一九五年 十一月






     人間万事塞翁馬 48















その酒楼へは、満寵殿と二人で入った。
中を歩いていると視界に入ったのは、椅子に腰かけている見覚えのある後ろ姿。



「徐晃殿。が一緒でもいいかな?」

「拙者は構わぬでござる」

「それじゃ、声掛けてみようか」



そう言って、満寵殿がそちらへ足を向けるので、その後につく。
どうやら一人の様子で、その時丁度殿が杯を煽ったところだった。



「ああ!このために仕事してる!」



杯を置くと同時にそう声を上げる今の彼女は、普段知る姿からは想像が出来ない。
少なくとも、まだここに来て間もない拙者には、想像できるはずが無かった。



…いつ見ても、いい飲みっぷりしてるね」



満寵殿が、殿の左手側やや正面にまわりながら言った。
満寵殿からすれば、彼女のこのような姿はよく見る光景なのだろうか。
拙者もまた、満寵殿の傍に立つ。

殿がこちらへ視線を上げ驚いたように言った。



「伯寧さん!と、徐晃さん…!」

「邪魔じゃなければ、ご一緒しても?」



満寵殿がそう言うと、殿は不思議そうな顔をしながら答える。



「私は構いませんけど、伯寧さんと徐晃さんは私がいてもいいんですか?」

「ああ、もちろんだよ。ねえ、徐晃殿?」

「うむ。むしろ、殿が迷惑でなければ、是非同席をお願いしたい」

「ね?」

「そういうことでしたら、どうぞ。三人で飲みましょう」



そう言って、殿は自分の正面の席を勧め、笑みを浮かべた。

席につき、杯を交わしながら落ち着いた頃、空の酒瓶が二本並んだところで拙者は殿を見ていて抱いた疑問を口にした。



殿は、酒が好きなのでござるか?」

「はい、好きです」

「しかも、かなり強い。びっくりするよ」



ほぼ即答で、笑みまで浮かべ返ってきたそれに拙者は内心面食らう。
そこへ、追い打ちをかけるように、満寵殿が感心したようにそう付け足した。

しかし、即座に殿が満寵殿を見て言う。



「それ、伯寧さんに言われたくありません…もう、それこそすっごい私、びっくりしたんですから」

「そうかい?」

「そうです、伯寧さんとお酒飲むまで郭嘉さんが一番強いと思ってたんです。それが、もう…本当びっくりです…」

「うむ、拙者も満寵殿ほど酒に強い御仁を未だ知らぬでござる」



早朝に鍛練場にいると、たまに殿と一緒になることがある。
大体は殿から話しかけてくるので、見た目の印象とは違い随分気さくなのだと思っていた。
しかし、満寵殿とこうやって話をしている所を見ていると、どうやらそれ以上に気さくな性格のようだ。
己の友人と第三者が親しくしている所を見ると、何故か嬉しく感じる。

だが、その前に殿が抱いた感想は、拙者も大いに納得する。
満寵殿の酒豪ぶりは、今の自分の中でも群を抜いている。



「そんな同時に二人から見つめられると、居心地が悪いんだけど、すごく」



思わず、凝視してしまっていたようだが、それは殿も同じだった様子。
満寵殿にそう指摘され気づく。
そこへ、殿が両手を一度合わせて音を鳴らすと同時に言った。



「じゃあ、飲みましょう。外、雪降ってますし、寒い日はお燗が一番ですよね」




満面の笑みを浮かべそう告げるも、なぜそこに繋がるのか、拙者には分からなかった。
満寵殿が肩をすくめる。



「…のお酒好きにはどう頑張っても敵わないな…」

「大して時間が経ってはござらぬが、拙者も今同じことを思ったでござる」



新たに燗を頼む殿を見ながら、それだけ返した。

間もなくしてそれが卓に置かれる。
殿が肴に手を付け、筷(はし)を置く。
筷の扱いが、置くにしても何にしても見慣れぬ所作だが、丁寧で上品だと感じる。
上流階級の出なのだろうか。
そんなことを思いながら、杯に口をつける殿に拙者は言った。



殿は、酒の何がそんなに好きなのでござろうか?」



問うと、殿は杯を下ろしながら中空に視線をやった。



「んー、そうですね…やっぱり、味でしょうか。あとは雰囲気、かな?」

「雰囲気、でござるか?」

「はい。お酒の席の独特な空気感っていうんでしょうか。人がいて、お酒があって、料理がある。その時々で変化する”席”が、まあ好きですね。その時その時の楽しさがありますから」



そう言って、人好きのする笑みを浮かべた。
今この瞬間も楽しい、と言われているようで自分もまた同じような気持ちになる。
不思議な感覚だった。

満寵殿が、相槌を打つように言う。



「でも、どちらかといえば一番は味だと思ってる、でしょ?」

「はい、伯寧さん正解です。もっと正確に言えば、お酒と肴の取り合わせ、それが最高です」



本当に好きなのだろうと思った。
同時に、そんなことまで分かってしまう満寵殿は流石だ、と。
満寵殿が続けて質問をする。



「それは、初めて飲んだ時からそうだったのかい?」

「どうでしたっけ…あまり覚えてないですけど、多分そうだったと思います…なんかいろいろ飲み比べてた覚えはありますけど」

「筋金入りだね」

殿のご家族も同じなのでござろうか?」

「家族…」



思ったまま問うと、殿は一度そこで区切り、また何かを思い出すように視線を泳がせた。
一度、杯に口をつけてから言う。



「んー、父は週末以外毎晩飲み歩いていて家にいなかったぐらいですから、飲みも仕事だとは言ってましたけど…多分好きだし、記憶にある限りかなり強い方です。母は、好きは好きみたいですけど、めちゃくちゃ弱いですね。一杯でベロベロです。祖父は好きですし、強かったです。そんな感じでしょうか」

「…じゃあ、のそれは御母堂以外のご家族に似たんだね」

「そういうこと、ですかね。まあ、でも遺伝でしょうね…あとは仕事上の付き合いも多かったっていうのも原因かも」



そう言って、殿は筷を手に肴をつまむ。
無意識か、その顔に笑みが浮かんだ。
満寵殿が言う。



「なるほどね。機会が多ければ、そう考えるのも妥当かな」

「それでも好まぬ者は好まぬでござる。そう考えると、やはり殿の好みに合ったということでござろう」

「うん、それは言えてるね。の飲み方とか食べ方見てると、本当に好きだっていうのが分かるよ」



杯に口をつける殿に視線を向けながら、満寵殿が言った。
拙者もまた、つられて殿に視線を向ける。
たしかに、先ほどからの表情を見ていると、満寵殿の言う通りだと思う。
拙者と満寵殿を交互に見た殿と視線がかち合ったのち、殿が徐に杯を下ろしながら恥ずかしそうにして言った。



「……あまり、見ないでください…見世物じゃないです…」



耳まで赤くしていた。
意外な反応だと思ったが、不快に感じたわけではない。
ほんの一瞬、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
何故かはわからない。
話題を変える意味も込めて、以前から気になっていたことを聞くことにした。



「ところで、全く話は変わるのでござるが…」

「はい、なんでしょうか?」

殿の得物は変わってござるが、それは殿の故郷のものでござろうか?」



それは偶然見かけただけだった。
賊討伐から戻ってきた殿が腰に佩いていた見慣れぬ形状の得物。
その時からずっと気になっていたが、聞ける機会が無かった。
殿が言う。



「ええ、そうです。日本刀…正確には、打刀といいます。三尺…じゃなくて、二尺半より短いものは脇差、さらに一尺二寸より短いものは合口といって区別します」



言い換えた理由が分からなかったが、それほど気にならなかったので聞き返そうとは思わなかった。
それよりも気になることがあった。



「ほう、左様でござるか…殿はその、打刀の他に、脇差や合口といったものも持ってござるのか?」

「脇差はありませんけど、合口…っぽいものなら」

「ぽいもの……それは、どういうことでござろうか?」

「合口はこっちの鍛冶屋で似た感じのものを打ってもらったんですけど…日本刀と呼べるものは、ざっくり言うと伝統技法で打ったものしかそう呼ばないんです。なので、打ち方が変わっちゃうと、形は似てても日本刀とは呼べません。だから、”ぽいもの”なんです」

「それはまた、奥が深いのでござるな」

「はい。私もまだまだ勉強が足りませんから、正確なことをお伝えするのには少々難しいところもありますが…私の国の誇るべき文化の一つです」



そう言って、殿はふわりと笑みを浮かべる。
殿が何故、郷(くに)を出てここに来たのか理由を拙者は知らない。
気にはなるが、それを聞くのは無粋と思えた。



「また機会のある時に拝見させては貰えぬだろうか?」

「それでしたら…もし、ご都合よろしければ明々後日、私の家に来ませんか?丁度、手入れをしようと思っているんです。柄から全て外すので…まあ、興味があれば、ですけど…ご覧になりますか?」

「なんと、それは願ってもいない…是非ともお願いしたいでござる」

「それなら、私も行ってもいいかい?」

「ええ、もちろんです。柄を外したところは伯寧さんもまだ、見たことありませんでしたね」

「ああ。手入れ具を見せてもらったことはあったけど、あれをどう使うのかずっと気になってたんだ」

「そうだったんですか?ごめんなさい、気づかなくて…」

「いや、いいよ。これで謎が解けるからね」



思いも掛けない展開だったが、ただそれに感謝した。
互いに笑い合う殿と満寵殿を見て、どこか微笑ましく思った。










 * * * 










刀の手入れをしながら、じっくり鑑賞会をしていたら早二時間。
時間が過ぎるのって早いよね、ほんとに。
おまけに、外普通に雪降ってるし…。

そんなことを思いながら、十時のおやつを用意した私は盆を手に小上がりの床を一段上がって囲炉裏の前に腰を下ろす伯寧さんと徐晃さんに言った。



「……それにしても、こんな雪の日にすみません」

「天気ばかりは仕方ないさ。けど、このぐらいじゃすぐに止むから大丈夫だよ」

「それならいいんですけど…とりあえず、これ。召し上がってください」



向かって左手側の手前に徐晃さん、その奥に伯寧さんが座っている。
徐晃さんから順に私は茶請けを盛った木製の小皿と緑茶を勧めた。
今日の茶請けは干し柿の中にバターを詰めたもの。
それを輪切りにして二個ずつ盛ってある。
バターは、自家製。
こっちだと、酥(そ)とかいうものが割とバターに近いみたい。
どっちにしろ、そんなに沢山は作れないから、この茶請けもそんなに沢山はないけどちょっと食べる分には十分ってところね。

出したそれを凝視しながら伯寧さんが言った。



…また、不思議なものを作ったね」

「な、なんでござろうか…これは…」

「たまたま手に入った生乳があったのでバター…じゃなかった、酥に似たものを作ってみたんです。それを、作っておいた干し柿に詰めてみました。甘じょっぱい感じで結構いけますよ。お茶、濃いめに出してるので、どうぞ」



自分用に用意したものを口に運びながら、干し柿って好みが分かれるのかな、と今更なことを思う。
そしてこういうの食べてると、お抹茶が欲しくなる。

伯寧さんは相変わらず、最初の発言にも関わらず何の躊躇いも無くそれを口に運ぶ。
対して、徐晃さんは恐る恐るといった感じだ。
以前から思ってるけど、性格出るよね…未知の食べ物を前にした時にどんな反応するかって。
ちょっと、見てて楽しい。

そのとき、徐晃さんが手を止めた。



「なんと…!」

「どうですか?」

「美味でござる!これは、気に入り申した」

「それは良かった」



そう言って笑顔になる徐晃さんを見て、例に漏れず、私は嬉しくなる。
笑って返したのも束の間、伯寧さんが前触れも無く顔を上げた。



「そうか・・・ひらめいた」

「え?伯寧さん、なんですか?」

「いや、いま新しい仕掛けを思いついたんだ!、何か書きとめるものを借りてもいいかい?」

「はい。そこの文机の上のを使って下さい」



そんなことを言う伯寧さんに、私は向かって右側にある文机を指差した。

こんなこともあろうかと、先に用意していたのよ。
何でかよく分からないけど、私の茶請けとか食べてる時に高確率で伯寧さん、こうなるのよね。
まあ、別のことやってて何かひらめく、っていうのは分かるけど…。
兎も角、いちいち出しに行くのが面倒だから、あらかじめ準備しておくことにしたの。
色々と役立って何よりだわ。



「ありがとう」



そう言って、机に向かい始めた伯寧さんの背中を見やる。
徐晃さんが言った。



「流石は満寵殿。変わらぬでござるな」



目を細め懐かしそうに言う徐晃さんに、私は質問する。



「昔から、なんですか?」

「うむ。拙者には全くわからぬでござるが、出来上がった物を見るたび感動を覚えるでござる」

「へー…、そうなんですね…まあ、私はああいう感じの伯寧さんしか知らないから、そうじゃなかったって言われる方が反応に困っちゃうけど…」



言いながら、本当にそうじゃない伯寧さんを一ミリも想像できなくて思わず眉根を寄せて首を傾げた。
だけど、その前に。

出来上がった物って…罠か何かなんだろうか…。
一回だけ伯寧さんと曹仁さんの軍にくっついて行ったことがあるけど、結構えげつない策を披露してくれたのを覚えてる。
覚えてるていうか、多分忘れないと思う。
優しそうな顔して怖いことするわ…棒振り回す郭嘉さんも相当だけど…。
……あ、いや…きっと策どうこうは私も変わらないのかな…。
深く考えるのやめとこう。



殿は、満寵殿とどう知り合ったのでござろうか?」



と、変な考え事をしていた私に徐晃さんが唐突に質問する。
私はそんな質問が来るとは思っていなかったので意外に思いながら徐晃さんを見返した。
徐晃さんが慌てた様子で手を横に振る。



「ああ、いや、深い意味はござらん。ただ、拙者と殿とのように主公のもとに来てから知り合った、というようには感じなかったゆえ…つまらぬことを聞き申した」

「いえいえ、私は気にしてません。そうですね…何て言うんでしょう……私もよく状況が分かってないんですが、空から降ってきた…?」

「そ、空から降ってきた…それは、満寵殿が、でござろうか…?」

「だと思いますけど……私にもよく…」



答えながらじいちゃんちの庭での出来事を思い出す。
それこそ本当に何の前触れも無く踏みつぶされたので、何がどうなったのか全然分からない。
文則さんが横で見てたはずだから、文則さんに聞けばその時の状況が分かるのかもしれないけど…今更そんなこと聞くのもおかしな話だし、ぶっちゃけ何でもいい…。
けど、兎も角…うーん、他に説明が出来ない。

そこへ用が済んだのか伯寧さんが机からこちらへ戻ってきて言った。
徐晃さんが伯寧さんを凝視している。



「いやあ、助かったよ…ん?どうかしたかい?徐晃殿」

「いや…なんでもござらん。流石は満寵殿、と思ったまで」

「なんだい?それは。…君、何を話したの?」



伯寧さんが怪訝そうにして私を見る。
事実を言っただけだけど、私はとりあえず笑って誤魔化した。

その時、外から人の声。
書斎側の縁側から誰かが声をかけたらしく、少し遠くに聞こえたそれは誰の声かは分からなかった。
こちらの部屋の締め切った戸の方を伯寧さんが振り向く。



「誰か来たみたいだ」

「みたいですね…どなたでしょう」



相槌を打って私はその場に立ち上がり、ひとまず目の前の戸に足を向けた。










 * * *










外からの声に、が立上り、縁側に面した戸に向かう。
目の前を通り過ぎて戸を開け、外に上半身だけ出して覗くようにしたが声を上げた。



「荀ケさんと荀攸さんと…昆布!」

「こんぶ?」



見知った二人のことは分かったが、こんぶ、というのは何だろう。
綸布のことだろうか?
そんなことを思いながら立ち上がり、戸の縁で両膝をついたの後ろから外を覗いた。
そこには荀ケ殿と乾燥させた海藻を束にしたものを手にする荀攸殿の姿。
綸布のことかと思ったけど、ちょっと見た目が違うな…。

向かって右手側に立っていた荀ケ殿が言った。



「満寵殿…と徐晃殿もいらしたんですね」



そこから中に居た徐晃殿も確認できたのか、そう言って荀ケ殿が笑みを浮かべ会釈する。
私はそんな荀ケ殿に答えた。



「ああ。が刀の手入れをするっていうから、来てたんだ」

「なるほど、そういうことですか」



言って頷く荀ケ殿の横で、荀攸殿が持っていたそれをに差し出す。
はそれを受け取って品定めをするように、一しきり視線を滑らせた。
荀攸殿がを見下ろして言う。



殿…それであっていますか?」

「はい、これが昆布です。ありがとうございます!……ああ、会いたかった!」

「それなら…何よりです」



会話から察するに、以前荀攸殿が持ってきたものがの言うこんぶではなかったから再度探してそれっぽいものを持ってきた、って所か。
それにしても、こんなよく分からないものに会いたかった、って…この反応はいつものあれに似てるけど…。



、そんなものどうするつもり?」

「分かってないです、伯寧さん!これがないと、始まらないんです!」



私は思わず驚いて、に視線を落した。
それを手に、こちらを見上げるの目はいつも遭遇するそれそのものだ。
でも、その話題以外でこうなるのを見たことがない。

後方から、恐らく初めてこんなを見たであろう徐晃殿が戸惑うように言った。



「ど、どうしたのでござるか?殿は…」

「ああ、たまにこうなるんだ…だけど、この場面でこれは私も初めてだな…」



から視線を外さずに、私はそれだけ返した。



「早速試してみるので、荀ケさんと荀攸さんもあがってください」



そのとき、そう言ってが立ちあがろうとしたので、私は数歩退いて道を作る。
それから立ち上がったは、囲炉裏の間から間口の三分の一だけ衝立で遮られただけの厨房に向かった。
手にしていたこんぶを一旦置きながら、荀ケ殿と荀攸殿へ茶と茶請けを準備すると再び厨房に戻って何やら始める。
隣に腰を下ろした荀ケ殿が茶請けが盛られた皿を手にしながら、まじまじと観察して言った。



殿が作るお茶請けは、毎回変わっていて飽きませんね」

「はい。許昌にいながら、知らぬ土地へ来たかのように錯覚します」



そのさらに隣に腰を下ろす荀攸殿がそう言って、それを口に運ぶ。
同じ様にそれを口にする荀ケ殿を見てから、私は二人に疑問を投げた。



「荀ケ殿と荀攸殿は、ここへよく来るのかい?」

「いいえ。よく、というわけではありませんが…食材を提供する代わりにそれで作ったものを頂いています」

「へえ、それは初耳だ。じゃあ、これも?」



荀ケ殿の答えに、私は空になった自分の茶請け皿を指差した。

それにしたって、そんな関係が出来上がっていたなんて、全然知らなかった。
まあ、何だかんだでも意外に聞かないと話してくれないことも多いから、当然と言えば当然か。

私の問いに、荀ケ殿が首を横に振る。



「いえ、それは違います。殿自身も食材調達先をいくつかご存知のようですから、そこから手に入れたのだろうと思います」

「…人ごみは元々苦手だとは言ってたけど……情報集めとは言え、あれだけ市場を回っていればそういう伝手も開拓されるか…」



その返答に、私はこちらへ背を向けるに視線を投げた。
いつだったか一緒に飲んでいた時に、とたまたまそんな話になり、そう言っていた。
『元々人ごみは苦手なんです。目的が無ければ近づきたくありません』ってね。

そんなことをふと思い出した時、荀ケ殿が茶の入った杯を下ろして何かを思い出したように言う。



「そういえば、典韋殿もよく狩りをして持ってきてくれる、と話していましたね」

「ああ、それは話を聞いたことがある。おかげで肉には困らないって言ってたっけ」

殿は料理をするのが好きなのでござるか?」



徐晃殿が私に視線を向け問う。
私は徐晃殿を見てから中空に視線をやった。
が言っていたことを思い出しながらその問いに答える。



「ううん、本人が言うには食べたいものがあるから作る…まあ、必要だから作ってる、みたいな言い方をしてたけど……」



もう一度、に視線をやった。
後ろ姿しか見えないけど、どんな顔して立っているか容易に想像がつく。



「あれを見てると、好きなんじゃないのかな」

「そうですね、満寵殿のおっしゃるとおりだと思います。好きでなければ、あそこまでこだわることも無いでしょう」

「なるほど。しかし、あのように活き活きとしている殿を見ると、拙者もそう思うでござる」



徐晃殿がそう言って笑みを浮かべ頷いた。



「うん、これならいける!」



ちょうどその時、が唐突に声を上げる。
皆がそちらを見た。
すると、がくるりとこちらを振り向き笑みを浮かべて言う。



「不躾で申し訳ないのですけど、是非召し上がっていただきたいものがあるんです。お時間いただけませんか?」

「もちろんだよ。ねえ?」



私はの言葉にそう相槌を打ちながら、徐晃殿、荀ケ殿、荀攸殿に視線を投げた。
三人とも、短く相槌を打って頷く。
それを確認してから、へ視線を戻すとは満面の笑みで言った。



「それじゃ、早速作ります」



そう言って、直径一尺半ほどの大きさの桶を手にがこちらへ歩いてきてそのまま縁側に面した戸を開ける。
何をする気なんだろう…。
そんなに、荀ケ殿が問うた。



「何を作るおつもりですか?」

「茶碗蒸しです」

「「「「ちゃわんむし…?」」」」



見事に重なったそれに、誰ともなく顔を見合わせる。
はといえば、顔だけこちらに向けて答えたかと思ったらその桶に縁側の隅に積もっていた雪を盛ってまた戸を閉める。
それを手に私たちの横を素通っていくを視線で追って、私は言った。



「まあ、どんなものが出来るのかを含めて待つとしよう」

「そうですね…あの雪を何に使うのかも分かりませんし」



荀ケ殿の言葉を聞きながらの動きを見る。
間もなく、鍋を雪で溢れている桶に入れたのを見て冷やそうとしたのか、と合点した。
片手で器用に卵を割る手つきが相当慣れているのだと窺わせる。
何をしているのかよくは分からないが、湯を沸かした鍋の上に蒸篭を重ねるのが見えた。
何を蒸しているんだろう。

それから半々刻も待たずそれは出来上がった。
が盆に人数分の手の平に納まる程度の器を乗せてこちらへと歩み寄る。
そして言った。



「さあ、できました。器が熱いので火傷に気を付けて召し上がってください」



荀攸殿の方から順にが膝をついて受け皿にそれを乗せ渡していく。
手渡されたそれの中身は薄い卵色の固まった何かが入っていた。
固まったと言っても、堅そうな印象はまるでない。
そして、確かにの言っていた通りの料理だと思った。



「なるほど、確かに”茶碗蒸し”だ」

「ええ。茶碗ごと蒸すから茶碗蒸し、なのですね」

「うむ。頂くでござる」

「私も、いただきます」



口にそれを運びながら、の声を聴く。
咀嚼して飲み込む。
同時に驚いた。
一切無駄のない味なのに、そこに奥深さを感じる。
思わず言葉をなくした。



「うん、やっぱり昆布だわ!念願の茶碗蒸し…!…ってあれ?お口に合いませんでした?」



のその言葉で我に返る。
荀攸殿が言った。



「いえ、違います」

「ああ、違うよ。驚いてるんだ」

「そうです。特別変わったことを殿はなさっているようには見えませんでした…それが、まさかこのような…」

「拙者、食べ物でここまで感動したのは初めてでござる…!」



と、次々に感想を口にする私たちに、は笑みを浮かべて言う。



「それなら、安心です。流石に口に合わないのかと、心配しました」

殿…これは、どうやって作ったのでしょうか?」



荀ケ殿がに質問した。
は変わらず笑みを浮かべてそれに答える。



「出汁と漉した溶き卵を混ぜて蒸しただけです」

「それで、ここまで美味しくできるのですか?」

「そうですね、味に関してのポイント…一番重要なのは出汁です」

「だし?」

「はい。素材の味を殺さずに美味しく調理するための要です。色々試してみたんですが、ずっとイマイチだったんです」

「ああ…それであの、こんぶ、か」

「はい」



はそこで一度言葉を区切ると、茶碗を両手で包み込むようにして視線を落とし言った。



「昆布以外の出汁は、代用できるものを見つけたり、椎茸…ああ、えっと香蕈、特に冬魔採ってきたりしたので良かったんですけど、昆布の旨みだけは再現できませんでした。だから、それまでイマイチな茶碗蒸ししかできなくて…。でも、荀ケさんと荀攸さんのおかげで暫くは昆布に困りません。これなら、作れる料理の幅が広がります。ありがとうございます」



言いながらは視線を上げると、荀ケ殿と荀攸殿の方を見て片手を膝の前に付くと軽く頭を下げた。
それを受けて、二人が首を横に振る。



「いえ。これだけ美味しいものを頂けたんです。お礼はいりません」

「はい。寧ろ、こうして楽しませてもらっているという意味では、俺たちから礼を言いたいぐらいです」



そんな三人の会話を聞きながら、私は少し居心地が悪くなって徐晃殿に視線を投げた。



「なんか、ただ飯喰らってるみたいだ」

「拙者もでござる」



そんな私たちに、が顔を向けて言う。



「伯寧さんも徐晃さんも、気にしないで下さい。同じ空間で同じものを同じように美味しいって思って貰えれば、私はそれでいいんです」



そう言って、優しく微笑むに何となく恥ずかしさを感じながら、それでも今度何か見繕って持ってこようか、と思う私だった。












つづく⇒



ぼやき(反転してください)



割と迷走してる感のある日常的な話
徐晃の独白は語尾なしにしました
食材事情とか調べ方甘いんで深く考えないでください
道具の名称とかど忘れして調べ直さずそのままだったりもするので
色々気にしないでください…

2018.07.30



←管理人にエサを与える。


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