戯家の愚人 ― 噂ノ兄弟 ―























白い雲がうっすらと広がる青い空。
午の刻に近づく頃、人の声であふれる小沛の市井を人をすり抜け突き進む。

は、最近通い始めた酒家の前で歩みを止めると、中を伺いながら敷居をまたいだ。
運よくあいていた角の席に腰かける。
馴染みになりつつある酒家の娘に声をかけた。


「酒と今日のおすすめ、たのむよ」

「はい、ただいま!」


元気よく返事をして、奥に消えていく看板娘の背を見送る。
今日は久しぶりの休日だった。

ここ数日は、机に向かって数字や文字とにらめっこをする仕事が多かったせいか、心なし目がしょぼつく。
そういう仕事は嫌いではないが、どうにも肩がこっていけないな、と首をまわしていると間もなく頼んだ酒とともに、串に刺さった肉が皿に並んで出てきた。
いい塩梅に焼かれ、香辛料が使われているのか、香りが良い。
一口、口にしてから酒を杯―耳杯と呼ばれる、楕円型の浅い椀の長辺に櫛形の耳がついたもの―に注いだ。
それを一気にあおる。
喉を熱くするそれが、心地よく、たまらない。


「やっぱり、これだな」

思わず呟いたその時、どこからともなく声が降ってきた。


「いい飲みっぷりじゃねえか、そこあいてるだろ?ちょっくら邪魔するぜ」


どすっと、目の前のあいていた席に巨体が座る。
いがいがした雷のような声。
視線を上げると、そこにはエラの張ったあごに虎髭をたくわえた男の顔が。
それは見間違えようもない。


「張殿…!?」


そう、張飛その人だ。
は思わず姿勢を正す。
間髪入れず、別の声が降ってきた。


「益徳、戯殿に失礼だろう」

「雲長兄ぃ…」

「戯殿、義弟の非礼…玄徳がかわってお詫びする…」


このとおり、と一見やわらかな物腰に見えるその男は拱手すると頭を下げた。
長い髭をたくわえた男を挟んで、張飛はバツが悪そうに頭を掻いている。
は慌てて立ち上がると、顔の前で両手を振った。


「いや、許すなど…私は気にしておりません。そう、お気になさらず…」


頭を上げる男に今度は戯が拱手する。


「そんなことより、ここでお会いできたのも何かの縁…邪魔でなければ同席させてください」


の言葉に、男―劉備―は破顔して答えた。


「是非、こちらからもお願いしたい。むしろ、我々の方こそ邪魔でなければ良いが…」


は、そんなことはありません、と笑顔で返すと席へと促す。
劉備が奥の席に座るのを、長い髭の男―関羽―は、少しふて腐れている張飛の横で、その髭をしごきながらただ見つめていた。
正確には、劉備を促す戯を、であったが――。












にぎわう店内。
珍しい組み合わせの4人が囲む席は、傍から見ると少し浮いて見えた。
だが、それを気にするものは誰もいない。
そのぐらいに店の中は人でごった返していた。
話し声、笑い声、人であふれる店内は片隅の席のことなど気にはしない。
劉備は、挨拶代わりの杯を空にすると、自分の左正面に座る戯に向き直って口を開いた。


「実は以前から戯殿と一度、こうして話をしてみたいと思っていたのだ」

「私と…ですか?」


目の前の戯は不思議そうにこちらをみやる。
自分と同じく空になった杯を手にするその指は、およそ武人のものとは言い難く、細い。
劉備は、戯に視線を戻しながら頷き言った。


「彭城で初めて貴殿を目にしたときから」

「彭城…?」


は、予想外に人懐きの良い劉備の話しぶりに内心驚いた。
もっと堅苦しいしゃべり方をする男だと思っていたからだ。
しかし、今目の前で話す劉備の言葉には思い当たることがなかったため、疑問符を浮かべたまま口を閉ざす。
記憶が正しければ、彭城で自分は劉備と会っていない。
劉備は、そんな戯の心を知ってか知らずか、気にせず言葉をつづけた。

「曹公と話をしていたのをたまたま見かけたのだ。そのとき、その場をあとにする貴殿の背を見て興味がわいた、どんな男だろう、と」

「私の…背?」

劉備の言葉に戯は納得しつつも、不可解な事を続けて言うので、思わずそう返した。
再び劉備は頷いて言葉を続ける。

「何というか…言葉で表現しにくいが…そうだな、貴殿についていけば大丈夫、そう思わせるような何かを感じた」


は劉備のその言葉に一瞬目を見開くと、一拍の間ののち声を出して笑った。
その隣に座していた張飛が思わず身を乗り出すが、関羽がそれを制す。
劉備はただ静かに座して言葉を待った。


「すみません、笑ったりなどして。しかし、それは余りに私を買いかぶりすぎです、私はそんな大層なものを持ち合わせていません」

はひとしきり笑うと、右手を顔の前で振りながら、息を整え続けて言った。

「それは寧ろ、劉将軍や我が主公のような人にこそ言える言葉でしょう。私になど到底、」

「いや、冗談で言っているのではない」

の言葉を劉備が遮る。
まさか言葉を遮られるとは思わず、戯ははじかれたように視線を劉備にやった。
劉備は、その目を真っ直ぐに見て言う。


「戯殿のような人にこそ、兵や民たちはついて行く。貴殿が俺には、少し羨ましい、と思う」


その目から逃れることが出来ない。
全く想定外の言葉。
は、劉備のその言葉に世辞などでなく嘘偽りもないことを敏感に感じ取り、同時に一つの答えに行きついて、思わず生唾を呑みこんだ。
劉備は、人の上に立つ者が見るべきものを見て、感じ、考えている。
モノのとらえ方が常人のそれとは違う、と。

関羽、張飛の視線が戯に注がれる。
劉備の目には、一見優しさしか感じられなかったが、その奥からは射抜くような強さ、鋭さが確かに存在していた。
それが意識的なのか、無意識なのかまでは、戯には分からなかったが。

「(この男、やはり…油断できない)」

「お待ちどおさま!追加のお品です!」


ふいに元気な声が降ってきて、目の前に酒と肴が置かれる。
ごゆっくり、と笑顔と一緒に言い残して看板娘が背を向けた。


「劉将軍がそうおっしゃるのであれば、私は素直にお褒めの言葉として受け取りましょう」


その元気な声に気がそがれたらしい関羽と張飛を尻目に、すかさず気を取り直した戯がそう言って劉備に酒をすすめた。
内心、この空気を壊してくれた看板娘に感謝をした。
今ここで駆け引きをしたくない。
勘だったが、分が悪い、そう何となく思っていた。
そんなこととは知らない劉備は、すすめられた酒を右手にした杯で受けつつ、戯に言う。

「なんの、俺は心からそう思っているのだ。公のもとへ身を寄せてから暫く経つが、兵たちからの戯殿に対する噂を耳にしても本当にそう思う」

酒を受ける劉備の手元を見ていた戯だったが、注ぎ終わるのと同時に視線を上げた。
劉備はそれを確認すると、改めて戯に声をかける。


「戯殿」

「はい」


劉備の声音が僅かに変化した。
次は何を言い出すのかと思いながら、戯が返す。
そんなこととは知らず、劉備が続けた。


「戯殿のこと、これからは殿と呼んでも良いか?」

「構いませぬが…?」

「それは良かった、殿と呼ぶ方が貴殿には合っている気がしたのだ」


そう言ってにっこり笑う劉備の意図が戯には全く分からなかった。
意図などないのかもしれない。
だが、それすらも今は分からなかった。
何故か、ふと己の主君、曹操のことが頭に浮かんだ。
似ている、といえば似ているのだろうか。
”何を考えているのか分からない”という一種の読み難さは似ているのかもしれない。
そこまで思って、戯は深く考えるのをやめた。
先入観と偏見は読みを鈍らせる。
今後のことを考えるなら、なるべく中立に見るべきだ。

劉備は受けた酒を目の前でぐっとあおると、今度は戯に酒をすすめた。

「俺のことも玄徳と。殿とはもう少し近い距離で話がしたい」


は、そんなことを考えながら劉備から酒を受けると、劉備と同じように一気にあおる。
左隣に座る関羽だけは、なにやら意識を自分に向けているようだったが、劉備に関してはこれ以上考えても無駄そうだ、と完全に諦めた。
折角の休みなのだ、羽目を外しすぎないように楽しむことにしよう、と戯は思った。
上機嫌の張飛が、間髪入れず酒をすすめる。
その酒を受けながら、その方が賢明そうだ、と心の中で呟いた。























「玄徳殿と話が出来て良かった」

「いや、それは俺もだ、殿」


店の前で、そう言葉を交わしどちらともなく、拱手する。
柔らかく笑む戯に、劉備が言葉をつづけた。
ちなみにどんな話をしたかといえば、劉備の生まれ故郷のことから始まり途中脱線し、さらに脱線したのち張飛の武勇伝を聞かされ、その張飛が潰れはじめてからは何故か菜園の話になり、大根がどうのとか法蓮草がどうのという話から肴のことに発展しただけで、実のある話かどうかは、まったくもって謎なものであった。
他に分かったことは、関羽の愛読書が左伝―春秋左氏伝のこと―だということぐらいだろうか。
いつのまにか、大分陽も傾いている。
まだ空の色は青かったが、しかし、その青は徐々に褪せはじめていた。


「折角の休日に3人で邪魔をした」

「いいえ、楽しい休日を過ごせて、感謝しております。こうやって、玄徳殿とも知己となれました」


にっこりと返す戯の言葉に、劉備は驚いたような表情で返す。

殿とは、朋友となれたかと思っていたが、俺の独りよがりだったか…」

「そ、そのようなことは…!」


どこか寂しそうに言葉を返す劉備に、戯は慌てて両手を振る。
そんな、戯に劉備は一拍おいて、まあ冗談だ、とけろっと笑って見せた。
呆気にとられる、戯


「…冗談だが、”朋友となれた”と思ったのは本当だ、殿、どうぞ今後ともよろしく」

再び拱手する劉備に、戯も返すが、内心別のことを考えた。
意図的だろうがなかろうが、全く読み難いわからない人だ、と。
が顔を上げたのと同時ぐらいに、劉備がふいに歩み寄る。
一気に距離が縮まり、自然、戯は劉備を見上げた。
あまりの近さに戯が戸惑っていると、劉備が顔だけ近づけてその耳元で呟く。


「ところで、殿は女人であることを隠しておられるのか?」


僅かな空気の動きがこそばゆかったが、その言葉を聞いて、そんなものは直ぐにどうでも良くなった。
離れていく劉備と一瞬視線が合う。
見上げる形のまま目の前に発つ劉備に、戯はふっと口元に笑みを作って返した。


「気づいておられたのですね」

「最初は気づかなかったが」

「いつから?」

殿が自分の杯を7回、空にしたあたりから」


それを聞いて、戯は一瞬目を見開くと、思わず声を出して笑った。


「なんだ、ほとんど初めじゃないですか」

「いや、本当に最初は分からなかった」


その劉備の言う、最初、には”彭城の時”が含まれていたが、戯もそれは理解していた。
劉備の数歩後ろで待機している、関羽、張飛は、二人が何を話しているのかよく分からず、ただ怪訝そうに見ている。
(ただ、張飛は大分酔っていて、それどころではなかったが)
そんな二人の表情は、戯には劉備が邪魔で良く見えない。
勿論、二人にも戯の表情は分からなかった。
ただ、何やら笑っている、ということだけ理解できた―張飛は分からなかったが―。
は笑い涙をぬぐうと、目を細めて劉備に返す。


「強いて隠しているわけではないのですが、何かとこちらの方が都合が良いのです」

「そうか、ならば俺も黙っておこう。ただ、雲長は気づいているかもしれない」

「気づいているなら別に良いのです、無理して隠しているわけではありませんから。ですが、感謝いたします」


劉備は軽く頷いて、それ以上は何も言わなかった。


「さて、益徳が心配なので、ここで失敬」


後ろを振り向きながら、劉備が口を開く。
劉備の身体越しに、酔った張飛の腕を掴む関羽が戯の目に入った。


「本当に…義兄弟きょうだい想い、なのですね」

「それほど、大それたことではない」


ぽつりと言う戯の言葉に、劉備が視線を戻す。
そこにいる戯は、先ほどまでとは違い、何か遠いものを見るような目をしていた。
その視線の先には、関羽、張飛がいたが確かに、そこを見ているのではない、と思った。


「どうか、されたか?」


劉備が声をかけると、戯は僅かにはっとして、首を軽く横に振った。


「いえ、何も。ただちょっと、羨ましい、と思っただけです」


そう言う戯の目は、やはりどこか遠くを見ているようだった。


「そうか」


劉備は、ただそれだけ返す。
からの返答はなかった。


「では殿、これにて」

「はい、玄徳殿」


はそう返すと、今度は少しだけ声を張り上げて関羽、張飛に声をかけた。


「雲長殿、益徳殿、今日はありがとうございました」


関羽が顔を上げ、会釈をする。
張飛は、酔っているなりに反応して顔を上げ、ベロベロの腕を力なく振って見せた。
はふっと笑うと、張飛を見て苦笑いを浮かべる劉備に向き直った。
それに気づいて、劉備も戯に向き直る。


「玄徳殿、ありがとうございました」

「こちらこそ、殿。また、お会いしよう」

「はい、また」


互いに拱手し合うと、戯は関羽、張飛にも拱手した。
張飛は相変わらずだったが、関羽が拱手で返す。
それを確認すると、戯は誰にともなく黙礼し踵を返して、その場をあとにした。
劉備は、そんな戯の背を見送る。
人影で間もなく見えなくなると、関羽、張飛を振り向いて二人に近づいた。
関羽が劉備に声をかける。


「兄者、何を話しておられたのか?」

「なに、たわいの無いことだ。気になるか?雲長」

「いえ」


関羽は短く答えると、その髭を扱いた。
劉備は、素直じゃないな、と思いながらふっと目もとを緩める。


「では、戻るとしよう」


無言で頷く関羽と視線を交わすと、劉備は張飛の腕を、その肩にまわした。
三人の背が人ごみの中へと消えていく。



空はいよいよ、朱に染まりつつあった。




























劉備と別れてから大通りを逸れて仮宿―兵舎―への道を歩いていると、ふと背後に気配を感じて、振り向きざま戯は間合いを取りつつ身構えた。
だが、予想外にもそこにいたのは、郭嘉。
の腕を掴もうとしていたらしく、右手が中空で止まっている。
その表情は、驚きそのものだった。
だが、それは戯も同様だ。


「なんだ、奉孝か。びっくりさせるなよ」

「それは俺の台詞だ。もうちょっと隙を作れよ、可愛げが無い…」

「隙を作れとは、我が軍師殿の言葉とは思えないが?」

「まったく、可愛げが無い…」

「何か?」

「……」


黙って視線だけそらす郭嘉に、戯は呆れてため息をつくと、ところで、と切り出した。


「何か用があったんじゃないのか?」


言うや、腰に左手をあてた戯に、郭嘉がずいっと顔を寄せる。
そして、真顔で言った。


「劉玄徳と会っただろ」


郭嘉のあまりの迫力に、戯は上体を後ろに反らし、思わず口元をひきつらせた。


「…情報が、早いな……会ったよ」


そう答えると、郭嘉はにっこり笑う。
は内心、怖いと思った。
なにに、というわけではない。
深い意味もなく、ただ怖い、と。
そう、ただ純粋に。


「どんな話をしたのか教えろ、いいだろ?」


から顔を離しながら、郭嘉が笑みを浮かべて言う。
は短く、ああ、とだけ返した。


「よし、行こう」

「行こうって、どこへ」

「俺んち」

「ああ、そういえばやしきの支給があったんだっけ」


行って、さっさと歩きはじめる郭嘉を追う。
通りを行き交う人はまばらで、静かだ。
歩きながら視線をよこして郭嘉が言った。


も受ければよかったのに、なんだってむさくるしい兵舎にいるんだよ」

「たとえ将軍でも普通は兵舎だよ…それを将軍でもない私が、いくら主公からの厚意だからって特別扱いは受けられないだろ…ただでさえ、今までだって特別扱いがなかったわけじゃないのに…」


まあ、部屋の支給だけは甘んじたけど、と付け足して郭嘉の左隣に並びながら前方に顔をやったまま、そう答える。
郭嘉もまた、前方から視線を外さず言葉をつづけた。


「主公だって折角そう言ってるんだ。そんな堅苦しく考えず、気楽にいけばいいんだよ、そういうものはさ」

「…気楽でいいね、あなたは…」

「見習っていいぞ」

「遠慮しとく」


きらきらと笑顔を向ける郭嘉を一瞥して、戯はため息交じりにそう呟いた。
いつのまにか空の青はすっかり色褪せて、薄紫から紺青に包まれている。
辺りが闇に包まれるのも直ぐだろう。

気づくと並んで歩いていたはずの郭嘉が一歩先を歩いている。
段々と距離がのびていた。
劉備と何を話したのか聞くのが、そんなに楽しみなんだろうか…。
と、戯はその背中を見つめた。
張飛の武勇伝が4割、農業についてが3割、筵の強度についてが1割、その他雑談が2割の内容を知ったら、多分あまりの実のなさに奉孝さん怒っちゃうんじゃ…と内心面白いの半分、冷や汗半分だった。
そんな冗談はさて置き、戦略考えるのがまったく好きな男だな、と心の中で呆れながら、戯は郭嘉の背中を追いかける。
明日の業務に遅刻しないように帰らないとな、などと考えながら――…。






















つづく⇒




 いい訳。↓(拍手ありがとうございます!






この時代って、強いお酒ないらしいですけど、話が盛り上がらない(←)ので    
さんの飲んでるお酒は奇跡的にいつも強いってことにしてください←
更新のペースが一年に一回みたいな感じで申し訳ないんですが    
やる気だけはあります、やる気だけ…    
遠征先では、みなさん基本兵舎で大部屋で雑魚寝らしいんですが、    
それもなんだか味気ないので、勝手な設定を色々すべりこませてます    
というのと、考察が甘いので誤魔化し…ゲフン    
付き合える方だけ、お付き合いお願い致します

ここまでお付き合い下さり有難う御座いますorz


2017.09