が声を上げた。 恐らく、暫く沈黙してしまった殿を前に不安に駆られたのだろう。 しかし、殿は明るい口調で何事もなかったように言う。 「ああ、いいのよ別に。もう、とっくに終わったことだから……そうね…まあ、優しい人だったとは思うわ」 「優しい人…」 「そう、まるで…」 そこで一度言葉を区切る。 「…何も知らない子供みたいに、ただ優しい人だったわ」 口調だけなら、何かを懐かしむような穏やかで優しい声。 ただ、どこか自嘲気味たものを感じて、それが心の中で引っかかった。 だが、周蘭殿はそう感じなかったのだろう。 代わりに別のことを考えたようだ。 続けて殿に質問をする。 「様は年下の方が好みなんですか?その方は様よりもお若い方?」 「ううん、年は同じよ。まあ、年齢は関係ないわね。それはどちらでもいいかな」 「じゃあ、大丈夫ですね!」 「…周蘭さん、それってもしかして、前の話の続きかしら?」 「はい!」 周蘭殿の元気な返事が聞こえた。 隣で郭嘉殿が顎に手を当てる。 「どちらにしろ、中々掴みにくい情報だね」 「この期に及んで、君ね…」 満寵殿が呆れながら腰に手を当て郭嘉殿を横目で見た。 再び、周蘭殿の溌剌とした声がする。 「私、応援してますから!」 「…私はまだ何も言っていないのだけど……」 「出来ることがあったら、私も頑張りますね!」 周蘭殿は、一体殿の何を応援しているというのだろう。 郭嘉殿が微笑を浮かべ呟くようにして言う。 「うん、周蘭は本当にいい子だね。だけど、と誰をくっつけようとしているのかな?」 「まったく、君には呆れてものも言えないよ…」 満寵殿がここにいて良かったと、俺は思う。 もし、郭嘉殿が先に言っていたように満寵殿がこの”待ち合わせ”を反故にしていたとしたら、気まずいことこの上ない。 いや、今もそうだが、ただ彼が郭嘉殿に返してくれるおかげで、多少はマシだ。 文若殿に視線を向ける。 瞼を伏せながら塀に背を向け、腕を組んでいた。 「それでは様。私、この後寄らなければいけない所があるので、今日はこれで失礼します!ありがとうございました!これも、早速試してみます!」 「ええ、気を付けて帰ってね」 そう二人の最後の会話が聞こえてから間もなく、周蘭殿の気配が遠のく。 暫くして、殿の呟くような声が聞こえてきた。 「……困った…何も言ってないのに話が独り歩きしてる………」 想像するまでもなく、殿が額に手を当てている姿が脳裏に浮かぶ。 不意に、郭嘉殿が気を取り直すようにして言った。 「さて、の所に行こうか」 「私には君が何をしたいのかさっぱり分からないな」 満寵殿に同感だ、と内心思う。 郭嘉殿が殿の邸の門を目指して歩き始めた。 そのあとを満寵殿、そして更にそのあとにつく荀ケ殿、その三人の背中を見ながら、俺は誰にも気づかれないように小さくため息を吐いた。 * * * 「…だから、なんで盗み聞きするんですか、郭嘉さん」 郭嘉殿を見るや、開口一番に殿はそう言った。 足を止めずに郭嘉殿が殿に悪びれも無く言う。 「それは勿論、気になるからだよ」 「それに付き合わされてる皆さんが不憫です…まったく」 腰に両手をあて、ため息混じりに言う殿に、私は足を止めて謝罪した。 「殿、申し訳ありません」 「いいんです、荀ケさん。悪いのは全部!郭嘉さんですから、気にしないで下さい。荀攸さんと伯寧さんも」 言いながら、殿は手を横に振り眉尻を僅かに下げる。 殿が言葉の一部を強調すると、同時に郭嘉殿が肩をすくめた。 それから何事も無かったように笑みを浮かべる殿に、郭嘉殿が言う。 「ところで、。君の好きだった人っていうのは、優しい以外にどんな人かな?」 その場の誰もが呆れたが、私たちが口を開く前に、殿がすかさず返す。 「さっきの話、聞いてらっしゃったんですよね?そんなこと、どうでもいいですよ。終わった話です」 「ううん、やっぱり思い出したくない?」 「…強いて思い出したい思い出でもないですし、寧ろ聞かれるまで既に忘れていたぐらいです。ていうか、郭嘉さんは過去に好きだった人のこと好き好んで思い出しますか?」 一拍置いてから、そう切り返す殿の表情は矢張り気にした様子も無く、どちらかといえば人事のような、そんな言い方だった。 普通なら恥ずかしがったり、狼狽えたりするのだろうが、そこはさすが殿とでも言うべきだろうか。 殿は眉根を寄せ郭嘉殿に視線を送るも、そこには嫌悪感のようなものは感じられない。 些細な話をしている、といった様子だ。 そんな二人のこうした姿は、今では日常茶飯事と言ってもいい。 私の知る限り、一日一回はこういう場面を見る。 郭嘉殿がほんの僅か唸ってから、顎に手を当て殿に言った。 「この場合、思い出す、と言いたいんだけれど、のことを思うと否定したい。難しいところだね」 「そうですか、そのまま悩んでてください」 眉根を寄せたまま殿はそう即答すると、大きなため息を吐きながら瞼を伏せ、次いで吐き捨てるように言った。 「…まったく下らないわ」 「!いるか?」 丁度そのとき、背後から聞き覚えのある声が聞こえて振り向く。 満寵殿と公達殿も同じように振り向いた。 「あ、典韋さんだ」 殿が声を上げたと同時に、典韋殿が門の前に建つ塀の向こうから姿を現した。 そして直後、驚きの表情を浮かべる。 「うおっ、なんでこんなに軍師がいるんだよ!もしかして、何か難しいことでもやってたのか?いやあ、悪いところに来ちまったかな」 「そんなことないですよ、典韋さん。特に何かしてたわけじゃないです。ところで、どうかされたんですか?」 申し訳なさそうに後ろ頭を掻く典韋殿に、殿が笑みを浮かべながら歩み寄る。 それを見て、典韋殿の顔にも笑みが浮かんだ。 「おう、ほら、これ!獲ってきたぜ。一頭だけだけどよ」 そう言って、塀の影から狩ってきたらしい牡鹿を引っ張り出した。 それから軽々と担ぎあげてみせたが、どう見ても典韋殿の二、三歩前に立つ殿よりその牡鹿の体長は大きく見える。 殿が両手を胸の前で合わせて声を上げた。 「わあ、立派な鹿!こんな大きいの、一頭でも十分です。ありがとうございます」 「おうよ!この前に教えてもらったとおり、すぐに雪で冷やしておいたぜ」 「そこまでやって下さったんですね!それじゃ早速、解体しましょうか。美味しく頂くには時間が勝負ですからね」 「おし、そんなら、わしも手伝うぜ!」 「お願いします」 と、何となく展開についていけていない私たちを置いて、慣れているのか典韋殿が牡鹿を担いだまま庭の南側へと歩いていく。 その場に留まっていた殿が、順繰りに私たちを見回しながら申し訳なさそうに言った。 「皆さん、時間に余裕あれば待っててください。ごめんなさい、構いもせず」 そこで頭を下げると、ここでいいか、と叫んでいる典韋殿の下へと慌てて駆けていく。 その背中をひとしきり見送っていると、郭嘉殿が腕を組みながら言った。 「ううん、話題を全て典韋殿に持って行かれてしまったね」 「…何よりだよ、まったく。とりあえず、ここまで来たんだし見学でもさせてもらおうかな」 「そうですね…公達殿はどうされますか?」 「俺も…そうします」 満寵殿の独り言のような言葉に相槌を打ちながら、公達殿に話を振るとそう返ってきた。 満寵殿が北の縁側に腰を下ろし、郭嘉殿もまたそこへ腰を下ろす。 それに倣うように、私と公達殿もまた縁側へと進んで腰を下ろした。 そこから、南の縁側の前辺りにいつのまにか設置された解体用の台の上へと典韋殿が牡鹿を載せているのを見やる。 台の足元にはいくつかの大きめの桶が置かれていて、中には雪が入っているようだった。 殿が、三拍ほど牡鹿に手を合わせる。 背を向けているので今は見えないが、以前、公達殿と居合わせたとき同じようにして瞼を伏せていた。 そのときのことを、ふと思い出す。 私はそのときその行動を不思議に思って、何をしているのかと殿に問うた。 殿は手を合わせ目を閉じたまま静かに言う。 『私たちが生きるためにその命を頂きます、と。その魂に敬意と感謝を込めて』 それを聞いて、私は何か新しいものを発見したような気分になった。 そして、同時に思った。 人でもない動物にさえ、そんな思いを自然に込められる殿を本当にこのままにしておいて良いのだろうか、と。 このまま、戦場に送り出すようなことをさせて、良いのだろうか、と。 しかし、それを見透かしたかのように、殿は私を見て言う。 『小さい頃、祖父にそう教わったんです。それこそ何度も。こちらでは余り耳にしない考え方ですよね?物珍しいものだと思って流してください、深い意味はありませんから』 言って、笑みを浮かべた。 それでも、本当にそうだろうか、と未だに思う。 視線の先の殿が手を下ろす。 それから、準備した小ぶりの包丁を使って牡鹿の腹を割きはじめた。 胸骨を外し恥骨を割ると、臓腑を取り出す。 それをまた手際よく部位ごとに分け、足元の桶へと入れていく。 臓腑を全て取り出し終わると、その腹の中を水で濯ぐ。 そうしてから、首、前肢、後肢それぞれにぐるりと切り込みを入れているようだった。 流れるような無駄の無い動きに思わず見入ってしまう。 それが一通り終わると、典韋殿が唐突に牡鹿の頭をがっしりと掴んだ。 首の切り込みに殿が両指をかける。 典韋殿が言った。 「よし。、いいぜ!」 「はい!じゃあ、いきますね!」 そう元気よく殿は応じると、牡鹿のその掴んだ皮を頭から後肢の方向へと剥がし始めた。 典韋殿が牡鹿の頭を掴んで固定し、殿が引っ張っている。 牡鹿の身体は台から浮いていた。 以前居合わせたときは、殿一人で作業をしていて、その時の鹿は庭の木に頭から吊るされ、それを下へ向かって剥いでいたと記憶している。 見る限り息が合っている。 既に何度かこの方法で剥いでいたのだろう。 特に秋冬の時期はかなりの頻度で典韋殿が鹿や猪を持ってきてくれる、と殿が以前言っていた。 典韋殿が声を掛けると、殿が、もうちょっと、と唸りながら更に力を込める。 満寵殿を挟んで座っている郭嘉殿が、膝の上で片肘をつき前かがみになって、そんな二人を見ていた。 不意に、常の如く笑みを浮かべ呟くようにして言う。 「うん、すごく楽しそうだけど…やってることは結構えげつない、かな」 「同感だ…何より、が解体までできたってことが、まず驚きだよ…てっきり、誰かに頼んでいるものだと思ってた」 「それは私も思っていました。初めて拝見した時は本当に驚きましたね」 そう、思ったままを口にすると、身体の後ろに両手をついて座る満寵殿が僅かに身体を起こして私を見る。 不思議そうにしながら満寵殿が言った。 「あれ?ってことはこれで何度目?」 「私は二度目です」 そう返すと、意味を読み取った満寵殿が、次いで公達殿を見やる。 視線に気づいた公達殿が満寵殿に視線を向けてから一拍置いて言った。 「俺は三度目です…といっても、二度目の時は猪でしたが」 「それは今回みたいにたまたまってことかな?」 郭嘉殿が公達殿に問う。 その問いに、公達殿は首を一度横に振った。 「いえ、偶然は偶然ですが…その日、市場で砥石を求めにきた殿と会って、都合を聞かれたものですから。そのまま誘われてお邪魔した時に」 「ふうん。なるほど…私はあまりと偶然会うってことがないのだけれど、避けられているのかな?」 「避けるも何も…君、普段どこをほっつき歩いてるんだい?」 「うん?そんな野暮なことを聞くの?満寵殿は」 「それが分かっていて、よくと遇わないなんて言えるね…」 「それもそうだね。があそこにいたら、流石に驚いてしまうよ」 そんな会話を聞きながら、私は殿の背を見つめた。 皮を剥がし終えた殿が、典韋殿と話をしながら牡鹿の肉を部位ごとに切り分けている。 会話の内容までは分からないが、手元の動きには滞りが無い。 本当に手際が良いと改めて思った。 部位ごとに分けた肉を桶や何かの葉を敷いているらしい籠に移す。 一通りそうしてから、邸の影に殿が消えた。 暫くして姿を見せると、殿がまっすぐこちらに歩いてくる。 台はまだ出たままで、肉の入っている桶や籠は縁側の陰にあった。 私たちの前で足を止め殿が誰にとも無く言った。 「ごめんなさい、お待たせして」 「いや、いいものを見せてもらったよ。が動物の解体まで出来るなんて…どこで覚えたのかな?」 郭嘉殿が相槌を打ちながら殿に問う。 殿が郭嘉殿に視線を向け答えた。 「祖父が狩猟をしていたので、その時に教わりました…といっても、直接は教えてくれなかったので、横で見たり手伝ったりしているうちに自然に、ですけど。まあ、我流ですね」 「へえ。の眼力の鋭さは、そういう所で培われたのかもね」 満寵殿がそう声を上げる。 殿はその言葉を聞いて顎に指を当てると中空を見ながら、何かを思い出すようにして言った。 「うーん、それはどうか分かりませんけど…祖父に限らず、口では教えないから見て覚えろっていう家だったので…色々気になってしまうのは伯寧さんの言う通り、そのせいかもしれませんね」 言って、苦笑いを浮かべる殿に今度は公達殿が問う。 「それでも分からない時はどうするのですか?」 「調べられるものは自分で調べます。調べてどうしても分からなかった時、初めて大人に聞く…けど、何が分からないかの説明を求められるので、まあ、子供なりに色々考えて伝えてました」 「結構厳しい家なんだね、の育った家っていうのは」 満寵殿が言った。 「まあ、そうかもしれませんね…けど、そのお蔭でものの楽しみ方に気づけたと思ってるので、感謝してますし、当時も子供なりに楽しいと思ってたので言われるほど厳しいとは思ってません」 そう殿は満寵殿に返すと笑みを浮かべる。 それから二拍ほどおいて唐突に両手を胸よりやや高い位置で合わせ、殿が少し高い声で言った。 「さて、ひとまず長話はここまで。実は、さっき典韋さんと話をして、このあと夕飯作ることにしたんですけど…伯寧さんたちも都合がつくなら、一緒にどうでしょうか?紅葉鍋にしようかと思ってるんですけど」 「「「「もみじ鍋?」」」」 予期せず、殿以外の全員の声が重なる。 そんな私たちに殿は笑みを浮かべ、人差し指を立てて言った。 「はい、鹿鍋のことです」 「由来は後で聞くことにして、どんな料理なんだい?」 「ただの鍋です。囲炉裏の真上から鍋を吊って火にかけるだけの簡単料理です」 「囲炉裏の真上…ああ!あの熱心に補強してた梁から下りてるあれに吊るすってこと?」 「そうです!やっと出番が来ました」 「それは是非見たいね」 殿と満寵殿のやりとりを聞きながら、郭嘉殿が私と公達殿に視線を投げる。 暗に、どうするか、と問われた。 一度公達殿と視線を交わしてから、是の意味を込め郭嘉殿に頷く。 「なら、決まりだね。、私も荀ケ殿も荀攸殿も、このままご馳走になるよ」 郭嘉殿が満寵殿の言葉に相槌を打つように言って、それから殿にそう告げた。 「分かりました、じゃあ、早速準備しますね!やっぱり、鍋は大人数でつついた方が楽しいですし、量も多い方が美味しくできますしね」 殿は、そう言って嬉しそうに声を弾ませる。 何気なく見上げた空の色は、徐々に変わり始める、そんな気配を見せていた。 つづく⇒ ぼやき(反転してください) 相変わらず、前に進まない あと、こう上手くまとめきれてない感じね… 一週間ぐらい引きこもりたい 2018.08.23 ![]() |
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