雨 ― 于禁の場合 ―






















何の前触れもなく突然降り出した雨。
とんだ休日だ。
目前に見えたその軒先に滑り込む。
見上げた空に浮かぶ黒い雲は重くのしかかるように厚かった。
降りが強すぎる。
思っていた以上に降られたのか、顔を雨水が伝う。
思わず溜息が出た。
そのときだ、思いがけない声がしたのは。



「文則さんも雨宿りですか?」



声がした方を見ると、軒下に積まれた木桶の陰からが顔を出している。
私だと知ってか、はそこから抜け出し私の近くに立った。
こちらを見上げてくるに私は言う。



も、か?」

「はい。急に降ってくるんですもの、びっくりしました」



そう言って、が困ったように笑みを浮かべる。
その濡れた髪から滴が一つ落ちた。
私はもう一度空を見上げた。



「天気ばかりは致し方ないが、こうも降られてはなす術もない」

「…そうですね、止むまで待つしかないですね」



の声を聞きながら、私は周囲に視線をやった。
あまり人通りのない路地のせいか、他に人影はない。
少なくとも見えている範囲では、私との二人しかここには居ないようだ。



「文則さん。これ、使ってください」



不意に言われ、私はに視線を戻す。
は丁寧に畳まれた布(きぬ)を差し出している。
一瞬言っている意味がわからず、何も発せずにいるとが笑みを浮かべ言った。



「濡れてらっしゃるから」



まだ使ってませんから、と付け足しては更に笑みを深くし私にそれを押し進める。
断る機を逸し、思わずそれを手にとってしまった。
布に視線を落とす。
それからを見ると、既には袖の中からもう一枚同じような布を取り出し濡れた額に押し当てるようにして雨水を拭っている。
ふと、いつも二枚は布を忍ばせていると言っていたか、と思い出した。
しばらく手の中の布を見つめてから、私はそれを額に当てる。
ふわりとの使っている香の香りがした。
同時に、自身の香り。
急激に鼓動が早くなるのを感じる。
誤魔化すようにそれを首に当てたとき、不意に思い出す。
は二枚の布を、袖の中と懐にいつも仕舞っているということを。
が今、使っている布は袖の中から出していた。
ならばこれは、自分が使っているものは懐から出したもの、ということだ。
そのようなこと、いつもなら気にはしない。
気にはしないが、何故か今はそれが気になる。
の香りがする、それだけでもどうしようもなくなるというのに…自分を戒めねばならぬ…。



「文則さん、大丈夫ですか?どこか具合の悪いところでも…?」



の声で我に返る。
を見ると心配そうな顔をしてこちらを見上げていた。
悟られてはならぬ、と視線をから逸らす。



「いや、大事無い…いつ、この雨が止むのだろうかと思ったのだ」



平静を装い、空を見上げた。
は敏い。
気づかれただろうか、そんなことは一切考えていなかったということに。
だが、それは杞憂だったらしい。



「そうですね、まだ暫く止みそうにないですけど…早く止むといいですね」



そう相槌を打つに視線を落とすと、眉尻を下げ空を見上げていた。
今一度、空を見上げる。



「まったく、そうであるな」



そう返しつつも、まだ止まずとも良いと願う自分にどうしようもないと呆れた。
額をまた、滴が伝う。
布をそこへ押し当てた。
自分のこの早まる鼓動も止みそうにないと、小さく息を吐き出した。


















⇒おわり



ぼやき(反転してください)


雰囲気だけでも伝われば、幸いです。
連載と関係あるか無いかは、ご想像にお任せします。

2018.07.06



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