「」
― 悪作劇的精随 ―
「いないのか?!」
言って、俺は勢いよくその戸をあけた。
すぱんと音を立てて戸が開けば、そこから漏れ出すのは火鉢により温められた暖気と…
「――…」
心地よさそうな、娘の寝息である。
その娘とは、そう、のことなのだが。
敷居を跨いで、戸を後ろ手で閉めつつ中に入る。
火の爆ぜる音がした。
さして足音を意識することも無く、普段と変わらず床を鳴らしてその近くに歩み寄る。
正座はしているが、しかし、普段の彼女らしからず、今は書桌に肩肘を乗せ、頬杖をつく形で寝息を立てていた。
「(だから、あれ程睡眠をとれと言ったのに、全くこいつは…)」
どうやら、未だ執務の途中のようで、書桌には他に書きかけの竹簡と筆、硯が置いてある。
実は言伝を預かってここにきたのだが、何となくこの安らかな寝顔を起こしてしまうのも可愛そうな気がして、勝手に目が覚めるまでこのままにしておこうと思った。
しかしそれは理由の半分に過ぎず、もう半分は人の言葉を常から聞いていなかった罰と一度の呼びかけで起きなかったことへの罰だ。
彼女が目が覚めた後どんな反応をするか容易に想像できたが、それが実際自分の目の前で起きたならきっともっと面白いだろうと、そんな意地の悪いことを考えつつ、俺はの寝顔がもっとも見えやすい位置に腰を下ろして壁に背を預けた。
「ん…」
ぱちりと、一層大きく火が爆ぜた直後、長い居眠りをしていたが身じろぎをして目を覚ました。
まだ、寝ぼけているようで、焦点の定まらないに、俺は声をかける。
「漸くお目覚めか?」
そう言えば、彼女はがばりと身体を起こして目を点にする。
そして、口をパクパクさせながら、漸く声を発したのだ。
「ほ、奉孝様!?な、何故ここに…!?」
思っていた通りの反応をしたに、俺は口元に笑みを作りながら皮肉めいた言葉を吐く。
「の阿呆面を拝みに。よーく眠っていたぞ、涎を垂らしながら気持ちよさそうに」
それを聞いて、は慌てて口元を拭ったり、おさえたり、竹簡を確認したり。
その慌てふためいた様といったら、何とも情けないものだったがその行動の主がであるならば、可愛いものだった。
いつまでも慌てているものだから、何となく申し訳なくなって救い舟を出す。
ま、自分で水の中へ落としてやったんだが。
「嘘だ。阿呆面は本当だけどな」
「〜〜〜――酷いです…!!」
そう言ってはこちらをねめつけて来るのだが、正直彼女にいくら睨まれようとも怖くもなんとも無い。
ことに、その上目遣いなど可愛さ余りあるほどだ。
「本当のことを言ったまでだ。それに…」
俺は身体を起こしてに近寄る。
書桌に手をついてその顔を覗き込むと当初の目的を言ってやった。
「実は主公から言伝を預かっていてな。
”今すぐ俺の元に来い”だそうだ」
それを聞くと、は再び目を点にする。
そして、視線を泳がせながら問い返した。
「ほ、奉孝様…?あの、お聞きいたしますが、私どのくらい寝てましたか…?」
その問いに、俺はの目を見て言う。
「一刻半程」
そう笑顔で教えてやるとは凄い勢いで立ち上がる。
「もう!どうして早く起こしてくれなかったんですか!!主公をお待たせするなんて…!!」
そう言って火鉢の火を消しながら戸に向かうの細い手首を俺は掴んだ。
思わぬところからの力を受けて、の歩が止まる。
こちらを振り向いた。
「な、何ですか?」
半泣きの状態で聞いてくるに、俺は高鳴る鼓動を抑えながら答える。
ここからが本番なのだから。
「…なんだ、その俺も起こさないのは悪かった、だから咎めを一緒に受けてやる」
「奉孝様…」
そう言って、今にも感謝の辞を述べそうな彼女にもうひとつ付け加えて言ってやった。
「明日な」
「あ、明日?」
俺の言葉にが今度はきょとんとして疑問符を浮かべる。
俺は続けて言う。
「そう、明日。ここ最近、我等が殿はずっと執務室に篭っておいでだ。そこで今日は、たまには俺が城下を案内してやろうと思ってな。行くぞ」
そういい終わらせば、有無を言わさず、の手を引っ張ってそのまま回廊を主公の部屋に続く方向とは逆に進む。
が焦るのは当然といえば当然なわけで。
「ま、待って下さい!そんなことしたら、大変ですよ!!主公の言葉を無視するような、そんな事…!!」
「心配するな。のことになったら、主公にもどんな言い訳だって通用するさ。さて、まずは何処へ行こうか」
勝手に話を進める俺には手を引かれながら後ろで何事か叫んでいる。
恐らく主公のことだ、これを見越して何か俺自身に良からぬ事を仕掛けてくるだろうが、こいつが疲れて元気がないことに比べたら何の問題もない。
それに何より、どんな形であれ、自分の思い人が他の男と一緒にいるというのは癪だしな。
それは、主公も例外じゃない。
兎も角今は、この仕事一辺倒で真面目なお姫様の顔に元気な笑顔を戻すことだけ考えよう。
数日そこにあり続けた隈は、どうやら大分消えたようだから。
そうだ、まずは
「茶館に行こう、新しく出来たところがある」
小腹も空く時分だから名案だろう。
気分転換にも丁度いい。
その後はそうだな、書を求めに行くのもいいかもしれない。
「奉孝様!せめて誰かに言い残しておかないと…!」
「それでは意味がないだろ、阿呆か」
「奉孝様!!」
「何も聞こえないぞ」
俺は諦めの悪いを連れて宮城の門を出た。
清清しく晴れた空も今日という日にぴったりじゃないか。
明日の宮城は雷雨かもしれないが。
おわり
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