私はね、基本楽しければ何でもいいとは思うけど

これでも、老後は穏やかに過ごしたいと思ってる

特別悪いことがない分、特別良いこともない

そのために今があるっていうなら、それでいいかとどこかで思う

だけどね…ちょっと、いろいろありすぎだと思うの

これはもちろん、気のせいなんかじゃないですよね






     人間万事塞翁馬 28















過ごしやすい陽気。
うろこ雲が浮かんでる。
あまりに天気が良かったので、私は散歩に出た。

というのは、侍女さんへの建て前。
実際は、ちょっと気が滅入っていたので外に出たかった。
もう、食事の量は通常に戻ったし、身体も平気。
…ちょっと回復が早すぎる気はするけど、気のせいよね。
それと、右手も切り傷は塞がってる。
あとは生えてくるのを待つだけ。
何が、とは言わないわ。
とりあえず、指先の防御力が低いのは否めないから、晒しだけは巻いてるけど。
見た目ほど問題はない。

目が覚めた翌日から昨日まで、六日間は文則さんから読み物を一冊借りて過ごしていた。
まあ、なんとなくしか読めなかったけど、文則さんに話をしたら大体あってたから良いと思う。
なんでそんなことしたかっていうと、仕事復帰しても、前準備何にもなしにいきなり郭嘉さんから”お手本”借りたところで、多分何も出来ないと思ったから。
先に慣れとこうと思ったの。
感触としては、レベル1はクリアってところね、多分。
何がレベル1で何がレベル100か理解できてないけど。
あとは、やってみないと分からない。
…なんとかなるでしょ。
因みに、その読み物は春秋左氏伝でした。
私は触りしか内容を知らない。
やっぱ、ポピュラーなんですかね?

私は城壁の階段を登る。
登りきると右手側―東の方角―に城下を見下ろせる。
左手側は城外。
登った場所は、許昌の西にあたる場所だ。

城下を一度見下ろしてから、階段を背に反対側の城壁に近寄る。
城壁の幅の端から端でも結構な距離だ。
10…いや12メートル弱ぐらいはあるかな…。
城外側の立ち上がってる壁にやっとたどり着く。
それから少しだけ身を乗り出して下を覗いた。



「…高い……当たり前か…」



それから私はその城壁の凹んだ部分に両腕を組んでよりかかった。
視線の先は、ずーっとまばらに木の生えた草っぱらと道っぽいのが続いてる。
その先に何のか分からないけど、建造物の一部が見える。
改めて見ると、どこだろうな、ここは。

溜息を吐き出してから、私は二日前のことを思い出した。
二日前…郭嘉さんが、仕事抜け出してきた、とかいいながら私に会いに来た。
当然、仕事して下さいって返しておいた。

私はそのとき、身体は起してたけど布団に足突っ込んだまま、借りた春秋左氏伝を読んでた。
だから、寝台にそのまま腰掛け直したわ。
それからちょっと雑談をして…。
まあ、雑談っていうか左氏伝の読み方の分からなかったところを教えてもらってたんだけど。
それで暫く過ごしてたら、突然、郭嘉さんが土下座に近いぐらい頭下げるから私は慌てたわ。
それこそ、いつだったか自宅に得意先の社長が近く通ったからとかいう訳分かんない理由でピンポンしてきたときぐらいに。

ともかく、私は慌てた。
なんでそんなこと、私がされなくちゃなんないのか。

聞いたら、私を濮陽であんな目に遭わせてすまない、と。
だから、それは違う、と私は言った。

だってそうでしょ、誰もどうしようもなかったって、すでに濮陽にいた時にそういう話をしてたじゃない。
まあ、あの時は私も気が滅入ってたっていうか、それ以上の状態だったから口答えしたけど…。
だけど、今は私もそう思うから、だから謝るのは止めてくれと言ったわ。
それから顔を上げてくれたけど、すごく悲しそうな目をするもんだから、私…。
そんな悲しそうな目をされると、私も困るんだけど、と伝えた。
そしてその後、付け足した。
そんなに申し訳ないって思うなら今度私に、許昌で一番おいしいお酒が飲める場所を教えて頂戴、って。

それでなんとか引き下がってくれた。
その後、またちょっとだけ雑談をして…。
最中、失礼ながら込み上げてきた欠伸をかみ殺したら郭嘉さんが気を遣って帰っていった。
暫く読み物に目を通してたけど、いつのまにか寝ちゃってました。
それはさておき、あれは本当に肝が冷えたわ。
天才軍師に頭下げさせるって、恐ろしい体験だと思う。
肝の冷え具合で言ったら、客から督促状来たって言って頼まれてた法定検査の報告提出期限を例の馬鹿ちんが勘違いしてて、もう過ぎてたっていうのを知った時ぐらいかしらね。
あんだけ伝えて、あんだけ確認してたのにね…なんだったんだろ、あの苦労は。
…まあ、そんなことはいいわ、それは忘れよう。

……実のところ、その前日にも伯寧さんから、おんなじ理由で頭下げられてるのよね。
もう、どうしようね。
まあ、もちろん謝る必要はないって伝えたけど。
そんなに謝らなくてもいいのに。
寧ろ助けに来てくれたことに、感謝しかしてない。
とはいえ…。

私はため息を吐き出した。
夢見も相変わらず悪いし。
どうしたもんかね。

視線を上げると、空を飛んでるカラスが目に入った。
カラスか…。



「かーら〜すーなぜなくの〜からすの勝手でしょ〜…はぁ…まったく、勝手だこと」

「変わった歌だね、それ。向こうの歌?」

「!!!!!」



私は驚きのあまり、息と一緒に声も呑み込んだ。
後ろを振り向くと、伯寧さんが四、五歩先に立ってた。
全然気づかなかった…!
なんで文則さんと言い、気配を殺すの?
そのうち私、心臓飛び出ると思う、口から。



「ははは、ごめん。驚かせちゃったか」

「な、なんで…」



耳が熱くなる。



「いや、ここにいるんじゃないかな、と思って」

「なんでここにいるって分かったんですか…!」

のことなら、なんでもお見通しさ」



そう言って伯寧さんは笑いながら、片目をつぶって見せる。
私は一瞬言ってる意味がよく分からなかった。

…なんで。



「…っていうのは、冗談。さっき向こう側から顔出してただろう?それが見えたんだ」



じょ、冗談…。
冗談で良かった。
自分でも言ってる意味分かってないけど、冗談で良かった。



「そ、そうだったんですね」

「うん、そう」



言って、伯寧さんは私の隣に並んだ。
まっすぐ前を見ている。
私もつられて、同じように見た。

西からの風が少しだけ強くなる。
前髪が浚われる。



「さっきの歌」

「…替え歌です」



いたたまれなくなって、作詞した野口さんに心の中で謝りながら私は答えた。
あれを聞かれていたかと思うと、急に耳が熱い。
伯寧さんが言う。



「じゃあ、替えてない方、歌ってくれる?」

「え…」

「さっき歌ってただろう?」

「それは…誰もいなかったから…」

「駄目かい?」


伯寧さんはそう言って僅かに笑むと、首を傾げた。

そ、そういう顔して言う…?
私、今なんで耳が熱いのか分からなくなったよ。
いや、うん、恥ずかしいんだよ。
色んなものが。



「…音痴なのは目を瞑って下さいね…」

「ありがとう」



私は一度俯いてから目を閉じた。
無駄に緊張する。

私は人が聞いているってことを意識しないように、視線をただまっすぐ景色を見渡すように上げた。



「かーら〜すー、なぜなくのーからすはやーまーにー、かーわいい、なーな〜つーのこがあるからよ〜」



歌いながら小さいころピアノで弾いたなーとか思い出した。



「かーわいい、かーわいいとーかーらーすーはなーくの〜かーわいい、かーわいいとーなくんだよ〜」



ついでに、小さいころ遠足で弁当に入ってた唐揚げ持ってかれたなカラスに、とかっていうのも思い出して思わず口元が緩む。



「やーま〜のーふる〜すへーいってみてごーらーん〜、まあるーいめーを〜しーた、いーい〜こーだよ〜……お耳汚しをしました」

「そんなことはないよ、ありがとう。は歌うのが上手いんだね」



控えめだけど、拍手しながら言う伯寧さんに私は視線を向けた。
悪いけど、目は合わせられない。
…恥ずかしい。
会社の付き合いで歌うならともかく…。



「も、もっと上手い人は沢山いますよ…私は…まあ、口ずさんだりはしますし嫌いではないですけど、得意ではないです」

「ははは、は本当に不思議だね。そんなに謙遜しなくていいのに。荀攸殿たちからの話も聞いてるけど、東平で青州兵達を帰順させた本人とは思えないね」



…謙遜っていうか、本当のことだけど…。
青州兵…は、もういいわ…。
荀攸殿たちからの話、っていうのは東平で別れてからの話、ってことよね。

てことは…強いて答えるなら…。



「ま、まあ…仕事とプライベートは違いますからね、としか言えないですけど」

「ぷらい、べーと?」

「ああ、えっと…公の事と私的な事とは違う、ってことです」

「ああ、なるほど」



そう言うと、伯寧さんは顎に手をあてて、ふうん、といいながら私を見た。



「納得」

「な、何にですか…」

「うん、こっちの話」



言って、伯寧さんはにっこり笑った。
だめだ、意図が全く分からない。
ま、まあ…分からなくてもきっと困らないからいいや。


私はそれからまた、景色に視線をやった。
風が少しだけ冷たい。







名前を呼ばれたので、私はそちらを見た。
伯寧さんが頭を下げてた。



「すまない」



私は慌てる。
なんでまた謝られてるの?私。


「ど、どうして謝るんですか?頭上げて下さい!私、濮陽のことでしたら気にしていないと、もう言いましたよ!」

「そうじゃないんだ」


そう言ってから、伯寧さんは頭を上げて私を真っ直ぐ見る。
なんとなく、何か分かった気がする。



「実は、がこの先のことを知ってるっていうの、郭嘉殿と李典殿に話してしまったんだ」



やっぱり。
だけど、それは多分…。



「それでしたら…仕方ないです。きっと、郭嘉さんに問い詰められたんでしょう?鋭そうですもんね、郭嘉さん。李典さんは、理由はわかりませんが、居合わせただけですよね?」



言ってから、私は目を細めた。
どっちにしろ、いつまでも隠し通せるとは思ってなかったから、それならそれで構わない。
懸念することはいくらでもあるけど、今それを考えてもしょうがない。

伯寧さんが俯く。



「…私は、二人に責められた。それがもっと早くに分かっていれば、があんな目に遭う前に助け出せたかもしれないのに、って。私もそう思った…いや、ずっとそう思ってた。、私は…」

「伯寧さん」


私は、言葉を詰まらせた伯寧さんに言った。
まっすぐ、伯寧さんの目を見て。



「伯寧さんは本当にそう思いますか?本当に、それを誰かに話していれば私がこうなることを防げた、と本気で思いますか?」



私は、手の平を自分に向けて右手を目線まで上げて見せた。
伯寧さんは一度視線をそらすようにしてから目を閉じる。
それから暫くして目を開けると、私に視線を戻してから短く答えた。



「いや」



私はそれから手を下ろした。
そして、言った。



「私も、そう思います。仮にそうしていたとして、それを早くに陳宮が知ったなら、もしかしたら私はもっと早いうちに同じ目に遭っていたかもしれないですし、もっとひどい目に遭ってたかもしれない。呂布が私の言葉に耳を傾けなかったかもしれない」

「…そう、だね」

「はい……それに、もし無事に助かっていたとしても、きっと第二、第三の陳宮が現れていたと思う。いまこの瞬間にも。そうなったら、私は曹操さんを手伝うどころか、足を引っ張るだけになってしまう。そんなのは嫌」



私は一度目を閉じた。
一瞬だけ、濮陽でのことを思い出した。



「あのときの私は、そう考えました。だから知らない、と答え続けたんです。無理をしたり、無茶をしたりしたんじゃない。自分の心に従っただけです」

「……」



私はそこで一呼吸おいてから言った。



「…結局、そのとき話していたらどうなったのか、それは誰にも分かりません。だけど、少なくとも今、私はここにいます。だから、良かったんです、これで」



私は、伯寧さんの顔を見た。
そして、思う。

どうして、そんなに悲しそうな顔をしてくれるんだろう。
伯寧さんは、自分で分かっているのかな?
きっと本来なら、そういう顔は、私が私のためにするものだろうに。
けど、それが分かっても、私は私のために悲しもうとは思わない。

だから…。



「ありがとうございます、伯寧さん。隠していて下さって……私の事で悩んで下さって」

「………ごめん」

「ふふ。だから、どうして謝るんですか?正直なところ、謝りたいのは私の方なんです。だから、これ以上はもう勘弁して下さい」



私は口元を緩めた。
それから、少し考えてから言った。
それは、自分のためでもあった。



「私…実は、なんとなく文則さんと郭嘉さんは、このことに気づいてるんじゃないかと思ってたんです。さっきも言ったように郭嘉さんは鋭い方ですし、いつかその内自分で答えにたどり着くんじゃないかとどこかで思ってました。同様に、他の方もきっと気づくんじゃないか、と」

「うん。それは、そうだね」



伯寧さんが相槌を打つ。
けど、気力が少し抜けているような感じだった。
なんか、本当に悩んでくれてたんだな…、きっと。



「はい。文則さんについては、初めてお会いして話をした時に、既に何年前かって明言しましたし。なんか知ってなきゃそんなことは言えない…だから、きっと言わないだけで、もう気づいてらっしゃるんじゃないかと思います」

「于禁殿は、口が堅い方だから…それは、そうかもしれないね」



私は無言で頷いた。
それから続ける。



「まあ、まさか文則さんに初めてお会いした時は、自分がこんなことになるなんて想像すらしていなかったですから…とりあえず、知ってることを伝えた方が、最初は混乱しても…あとのことを考えればその方がご自分の状況は理解しやすいでしょうし、整理もできるんじゃないかと思っていたので…隠さずにお伝えしたのですけど…」

は基本的に優しいんだね」

「ん?んー…どうでしょうか…まあ、皆さんほどじゃないと思いますよ」

「そうかい?」

「はい」

「じゃあ、そういうことにしておこう」

「はい、そういう事にしておいてください」



伯寧さんが笑う。
いつもと同じように。

私はただ安心して、笑い返した。
それから思ったことを呟いた。



「まあ……なんていうか、人生何があるか分からないな、本当に」

「それもそうだ」



それから、思っていることを伝えた。



「…でも……他の人が気づいていてもいなくても…私から言うつもりはありません。限りなく黒に近い灰色でも、黒じゃないなら私が断言しない限り、黒じゃないでしょう?だから、もう暫くは、このまま過ごします」

…そういうことなら、今度こそ、私はに協力するよ」



私は伯寧さんの言葉に、ただ笑って返した。

それから、ちょっとだけ考えた。
ずっと思ってること。
そして、曹操さんに仕官すると伝えた時から考えてたこと。
表に出ないように、意識の奥でずっと考えてたことを。

伯寧さんが不思議そうに私に問う。



、どうかした?」

「いえ、その…」



私は一度言葉を呑み込んだ。
視線を上げると、伯寧さんが私をただ見ている。
東平で私の話を聞いてくれた時と、同じ顔をしていた。
もし話すなら、自分の中である程度の整理がついてから、とは思ってる。

だけど、自然と私の口は開いていた。
駄目だまだ早い、と思いながら。



「東平でも言いましたけど、私の知ってることとズレがあるっていう話。やっぱり私、それはズレじゃなくて何かが違うと思ってるんです。なんか、こう…ズレで片付くことじゃない…だから、下手に知ってるものを当てにしようとも思っていない、そう東平でも言ったんですけど……だけど、ただ…それでも、私は……」

「先を知る娘よ」



その時、突然どこからか声がした。
老人の声だ。
知らない、老人の声。

伯寧さんと辺りを見回すけど、誰もいない。
二人で階段の方向へ振り向いたとき、後ろに何かの気配がした。
伯寧さんとほぼ同時に後ろを振り向く。



「誰だ!」

「う、浮いてる!?ワイヤーアクション?ど、どこにしかけが…」



そう、そこには、宙に浮くご老人が一人。
勿論、知らない人だ。
いつだか誰だかにも思ったけど、キャラがすっごい立ってる。



「しかけはない」

「たねもしかけもない…手品…?」



私はただ目を凝らす。
ていうか、この展開なんなの。
誰、この人…。

そう思っていたら、また口を開く。



「小生は道士…娘は小生の名を知っておろう」



伯寧さんが、その老人を警戒しながら私を見る。

道士…ってパッと思いつくのは、張角、于吉、左慈、張魯あたりだけど…。
張角は、なしでしょ。
多分、張魯も違うと思う。
ってことは、于吉か、温州蜜柑…じゃなかった左慈。

…どっちにしても知らないわよ。



「残念ながら知りません」

「ならば、教えよう。小生は左慈、左元放。この名を聞いても知らぬと申すか?小生に偽りは通じぬぞ。

…」



伯寧さんが驚いたあと、私を見た。
私はただ眉根を寄せる。

なんで次から次へと不可避イベントが起きるのよ!
と、私は内心毒気づく。

冷たい風が、相変わらず吹いていた。
青空を背景に浮いてる左慈を見上げる。
私はゆっくりと、息を吐き出した。













つづく⇒



ぼやき(反転してください)


これが、終わったらとりあえず、ひと段落…
本編イベントさらいながら、やりたいことをやりたいです
いえ、もうやりたいことやってるけど…

2018.04.21



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