兵に常勢無く、水に常形無し





    
戯家の愚人 ― 双ツ無キ者ノ生・前 ―























198年秋8月。呂布、高順を以て沛の劉備を攻める。
曹操、夏候惇を救援に遣わすも、夏候惇、これに敗れる。
沛城陥落し、劉備逃走する。

同9月。曹操、下邳へ向け軍を上げ、許を起つ。
梁国国境にて、敗走した劉備と合流する。
曹操、徐州彭城国に至り、相・侯諧を攻め彭城を下す。










彭城内、城下――





頭上には一面のうろこ雲。
しかし、秋の深まりは疾うに過ぎ、枯葉の香りが冬の訪れを窺わせていた。

先ごろ、この国の相・侯諧が縄目にかけられた。
相とはこの場合、県令と同じ意味だ。
諸王、諸侯の住まう都市には、太守・県令ではなく、相を置く決まりになっていたが、呼び名が異なるだけでその職務内容は同じである。

そして彭城は、かつて覇王と号した項羽が西楚を建国した際に都と定め、その後の郡国制下では楚国の重要な都城でもあった都市だ。
西方二十里、北方六里に山がそびえ、その北の山の向こうには沂水が流れていた。
沂水は西南へ伸びて、下邳の北西地点で泗水と合流する川である。
上流へ行くと兗州、豫州の両州に跨る湖があり、そして、ここ彭城国からの対岸は東海国との国境であった。
国境と言っても、同じ徐州内であるので、意味合いとしては県境と同じようなものだ。

そんな彭城は今、異様な空気に包まれている。
民衆は皆、その戸を固く閉め、路を行き交う兵たちの鎧の擦れ合う音を聞きながら、そっとその様子を窺っていた。
その件の曹操軍は、再び軍備を整え纏まり次第、曹操の令を以て下邳へ進軍再開する手筈である。
既に曹仁、徐晃らが別軍として任を帯び、それぞれ駒を進めていた。



「では、その様にお願いするぞ、玄徳殿」



曹操はそう言って劉備に笑いかけた。
劉備は畏まって短く答えると、一礼してその場を後にする。
広場は、次の行軍の準備を急がせているだけあって伝令の兵も行き交い、忙しなかった。
大半の軍は城外にて待機中である。
少し離れたところで曹操とのやり取りを見ていた関羽と張飛がこちらへと戻ってくる劉備に歩み寄った。
待たせた、と劉備が二人に微笑む。
張飛が口を開いた。



「兄者!曹公の野郎はなんだって?」

「益徳、口を慎め」

「いいじゃないかよ、雲長兄(あにぃ)。俺はあいつはいけ好かないんだ」

「落ち着け、益徳。雲長の言うとおりだ」



劉備が言うと、張飛は項垂れて押し黙った。
と、その時後方から曹操の声が聞こえた。



「おお!、来たか!」

「遅くなりまして、申し訳御座いません、主公」



一緒に聞こえてきた声は、男にしては少し高めの、しかし女と見るには多少低く感じるものだった。
振り向くと先程自分が立っていた辺りに、やはりこれも男にしては小柄な、女にしては長身のその人が、曹操に促されて立ち上がる姿が視界に飛び込んできた。
その顔は、鎧兜に包まれ、またそこまで距離もある為に、声こそかろうじて聞くことが出来るものの、窺い知ることはできない。



「良い、元々ぬしには留守を任せていたのだ、思いの外早くて驚いたぐらいだ。ところで、首尾はどうだ?」

「御下命下されば、直ぐにでも。・・・何か、別の急事でも発生致しましたか?」

「流石に敏い。実はな、魯相が騎馬六〇〇を率いて四日前、城を発ったそうだ」



元々は別の任を帯びていたらしい。
その予定変更を曹操は冗談めかしく笑っているが、内容は明るいものではない。
同時に、曹操の発した”魯相”の言葉には皮肉の色が窺えた。
恐らく、その魯相というのが呂布が勝手に任命し呼称しているものだからだろう。
劉備は、と呼ばれた将をじっと見つめた。



「四日前・・というと、もうこの徐州には入っていますね。魯相・・・張騎都尉ですか」

「そうだ、呂軍の中でも気の抜けない将の筆頭だな。そこでには、別働にまわってもらいたい。意味が分かるか?」

「別働として、彼の軍を迎撃、陽動し呂本軍との合流或いは、我が本軍との衝突を阻止する」

「できれば、”彼の軍”を下し奉先の背後から攻撃、してもらいたいのだがな。それから、兵を補充したくば今申せ。必要なだけ連れて行って良いぞ」

「いえ、共に連れてまいりました者たちで充分で御座います。また、先のこと、保障は出来かねますが、期待に沿えるよう尽力致します」

「ならば、期待しよう。下知する。戯都尉は別働として兵を率い出立せよ。次の令が下るまでは、その一切を委任する。臨機応変、是に当たれ」

「御意」

「行け」

「は」



将軍なのかと思っていたが、どうやら都尉の任であったらしい。
劉備には全ての会話が聞こえたわけではないが、”戯都尉”が別働隊として任地に赴く、ということだけは何となくだがわかった。
静かにそこを後にする彼の人の背中を目で追う。
颯爽と歩んでいくその姿が、なんとも言えず印象的だった。



「けっ、なんだあの野郎は!すかしやがって!チビのくせに」

「益徳、口を慎めと言っているであろう」



またも、毒気づく張飛を関羽が僅かに怒気を含めながら、しかし静かに制する。
ふと、劉備に目をやると、未だ彼方に視線をやっているのに気付いた。



「長兄、どうなされた?」



その問いに、劉備が視線を外さずに口を開く。



「いや、どの様な男なのか、ちょっと気になってな。機会があれば一度話をしてみたいものだ」

関羽にとっては特に興味の対象とはならない人物だったが、劉備のその言葉に、とりあえずは適当に、そうですな、と相槌を打って同じ方向へ目をやった。
張飛はぶつくさと言いながら、つまらなそうに、地面を一度蹴る。
そんな二人を劉備は促して、自分もまた一軍の下へと歩んで行った。

















それは、戯たちが彭城を発ってから一刻半、沂水を渉ってから一刻程が過ぎた頃だった。



「都尉」

「うん?」



地に鳴り響く、騎馬の早駆けの合間に聞こえた声は然程大きなものではない。
自分に近づいてくる気配と同時に気付いて、戯は短く応じながら左へちらりと視線をやった。
鹿毛に跨る陽蒋が視界に入った。
陽蒋は、戯よりも4つ年長者であるが、副官であった。
その顔は、どこか不安げにみえた。
瞳の覇気は失われてはいなかったが、それだけに複雑な表情をしている。



「どうした?季長」

馬首を並べこそしないが、その傍らまで進み出てきた陽蒋に、戯は視線を投げながら問うた。
爽やかに問うその声も、表情も、陽蒋のそれとは正反対だった。

「・・・あ、いえ、なんでもありません」

陽蒋は一瞬戸惑うと、そう答えて口を噤む。
は、片眉をあげてから、呆れたように息を吐いた。


「なら、そんな表情(カオ)をするな。兵たちが動揺するだろう」

「は、すみません」

「といっても、兵の半分ぐらいはお前と同じようなカオをしてるがな」



その言葉に、陽蒋はちらりと後ろに目をやった。
後を追ってくる四〇〇の騎馬が視界に入る。
鹿毛と栗毛が葦の合間をぬって駆けていた。
そこに跨る兵の半数は、成る程、戯の言うようになんとも言えない表情をしている。
だが、それに同情できるのも確かで、しかし、そんな現実から目を背けるように顔を正面に戻すと、同時に戯の声が耳に届いた。



「怖いか?呂奉先という男が」



陽蒋は戯を見た。
その横顔が垣間見える。
清々しくも、前を見据えて、こちらを振り向く気配はなかった。
それを見つめながら、陽蒋は口を開く。



「天下無双の名をほしいままにしています、誰も彼の武には敵わない」

の表情は変わらなかった。
構わず続けた。



「戦場で目にしたという父の話では、彼の周りでは血飛沫が絶えず、さながら地獄絵図のようだ。血煙とはあのようなものを言うのだろう・・・まるで人が紙の様に、いとも簡単に刻まれていく。あれは人が成せる業ではない、と・・・父は、遠くからその光景を見ていたそうですが・・・・・・私もその話を聞く限り、そう、思います」

落とした視線の先では、鹿毛の黒い鬣が風にあおられて揺れていた。



「それで、お前は私にどうして欲しいのだ?」



思わぬ問いに顔を上げる。
穏やか過ぎるほど、穏やかな声だった。
見えた戯の顔からは何を考えているのかは読み取れない。
ただ耳に届いた声音同様、その表情も至極、穏やかである。
陽蒋の心中とは正反対だった。



「都尉は、怖くはないのですか?天下無双の呂将軍と戦場で向き合うようなことがあれば、それこそ命の保障はないのですよ」



空をうろこ雲が覆っていた。
風は大分冷たくなったように思う。
もう晩秋に近いのだと気付かされる。
が前を向いたまま口を開いた。



「私は、まだこの目で見ぬ敵の噂だけでできた虚像に、必要以上に怖がるような趣味は持ち合わせていないよ」

そして、陽蒋を振り向くと、笑顔で言った。



「それに、今私が怖い、などといったら間違いなく、この隊は全滅だな」



自分の命の保障がないことよりお前たちの命を失うほうがよっぽど怖い、そんな冗談めかした声も陽蒋の耳に届いていた。
その言葉は、声音ほど冗談には聞こえなかったが。



「どちらにせよ、我らは主公より別働、もとい敵の張騎都尉を食い止めよ、と命を頂いているから、敵本軍とぶつかることは確率的に見ても低いだろうが、矢張り命の保障はない。それは、戦場に出る以上どこにいても同じだ。だから、今はできること、するべきことからまず、こなしていく、それが一番だと私は思う。お前はどうだ?季長」



陽蒋はその言葉に、はっとした。
確かに、その通りだ。
戦場に出る以上、どこにいても命の保障はない。
自分達は、命のやりとりをするのだから。
その先にあるのは、生活の安泰、国の安泰。
その為に、自分は仕官したのではなかったのか。
呂布という最強と謳われる武、それが相手なのだという恐怖を前にして、その心を忘れていた自分に気付かされた。
そして、改めて思ったのだ。
大きく構えて揺らぐことのない、この都尉について行こうと。



「はい、都尉にお供いたします」

「頼りにしている」



が、陽蒋の顔を見て言った。
陽蒋はそんな戯に、笑い返した。
勇気付けられた心は、視線を前へと向けていた。






















つづく⇒




 いい訳とか。↓(毎回お待たせしてすみませんorz



本当は、11-1とか11-2と分けずにいこうと思ってたんですが、
微妙に長いような、そんなかんじだったので分けてみました←
しかし、その続きはまだ執筆中・・・←
ともあれ、オリキャラ出過ぎで、すみません;
そういうの嫌いな方には大変申し訳なくorz
名前の知られてる誰かしらにしようかと考えつつ、テキトーな人がいなかったので、オリキャラ召喚です
とりあえず、まだ寒いうち(リアルが)に呂布を下せるといいなーと思いつつ、頑張ります。。。

ここまでお付き合い下さり有難う御座います!


2011.01