雨 ― 満寵の場合 ― 「うわ…、頭のてっぺんから足の先までびしょ濡れだわ…」 「私もだ。しかし、これはまいったな…いや、雨宿りできただけでもいい方と考えるべきか」 街道を少し外れたところに位置する落葉樹の下、額を流れる水を払いながら私は辺りを見回す。 雲が急激に降り始めたころから降られるだろうとは思っていたが、まさかここまで降られるとはね。 次の戦に備えてと周辺の地形の調査に出たのはいいけど、本当にこれはまいった。 雨に加えて霧まで濃くなってきたし…。 を見ると上衣の裾を絞って同じように辺りを見回している。 「山に囲まれてるからなんでしょうけど…心なしか霧が濃くなってきましたね…」 「ああ。下手に動くと道がわからなくなるな」 「はい。雨の降り方も激しいですし…暫く動けませんね」 言って、が裾を払う。 「うん。けど…これでこの辺りが兵を伏するのにはうってつけだってことが改めて分かったよ」 「そうですね。攻めるにしても守るにしても、地形に加え天候も上手く利用できれば優位に事を運べそうですね」 私を見上げてから、正面に視線を移して言うの横顔を私はただ見つめた。 こういう話が出来てしまうことに、ほんの少し寂しさと心苦しさを感じる。 慣れたようで慣れていない、と未だに自分に対して思う。 そのとき、が口元を両手で押さえたかと思うと、前触れも無しに小さくくしゃみをした。 初めて見たそれに、でもくしゃみをするのか、とおかしい話だが心のどこかで思った。 「大丈夫かい?雨に濡れたからね…寒い?」 「いえ、そういうんじゃなくて…急にむずっと来たもので。だいじょう…っ」 言い終わらないうちに、またも小さくくしゃみをする。 確かに、少し冷えるかな、と無意識に自分の腕をさすった。 「火を焚きたいけど、こうも湿気てると難しいな」 「大丈夫です、伯寧さん。ほんとにただ、鼻がむずっとしただけ………っ」 と三回目のくしゃみ。 私は思わず眉根を寄せた。 「とても大丈夫そうじゃないけど…濡れてるからこれを貸したところで、か」 自分の外衣(うわぎ)を掴んで視線を落とす。 否や、があわてた様子で言った。 「いえ、ほんとに寒いとかそういうんじゃないですから!あの、気にしないでください」 と言いつつ手を振ってはいるが、ちらりと見えた下腕が僅かに粟立っている。 実際、私も肌寒いとは思っているのだから、きっとも同じだろう。 そして多分、そこを指摘したところでは否定するに決まっている。 しかし、どちらにせよどうしたものだろう。 に風邪をひかせるわけにはいかないが、雨が激しすぎてここで火は焚けない。 かといって、周囲には雨を凌げそうな場所も見渡す限り、無い。 外衣は濡れている。 となると、思いつくのは一つしかない。 一つしかないが…。 と、無駄に緊張し始める自分に私は内心、首を横に振る。 別にやましいことを考えているわけでもなし、意識してどうするんだ。 気を取り直して、私はを見た。 は不思議そうな顔をして私を見上げている。 そんなに、笑いかけて言った。 「いいことを思いついた」 「いいこと?」 言って首をかしげるの腕を引き、抱きこむ。 「え、ちょっ…伯寧さん!?」 「これなら暖を取れるだろう?」 案の定、狼狽するの両腕―下腕―をとって、私はその腕を外衣の下から自分の背中の方へ回すように持ち上げた。 布越しにの手の体温が伝わる。 少し冷たかった。 の背に腕を回す。 小さく細い身体だと思った。 腕の中でが慌てて言う。 「私は寒くないから大丈夫ですっ…それに、その、こんなとこ人に見られでもしたら…!」 「元々人通りのほとんど無い所だから大丈夫だよ。それよりも、の手、結構冷たいけど」 「ひ、冷え性なんです。いつも通りです、問題ないです!」 言いながら離れようとするを私はさせまいと押さえ込む。 見下ろした先に見えるの耳は、その先まで赤い。 それでも尚、必死に抵抗するが堪らなく愛らしいと思った。 結構これはまずいかも…。 「伯寧さん、聞いてますか!?」 が私を見上げて言う。 その距離感に、自分がこの状況を作っておきながら内心戸惑う。 だが、そこは平常心で。 意識してしまったら、負けな気がする。 「の事情は分かったよ。けど、実の所ちょっと寒いな、と思ってるんだ」 「…伯寧さんが、ですか?」 「ああ」 「…そういうこと……に、なりますか?これ…?」 離れようとするのは止めたみたいだったが、背中に回るの手にほんの少し力がこもる。 俯いて考え込むに言った。 「そういうことにしてくれないかな?駄目?」 こちらを見上げたは視線を逸らしてから、また俯く。 「それ…断れないの、分かっててしてますよね…?」 「そんなことはない、次第だよ」 とは言いつつ、きっとは断らない…いや、断れないだろうな、と思う。 暫く沈黙する。 腕の中で、が身じろぐ。 肩に流れる束ねた髪を目で追うと、更に真っ赤になった耳が見えた。 が手を握りこんだのが背から伝わる。 既に肌寒いという感覚は和らいでいた。 「…他に代替案を思いつかなかったので……雨…弱くなるまでなら…」 雨音にかき消されそうなほど小さな声のそれに、私は腕に少しだけ力をこめる。 「ありがとう」 「…いえ……」 身を屈めると、仄かに香の香りがした。 こちらこそ、と消え入るような声に私は聞こえないふりをして口元を緩めた。 ⇒おわり ぼやき(反転してください) 思いつきと勢いで。 風邪を感冒表記しようかと思いましたが…。 そういえば既に連載の方で風邪って言わせてたわと思い出し深く考えるのをやめました。 2018.07.06 ![]() |
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