楽しいことがいくつもある

嬉しいことがいくつもある

だから、色んな事がどうでもいいと思える

それはいけないことだろうか






     人間万事塞翁馬 32















お屋敷を頂いた日の三日後から私は”新しい職場”で仕事を始めた。
あらかじめ聞いていた通り、暫くは郭嘉さんがまとめた資料をもとに報告書を作る、っていうのが私の当分の仕事。
見本になる書簡借りて、それを参考にまとめている。
ひとまずできたら、上司である郭嘉さんにチェック入れてもらって曹操さんに提出。
提出に行くのは私じゃなくて、内容を把握している郭嘉さん。
流れはそんな感じ。

ただ…。

報告書としてまとめるって言っても、郭嘉さんの資料の作り方が完璧すぎて、もうこれで報告書の体をなしてるって言っても過言じゃない。
まあ、多分ぼちぼちそういうのも減らされて自分で作らないといけなくなるだろうから、流れとさわりが把握できればとりあえず、いいけど。

ところで、勤め始めて二十日を数えようとしている昨今。
環境に慣れるのが早いっていうのが特技みたいな私でも、流石に慣れないことがある。
誰の何かは…今は言わないけど。
仕事内容は、超が付くほど完璧なのにね。
そこは本当に、心から尊敬してるんだけどね。
それなかったら、ただの…いや、やめとこう。
多分、それでバランスとってるんだ、っていうことにしとこう。
人間一つや二つの美点や欠点あるよね。
私だって売るほどあるし、腐るほどある…もちろん欠点が。

それはさておき、具体的になんの報告書か説明しとこうと思う。
基本は殆ど地方治安に関係するもの。
民から陳情があって、もしくは、こここういう状況なので…、事前相談通り兵を動かしました、兵を動かしたらこのぐらい人と金がかかりました、被害等々はこのぐらいで、結果こうなりましたっていう流れをまとめたもの。
あとは、その後の経過を一定期間、定期に報告って感じ。
これ以外にも色々あるけど、今のところこれが一番多いかもしれない。
…いい加減、治安悪すぎだろ、と思ったのは言うまでもない。
しみじみ、住んでる世界が違うと思った。
ま、もうここに住んでるんだけど、私も。

ところで、ころころ話が変わるけど。
いつぞやの左慈が言ってた覇道と、なんとかの件。
改めて、郭嘉さんと伯寧さんに聞いてみたけど、何故か二人も思い出せないらしい。
頭痛はないってことだけど。
どう考えても、謎の力が働いている…。
なんなんだろう、あのじいさんは。
それこそ住んでる世界違うなと思ったわ。
終わってから冷静に考えると、他にも突っ込みたいところ山ほどあるし。

でも、もう会いたくない。
いいよ、もう知らなくて。
知った所で何するわけでもないし。
何が出来るわけでもないし。

それよりも、忘れる前に私が何しようと思ってたのか分からないけど…、それをどうにかしなくちゃ。
向こうにもう戻れないなら社長には悪いけど、気持ち切り替えてこっちでやることやらないと。
分からないなりにやれることからやってこう。
もう少し慣れてきたら、ともかく片っ端から情報収集しなきゃ。
何も手を付けずに出来ませんでしたっていうのが、嫌だから。
でも、同時に楽しむことも、私は忘れない。









 * * * * * * * * * *









今日も仕事したなー、と思って杯をあおった。
今は、文則さんと二人で晩酌中。
大体特別なことが無ければ、もうずっとこんな感じで過ごさせてもらってる。

そして、最近の日課は出仕前と勤務帰りに、工事中の自邸へ寄ること。
お屋敷頂いた五日後から工事は始まってる。

色々懸念がありつつも、日々は充実していて楽しい。
新しく知るものばっかだし、工事が終わるまでは休みもそっちに費やしてるけど…。
工事終ったら休みにしたいこととか色々ある。

まず李典さんに弁償しないといけないし。
それから、寝てる間に頂いた見舞い品のお返しとか。
あと、郭嘉さんに初めて会った日、大通り回ってもらったのちゃんとお礼出来てないからそれもどうにかしたい。
まずは、そんなとこかな。

とりあえず、今のところ謎なのは、何故か休みの日まで現場がフル稼働してるってこと。
ありがたいけど…休んでくれ…。
頼むから。
こっちが申し訳ないわ。

…とは思いつつ、とにもかくにも今は色んな事がともかく、嬉しいし楽しい。
そんなこと考えながら空になった杯に視線を落した。



。嬉しそうだな」



目の前に座る文則さんが、唐突にそう言った。
私は、落としていた視線をあげる。



「はい。あと十日もすればお屋敷が完成します。こちらのお屋敷を頂けたことも、そこで図面が引けたことも工事に携われたことも、その全部を言いきれないぐらいもう何もかも、毎日が嬉しくて楽しくて堪りません」

「そうか。それは良いことだ」

「ですけど…」



そこで私は一度、言葉を区切った。
屋敷が完成する、それは本当に嬉しい。

図面は自分で勿論引いて、こっちでは普通やらない納め方でいろいろ計画したので、詳細図もこれでもかって書いて、それを現場の人たちに渡してある。
それだけじゃ足りないから、参考のために実際の加工の仕方実演して実物置いてきてもあるし、毎日足を運んで分からないところがあれば、すぐに対応できるように見に行ってる。
おまけに、加工するのにこっちにはない道具があったから、何だかんだで材料揃えて結局自分でいくつか作ったりもした。
おかげで、当初の思い通りに工事は進んでる。
職人の数も十分。
現場で遊ぶ人が出ない程度で組んでくれてるから効率もいいし、特別な工程も大して無い分、恐らく一か月ちょっとでできると思う。
だから、あと十日ぐらい。

ただ、現場に入ってくれてる職人たちが、まさかの東平での一件のあの人たちで…顔出すたびにアレで呼ばれるの…。
何とかして欲しい。
その人たち腕は確かだって、連れてきてくれたのは伯寧さんだったんだけど。
うん、その腕は私も認めてる、けどねえ…。
ちなみに言うと、伯寧さんが現場担当してくれてる。
多分、そのおかげで現場の進みもすごくいい。
けど、休み…休んで…本当に…。

とにもかくにも、あともう少しで完成。
費用は全て曹操さん持ち。
食事を奢ってもらったことは数多あるけど、家を作ってもらったことは流石にないわ…。
全力で働いて返そう…。
ともあれ、なんだかんだで初任給貰った時以上に嬉しいし…寧ろ今まで史上一番嬉しいかもしれない。

けれど、完成するっていう事は、つまり同時に…。



「いかがした?」

「いえ。お屋敷が完成したら私はここを出ていきます。ずっと早く一人で生活できるようにと思っていたのに、いざその時が来ると思うと、少し寂しいな…と。周蘭さん達にもよくして頂いてますし…贅沢言ってるな、とは思うんですけど」



あんなに必死に思っていたのに、まさかこんな気持ちになるなんて、と私は内心ため息を吐いた。
嬉しいけど、なんか複雑だ。
一か月近くも過ごしていると、やっぱり愛着が湧いてしまう。
…文則さんち、なんだけどね。
全く、贅沢だ。

そのとき、文則さんが言った。



「そのようなこと…会いたければ、また来れば良い。来ようと思えば来れる所にいるのだ、何を気負う必要がある」

「いいんですか?また、来ても」

「遠慮する必要はない。ここも、の邸のようなもの。気にせず、好きな時に来て構わぬ。侍女たちものことを気に入っているようだ、会いに来てやって欲しい」

「…はい。引っ越しても、お邪魔しに来ます」



私はその言葉が嬉しかった。
だけどそれをおもてに出すの恥ずかしかったので、なるべく平静を装って、そう答えた。

文則さんが短く相槌を打って頷く。
それから、私の杯に酒瓶を傾ける。
そして拱手するようにして言った。



「まだ少し早いが、の邸の完成を祝おう」

「ありがとうございます」



私も同じ様にしてから、その杯を一気にあおった。
こうやってゆっくり一緒に飲んでもらえるのもあと僅かか、とどこかで思う。

杯を下ろしてから、一拍おいて文則さんが言った。



「ところで、文(ふみ)の方はいかがだ?」

「ああ…なかなかまだ単語がよく分からなくて…また、教えていただけますか?」



文、というのは、郭嘉さんと交換している手紙のこと。
流石に竹簡だと嵩張るっていうので、紙で交換しあってる。
それを踏まえた上で簡単に言うなら、郭嘉さんと文通っていうか交換日記、しているわけ。
なんで、そんなことになったかと言えば、初めて出仕したその日、郭嘉さんが…。

『早くこちらの文章に慣れてもらうために、私と文(ふみ)の交換をしてみるのはどうかな?その方が、読む力も書く力もつくと思うのだけれど、どう?

って。
う、ん…確かにそうだなって思うんだけど、郭嘉さんと交換日記するってなんか、ちょっと複雑な気分。
多分普通は喜んだりするのかな、イケメンと交換日記。
まあね文(ぶん)を早く覚えられるっていうのはいいんだけど。

色々忘れる前だったら、多少は喜んだのかな、私。
郭嘉さんがどんなことした人かも、きれいさっぱり忘れているから全然分からないんだけど。
ともかく複雑な気分。
そして、私にどう?って聞いてはいるけど有無を言わせないあの感じね。
断わるの許されない、その感じね。
どっちにしろ、男の人と交換日記なんて初めてだわ。
そして、そもそも学生時代に友人たちと半強制参加で交換日記した時、自分が何を書いていたか全く思い出せない。

そんな感じで、ノルマ二日以内で返してます。
郭嘉さん、速攻で返してくるから結構大変なんだけどね。
しかも、内容が…さ…。



「それは構わぬ。郭嘉殿からは相も変わらず、恋文か?」

「…はい…もう、何したいのかさっぱりです。基本的にどんなことでも最後は何かの役に立つ、って思ってますけど…はっきり言ってこればっかりは役に立つのか、たまに疑問に思います」

「うむ…それは、私にも分かりかねる…郭嘉殿のこと、何か考えあってのことであろうが…」



私たちは二人そろって首をひねった。

それからもう少しだけ談笑をして、話題に上った日記の添削してもらったりしながら区切りのいいところで本日の晩酌終了。
文則さんが部屋から出ていくときに、唐突に私の方を振り返った。



。しっかりと眠れているか?」



これまた唐突に聞かれた。

いつのころからか屋敷で文則さんと会う時、その眉間は寄せられていないことが多くなった。
ごくたまに、職場で見かける時は100%眉間寄せてる。
多分、仕事モードなんだろうね。

私は表情を柔らかくしたままの文則さんに間髪入れず答える。



「はい。もちろんです」

「…そうか、ならば良い」

「おやすみなさい、文則さん」

「ああ、おやすみ。



そう言って、文則さんは部屋をあとにした。
遠のいていく気配を感じながら、振り返る。
寝台に視線をやった。

もしかして、気づかれてるのかな…。

核心を突いた言葉に戸惑い、考える。
…いや、でも夢見が悪い、なんて誰にも話してないし。
単純に気、遣ってくれただけ、だよね?
それとも、そんなに疲れた顔してるのかな、私。
確かに普段、睡眠時間六時間ぐらいだけど…ここ最近ずっと多分四時間あるぐらい、かな…。
布団入ってから四時間ぐらいのはずだから、実質三時間ぐらい?
時計ないから正確な事わからないけど。

…まあ、どっちにしろ気づいてても単純にそういうこと、だよね、きっと。



「歯磨いて日記仕上げて寝よう」



横にはなりたいし。
そう思いながら、私は一度欠伸をした。









 * * * * * * * * * * 









――翌日。

現場に顔出したあと出仕した私は、いつもと同じように郭嘉さんの執務室にきた。
出入口の戸は基本的に、いつも全開だ。
目の前に立っている郭嘉さんに、私は日記を手渡す。



「これ、お願いします」

「うん、受け取ろうか。今のところ期限内にちゃんと返してくれてるね。偉い偉い」



そう言って、また私の頭に手を置こうとするので、私は素早く後ろに退いた。
その手をそのまま口元にあてて郭嘉さんが言う。



「ううん、なんで避けちゃうのかな?と私以外、ここには誰もいないのだけれど」

「…そういう問題じゃありません」

「いい加減、そこは慣れてくれないかな?」

「そんなもんに慣れたくもありません。私は飼い猫か何かですか」



私は盛大にため息を吐いた。
仕事の手腕は認めてるけど、このこれをどうにかして欲しい。
誰か…。

そんな時、いつのまにか日記に目を通していたらしい郭嘉さんが言った。



。これは何?」

「文(ふみ)です」

「私が言いたいのはそこではないよ…分かっている、よね?」

「日記です」



それから、郭嘉さんはじっと、開いたそれを見て再び視線を上げた。



がそう言うだろうことは分かっていたよ…于禁殿に言葉を教えてもらっているのも分かっている。文自体の構成は、が自分で考えているのも分かっているし、よく書けているよ。無駄な言い回しもない、実に素晴らしい文章だ…けど、そうではなくてね。前にも言ったけれど、のこれは業務日誌だ。そのあたり、本当に分かっているのかな?」

「それは日誌じゃなくて日記です。他に書くこともありませんし、前にも言いましたが、それの何がいけないんでしょうか?」



そう思ったことを伝えると、郭嘉さんが額に手をあててため息を吐いた。
だから、それの何がいけないのか。



「業務内容はいつも一緒にいるのだから、もう私も知っているよ。そうではなくてね、もう少し自分のことを書いてくれないかな?」

「だから、自分のこと、書いてるじゃないですか」

「まったく君は屁理屈だね、私が知りたいのは務めが終わった後のことだよ」

「郭嘉さんが何を知りたいのかは知りません。そして私が日記に何を書こうが自由です。そんなこと言うなら、郭嘉さんだってあれ…恋文じゃないですか、完全に。それこそ、何のつもりなんですか?あれは」



そう言うと、郭嘉さんは手を下ろしながら、閉じていた目を開いて私を見た。
そして、さも当たり前のように言う。



「ん?それは勿論、への思いを綴っているのに決まっているよ。しっかり読んでくれているんだよね?于禁殿に手を借りて」

「ええ、まあ…その通りですけど……その、私への、っていうそれ、冗談ですよね?さすがに」



私は眉根を寄せて郭嘉さんを見る。

人に読まれること前提であれが書けるって、冗談じゃないなら本当にすごいんだけど。
一番初めのとき本当にざっくりしか分からなかったから深く考えずに、文則さんに朗読させちゃったんだよ、私。
どうしてくれるの。
その時の気まずさって言ったら…。
…絶対、それ分かっててやってるに決まってる。
これを冗談と言わずして、なんて言うんだ。

と、私は思う。
そんな私に、郭嘉さんは真顔で言った。



「冗談?いいや、私は至って真面目だよ。冗談であんなこと、流石に私も書かない」



それを聞いて、私は一瞬で全ての言葉を失った。
もちろん、感動したとかそいういうんじゃなくて、どっから突っ込めばいいのか分からない、から。
ていうか、そんな真剣に言われても私も困る。

絶対、これ含めて冗談だ。
どんなに色々忘れても、この人が頭いいっていうのは分かる。
だからこそ、頭の良い人が考えることは分からない。
私を引っかけるつもりなのか?
そもそも、私にそんなことしてなんのメリットがあるんだ…。



「あ、ああ……どこから突っ込んだらいいのか分かりませんけど、全っ然、説得力ありませんね…それで皆さん口説かれちゃうんですか?」

「さあ、どうだろう?」



変わらず真面目な顔で返されたので、私はちょっと拍子抜けした。
てっきり、うんそうだね、ぐらい言いそうなのに。
…失敗したことあるのかな?
いや、まさかね。
なんか、また変な事考えてるんでしょ、きっと。

そんな時、郭嘉さんが私に歩み寄って、殆ど距離がないぐらいの所に立つ。
私は郭嘉さんを見上げながら、一歩後ろに退いた。
郭嘉さんが私を見下ろしながら言う。



もいい加減慣れてきただろうから、いいよね?」

「な、なにに慣れて、なにがいいんでしょう…か」



その意味深な笑みはなんなの…。
意味が全く分からない。

そんな私に郭嘉さんが言った。



「それは自身で考えるんだよ」

「仕事に関係ないなら極力考えたくありません」

「まったく、君は困ったね…やっぱり、お仕置きが必要、かな?」



これまた真顔で返されて、私は思考が停止する。
マジで言ってるの?それ。
思わず声を上げた。



「…お仕置き!?私、そんなことされる覚えありませんけど!」



言ってる意味が全っっ然、分かんないよ、だから!
そんなこと言ったら私がお仕置きしたいぐらいだってば!

そう思っていたら、突然郭嘉さんが私の顎をとった。
自然、上を向く形になる。
なにその手は、と思いながら郭嘉さんに視線を向けた、その時。



「おっと、これは取り込み中であったか。ならば自分は、時を改めるとしよう」



声がしてそちらを見ると、開け放たれた出入口の前に曹仁さんが立っていた。
それから謎の言葉を残して、早々に去っていく。

もしかして、何か誤解されてない?この絵面!



「ちょ、ちょっと!待ってください!曹仁さん、誤解ですから!」



郭嘉さんの手を振りほどいて部屋から回廊を見やった。
小さくなっていく曹仁さんの後ろ姿が見える。

マジでちょっと待って!



。誤解でもなんでもないし、まだ私の話は終わってはいないよ?」

「誤解です!誤解の意味分かってらっしゃいますか?話は終わりです!曹仁さんの誤解を解いたら仕事始めるので、郭嘉さん仕事しててください!もう」



悠長にそんなことをのたまってる場合か!

私は郭嘉さんを一人残し、曹仁さんを追いかけた。
歩くのめちゃくちゃ早い!
50メートルは行かないかな、ってところでやっと私は追いついた。



「曹仁さん!」

「おや、殿。先ほどは失礼をした。自分のことは気にしないでいただきたい、邪魔をして申し訳なかった」

「ああ!だから、違います!誤解です、多分何か誤解してらっしゃいます!」



少し驚いたような表情を曹仁さんがする。



「ほう、誤解…では、郭嘉殿と想い合っている、というわけではないと?」

「と、とんでもない!本当に郭嘉さんとは、なんにもありません!心の底から!さっきのは事故です!いえ、天災みたいなものです!ですから、ただの誤解です!」



と、割と直球に聞いてくる曹仁さんに突っ込みもせず、私はただ必死に釈明した。

事実言った通りだし、郭嘉さんとそんな関係だなんてまったくとんでもない話だわ!
郭嘉さんは今のところ、いやこの先も、ただの上司!
しかもかなり冗談のきつい上司!なのよ!
おまけに、そんな根も葉もない噂広まったら、郭嘉さんファンの女性陣がどう思うか想像したくもない!
とんでもない話よ!

それに。



「天災…」



曹仁さんが口元に手を当てながら呟いた。
私は曹仁さんに向かって続ける。



「そうです!それに、別に付き合ってるわけでもないのに話だけ勝手に流れちゃったら、それこそ色んな意味でいい迷惑です!郭嘉さんだって相手ぐらい選びたいでしょうし!」



そう。
付き合ってるわけじゃないのに、付き合ってるらしいわあの二人、みたいなのがすごく嫌。
私にはそんな気全くないし、いい迷惑だし、そもそもその前に相手に失礼だし。
それこそ、相手にだって選ぶ権利っていうもんがあるのに。
すでにそういうのを経験済みだからこそ、それも避けたい。

本当にあの時は参ったわ、いつか笑い話に出来たら最高よ。
そんなことを思いながら、私は言った。



「いかにせん、私みたいな年増じゃ可哀想過ぎますし、相手にだって選ぶ権利っていうのがあると思いますから!例え、なに考えているか分からない上司でも!」

「これは…なかなか手強い」

「え?なんですか?」



曹仁さんが予想だにしない受け答えをするので、私は一瞬止まって聞き返した。
曹仁さんが笑いを漏らしながら言う。



「いや、失敬。こちらの話だ。そういうことならば、戻るとしよう。すまぬが、上司殿のもとへご案内願えるかな?」



曹仁さんがそう言うので、私は相槌を打って、来た道を戻った。
それから執務室に戻ると、暫くして曹仁さんと郭嘉さんが話を始める。

私は自分の席にやっと腰を下ろして、報告書をまとめる作業に入った。
やっとこれで落ち着ける。

相変わらず郭嘉さんが準備してくれてる資料は分かり易くて無駄がない。
同じこと毎回思うけど、もうこれだけで報告書出来上がりでしょ。
だけど、報告書の形にまとめるのが私のひとまずの仕事。
これを多分、ゆくゆく一からまとめなきゃいけないんだと思うと、覚えなきゃいけないことは掃いて捨てるほどある。
そして、まだ分からない単語が出て来る。
とりあえず、調べるだけ調べて確認しよう、聞くのはそれからでも十分時間はある。

最初の内は、郭嘉さんと曹仁さんの話にも耳を傾けながら作業していたが、途中から多分仕事と関係ない話を始めたので私は自分の作業に集中した。
二人がそこにいるってことだけに意識があれば、ひとまずそれでいい。
気になること話し始めたら、そこからまた聞いておけばいいんだから。
そうして私は今日もいつもと変わらず、仕事をする。
曹仁さんが帰った後、昼過ぎに郭嘉さんが手紙をくれた。
早い!!仕事…!
それから、なんだか用事があるって言いながら先にあがっていいかって聞くので、どうぞって返した。
どうせ、今日中にはまとめきれないし、この報告書。

時間に関係なく、部屋に流れてくる空気が段々冷えてきたな、と思う。
私ももう少しでひと段落つくので、そしたらあがろう、と思った。
始業時間が早い分、就業時間も早いのでそれは大変助かる。
大体十五時ぐらいだと思うけど、そのぐらいに終わるもんね。
で、じゃあそれ何で判断してるの、っていったらとりあえず鐘がなるのね。
それで何となく時間の判断してる。
まあ、大事よそれ。
それ無かったら延々仕事できる自信あるもの。

帰りに現場に顔出したいし、と私は首を回してから伸びをした。
ずっと下向いてて肩がっちがちだわ。
片づけてあがろう。

私は欠伸をひとつかみ殺した。









 * * * * * * * * * *








「やあ、、お疲れさま。仕事は終わったのかい?」

「はい、終わりました。伯寧さんもお疲れ様です。どうでしょうか?滞り、ありませんか?」



私はそう言いながら、歩み寄った。
屋敷から3,4メートル離れた所、その正面に立ち全体を見渡すようにする。
中はほとんど終わっているみたいで、今は、縁側と掃出し窓の辺りに取り掛かってるみたいだ。

因みに、掃出し窓っていうのは床と同じ高さに設けられた窓のこと。
例えば、室内とバルコニーの出入りが出来るようになってたりする、アレ。
ホウキなんかで掃除したとき、塵とかをそのまま外に掃き出せるように工夫されてるあれのこと。
それはさておき。

なんか、ちょっと仕事早くないか?
伯寧さんが私の質問に答える。



「ああ、問題ないよ。が細かく加工の仕方と一緒に図を書いてくれたり事前に教えてくれてたりしたから、大きな疑問もなく気持ちよく進めさせてもらってる」

「そうですか。それなら良かったです。勝手が違うので手探りでしたけど、問題がないなら構いません。このままお願いします」

「どうぞ、お任せを……ああ、そうだ。ここだけ念のため確認しておこうかな…」



そう言って、伯寧さんは複数あるうちの一枚の詳細図を取り出した。
私はそれに答えながら改めて思った。
すげー、仕事できる、と―一番最初、段取りを打ち合わせた時にも思いはしたけど―。

別に馬鹿にしてたわけじゃないし、変に見下してもいない。
だけど、多分慣れてないだろう納め方なのにピンポイントでそこを確認してくるっていうのが、なんていうか分かってる。
仕事の内容も、私がどうしたいかっていうのも。
設計図から設計者の意図を汲めるっていうのは、現場をまとめる人にしたら本当に大事よ。
そこ分からないなら、お互い設計する意味もないし現場に出る意味もないもの。
と、まあ、それは私の仕事に対する考え方だけど。
中には絵の通りならなんでもいいじゃん、っていう人もいるけどね。
私はそれはいただけない。
人が作るんだから、人の思いも汲まないと、と思う。
そういうの要らない、っていう施主なら要らないなりにやらせて頂きますけど。

まあ、それはさておき、よ。
ああ…向こうで仕事してたときこういう人と一緒に仕事できてたら私、多分あんなに苦労してなかったのにな。
と、心のどこかで思った。
頼られるのは別にいいんだけど、頼れる人がいるっていうのが大事。
特に仕事に於いて。
その方が、より楽しいしね。

そんなことを、私は説明しながら心のどこかで思った。



「…なるほど。ということは、やはり私の解釈通りで良い訳か」

「はい、それで問題ないです。こちらの意図を汲んで下さって助かります、ありがとう。このまま進めてください」



そう答えると、伯寧さんが一拍おいてから言った。



「そんなことはあたり前だよ。のことなら、なんでもお見通しさ。冗談なんかじゃなくてね」



そう言って、伯寧さんが笑う。

図面読む意味で、ってことだよね?
頼もしすぎる。
ほんと、一緒に仕事したかった。

それから伯寧さんは、更に屋敷へ視線を移して言った。



「それに、の大事な邸だからね。失敗なんて絶対しないし、させないさ」



屋敷を真っ直ぐに見ている。
その横顔を私は見上げてから、同じように視線を移した。

なんでだろ、いま多分私、耳が熱い。
なにに恥ずかしいって思ったんだ?私は。
そんな要素、あったかな…?
自分がよく分からない。



「と、ところで…作業速度、やけに早くないですか?この分だと三、四日中に終わりますよね?」

「さすが。気づいた?」

「いや、一目瞭然ですよ、これ…逆に現場見てるのに気づかない人の方がおかしいです」

「はは、たしかにそうだ」



そう言いながら、私は気づかないだろう人間を一人思い出して眉間に手を当てた。
あいつは、きっと気づかない、な…。
もちろん、あいつっていうのは向こうにいる元同僚で部下だった奴のことだけど。



「彼らが張り切っていてね。手際もいいから、始業就業の号令以外、私も何も言わずにいるんだけど」

「ははは、なるほどね」



私は乾いた笑いをあげた。
その時、一人が私に気づいた。

かなり作業に集中しているみたいなので、わざと声をかけずにいたんだけど。
声掛けても掛けなくても、こうなるのよね…。



「姉さん!お疲れ様です!おい、おめえら!姉さんに挨拶しろ!」

「「「「「姉さん!お疲れ様です!!」」」」」

「う、うん…あなたたちも、お疲れさま。私のことは気にしなくていいから、作業に戻って」

「「「「「「へい!」」」」」」



苦笑いしていると、伯寧さんが笑いを押し殺しながら言った。



「さすがにこれには慣れないんだね」

「な、慣れるとかって問題じゃないです」

「それは…郭嘉殿から頭に手を置かれる感じ?」

「いや…なんかそう言うのとはまたちょっと、違います…やめて欲しいっていうのは一緒ですし、諦めてるのも一緒ですけど」



私は深く考えず伯寧さんの方を見ないで、呆れて言った。
視線の先で、彼らが作業を黙々と進める。

手際は良いんだけどな。
手際よすぎて視線外せないもん。
あの道具の扱い方、惚れ惚れするな…。
本当、手際は良いんだけどな。

そんなことに集中してしまったせいで、私は質問されるがまま特に考えずに答えていた。



「へえ、違うんだ…どう違うの?」

「どう違うんだろう…恥ずかしい、ことは恥ずかしいけど…んー、自分でもよく分からない」

「分からないんだ」

「そうね、分からないなー…自分のことが一番分からないかも……ああ、やっぱりいい仕事するわ………ん?」



そこで私はふと気づいて、伯寧さんを見上げた。



「私いま、何かすごく恥ずかしいこと言ってませんでした?」

「いいや。大変貴重な意見を聞かせてもらったよ」



そう首を振ってしみじみと言った風に言うので私は首を傾げた。



「そうですか?…そうかな?そんなこと言いました?私」

「ああ。今後に役立たせてもらうよ」

「…そうですか?役立ちますか?役立つならいいですけど……まあ、なんでもいいか」



それだけ答えて、私はまた視線を彼らに戻した。

なぜなら、どうしても見たい瞬間がある。
それは加工した仕口や継手が納まるその時。
俗的に言うと、凹凸がパズルみたいに綺麗にはまっていく瞬間。
あれが寸分の狂いなくぴったりとかみ合うさまが何ともいえず私は好きだ。
言い表せない爽快感がる。

ああそう、だから、その瞬間。



「そういうところ、私も見習わないとね」

「……どういうところですか?」



伯寧さんの声が耳に届く。
私はまた半分上の空で聞き返した。

だから、あとから思い出そうとしても伯寧さんがなんて質問したのか、それに自分がなんて答えたのか、全く分からない。



「切り替えが早いところさ」

「ああ、そういう…?……あまり、おすすめはしません、ってことだけお伝えしときますね」

「どうしてだい?」

「自分が置いてかれるから」



答えたのと同時に、彼らが私がずっと疑問に思ってた道具を手にし始めたので、私は思わず歩み寄った。
一言断わってからその手元を見る。



「はあ〜、なるほど、そう使うのね…ああ、こっちにはあれが無いからね…そう使うのか…」



私は頭にこっちにはない向こうの工具を思い出した。
そこでまた私は、はたとする。

あれ?いま私、伯寧さんと何の話してたっけ?
首を傾げ、もとに向かって歩く。
それから伯寧さんを見上げた。



「すみません…私の悪い癖で…いま…何のお話ししてましたっけ…」

「ん?大丈夫、大したことじゃないから」

「本当にごめんなさい…私…ああ、もう……この癖、本当に直さないと…」

「ははは、そんなに気にしなくていいよ。そんなこと言ったら、私も同じだ。思索に夢中になると周りが見えなくなるんだ。自分でも悪い癖だとは思っているけど人にそれを直せと言われたって、そうそう直せるものでもないさ。だってそう思うだろう?」



…まあ、おっしゃる通りで。



「もし私がに直せと言うなら、私も直さないとおかしな話だ。自分だけ、なんて私だっていただけない…それに、私も小言を言われることがあるけど、だけ直されちゃったら肩身が狭いし。だから、そのままでいてくれると、すごく助かるんだけど……だめかな?」

「…そう言われると、私が断れないの…分かってて言ってます?よね?」



そう上目遣いに問うと、伯寧さんはいい笑顔で言った。



「もちろん。なんでもお見通し、だからね」



ですよね。
でも、まあいっか。
嫌な気はしないし。



「…分かりました、このままでいます」

「ああ、助かるよ。ありがとう、

「いいえ……私も、大いに助かりますから、色んな意味で」

「そうかい?なら、お互いさまってことで、もう気にするのは無しだ」

「はい」

「うん、いい返事だ」



そう言って伯寧さんが笑うので、私もつられて笑った。

それからその後、現場作業終了して帰ろうとしていた時に、例の彼らに伯寧さんとの仲を疑われて全力で否定しておいた。
だから、相手にだって選ぶ権利あるんだってば。
なんで周りが盛り上がっちゃうかな。
今日はそう言う日なのかしら。
あまりに食い下がるので、それ以上言うなら締めると言ったら、やっと黙った。
直後に、野暮なこと聞くようだけどそういう経験が?と伯寧さんに聞かれたので、ええまあ、と答えた。
いま思い出しても本当不憫。
自分より年下の子だったけど、周りに囃し立てられて最終的に飲み会のときに全員の前で私に告白するっていう拷問みたいな羞恥プレイを片手で数えられるぐらいやらされてたわ。
本当、可哀想なことしたな…。
そういう経験があったので、相手が不憫すぎるからマジでやめてくれって話しておいた、彼らに。
その彼以外にも、そういうことが数人の間であったのよね。
そこまでは話さなかったけど、大体最終的に告白と言う名の罰ゲームが待ってるのはなんでかしら。

おかげで私は更に仕事に打ち込むようになったわ。
ま、感謝はしてる。
もともと楽しいと思ってたけど、更に楽しいと思えたからね。
もう、何も考えずに仕事できれば何でもいいわ、私は。
って言ったら、色々と罰が当たるかな…?

ともあれ、彼らにはとりあえず、工事の件でお礼を言って引き続き最後までお願いしますと伝えた。
揃って挨拶されたけど。
だから、そういうのいいんだってば。

それから私はまた、帰ってから文則さんと晩酌をする。
郭嘉さんからの文は、相変わらず恋文だった。

そして、相変わらず夢見も悪いままだった。













つづく⇒



ぼやき(反転してください)


だからね、于禁で落ちればいいと思うんだけど
とりあえず、今の目標はヒロインを一人で生活させる
そして、途中で出てきた謎の工具は、文字通り謎の工具です
私にもわかりません、そんなものがあるのか…
途中途中の専門用語は気になる方だけググってみてください
知らなくても、なんの問題もありません

2018.05.08



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