戯家の愚人 ― 微笑ミノ軍師 ―


























「賊軍の、討伐…ですか?」



曹操に呼び出された戯は、開口一番、賊軍の討伐へ赴けと告げられた。
部屋には戯が来るまで話し合っていたのか、夏侯惇、郭嘉、許の姿。

夏季に入ったこの時期は雨が多くじめじめとして過しにくいことこの上ない。
この日は雨こそ降っていないが、やはり空気は湿って重たかった。
窓ははめ殺しの格子窓であるので、開け放たなくても自然風通しは良いのだが、ここまでくると、部屋の扉まで開け放ってしまいたいぐらいである。




さておき、その扉を背にする戯に、浴びせられた視線とともに投げられたその曹操の通達は戯にとって半分は矢張りと言う確信を、もう半分は思いもよらないというある一種の疑問をもたらした。

「なんだ、その反応は。のことだから、既に先読みしていたと思ったのだが」


そう告げる曹操の顔はこれは予想外だったと言う顔だ。
の目の前に広がる、大きな机の反対側の椅子に腰掛ける曹操はそこから若干前かがみになって戯の顔を伺う。

「いえ、討伐はそろそろ行うだろうと…そうではなく、他に適任者がいるのではと…」

「俺にしてみればが一番の適任者だが?」




机に肘をつき、組んだ手の甲に顎をのせて戯を見やる。
未だ納得しきれていないと言う顔の戯に曹操が手を机上に下ろして再び口を開いた。

「そういうことだから、そなたには一軍の指揮を執ってもらうぞ。既に最低限の準備はしてある。但し、兵数はまだこちらで決めておらぬから、の判断で好きなだけ連れて行くがいい」


他の者は既に了承済みなのだろう、下された本人だけがただ驚く。
口を開く間も無く、再び曹操が言葉を発する。

「補佐は…」
「主公、お呼び頂いたようで」

「おお、丁度良い所に来たか」


曹操が全てを言う前に、戯の後方、扉の外側から声がかかる。
それに曹操が顔を上げて笑みを作った。
すかさず、入れと外の人物に向けて言う。
は身体を右に寄せて扉から少し離れると、その扉に目をやった。
程なく扉が開く。
外の光とともに現れたのは、その先に見える重たい空とは対照的に明るい笑顔をその顔に貼り付けた荀攸だった。

その荀攸が数歩前に出て部屋の中へと入る。
扉はその両脇を固めていた兵によって静かに閉められた。
が荀攸から視線を外して曹操に向ける。



「主公、まさか、補佐というのは…」

「そうだ、わかっているじゃないか。…公達」





そう言って戯に向けていた視線を荀攸に向ける。

「はい」

「そなたには、賊討伐の軍へ加わってもらう。指揮官はそこにいるだ。補佐を務めよ、良いな」

「承知仕りました」




そう答えた荀攸の横で戯はただ、驚くばかり。
笑顔の曹操に荀攸が口を開く。

「…しかし、良いのですか?私などが補佐で…他に適任者が居られたのでは?」



そう、戯と曹操の顔を見比べつつ、ちらりと郭嘉の方へ視線をやってから言った。
曹操が眉根を寄せて荀攸を見やる。


「なんだ、そなたも同じ事を言うのか。全く、呆れた二人だ」



その言葉に荀攸が弾かれたように右横に待機する戯へ視線を向けた。
はと言えば、目を閉じて口をへの字に曲げていた。


「まあ良いわ。準備が整い次第即刻出立せよ」

「「は」」


返事をしてくるりと踵を返す二人に曹操から待ての声。
二人同時に振り向く。


「公達にはもうひとつ伝えておくことがある。残れ」

「はい」

「では、私は先に行っております」



は荀攸にそう言い残すと一度頭を下げて退出する。
回廊を歩調を速めて進む戯の脳内では既にこれから始まる戦のありとあらゆる計算が始まっていた。






































荀攸が初めて目にした、その鎧姿の戯への第一印象は純粋なる疑問。


       ”なぜ女性なのだろう”




その一言だった。
別に特に深い意味は無いのだ、ただ本当に純粋に荀攸はそう思った。

その凛々しい姿はこの荒れた漢王朝の下手な将軍よりもずっと将軍らしく見える。
当然、戯は将軍ではないのだがそれをそうと思わせない雰囲気があるのだ(しかし、軍を任せるにあたり都尉につけたと曹操に聞いていた)
また手綱を握る姿は粛然として、そして息を呑むほどの美しさがあった。
容姿がとかではなく、その姿そのものがである。



そして、その印象を決定的にする今回の討伐にあたっての作戦。
もとより口を出すつもりなど無かったが、仮にそうであったとしても口の出しようの無い、相手の特性そして地の利を生かした上等の作戦だった。



内心舌を巻きながら荀攸は、自分よりも少し前を行く戯の背を見つめた。
今は数人の兵をやって現在の賊軍の状況を探らせている。
報告次第では作戦の変更もあり得るが、それでも戯ならばきっと問題なく事が進むのではないかと荀攸は思っていた。





































「軍師殿は暑くないのですか?」


そういいながら戯は前を気にしつつも左後方に視線をやった。
何か考え事をしていたのか、下を向いていた荀攸が顔を上げて一瞬目を見開いたが、しかし直ぐにその表情が笑顔に変わる。


「ええ、暑いですとも。出来れば鎧を脱いでしまいたいぐらいです」

だが、そういう荀攸の顔からは全く”暑い”という感じが伝わってこない。
思わず肩眉を下げて言う。

「そうおっしゃるわりに、あまり暑いという感じが伝わってこないのですが…」


同時に馬の歩調を少し緩め荀攸の横に並んだ。
そんな戯を見てやはり表情を変えずに荀攸が、よく言われます、と一言。
そうですか、と苦笑交じりに言いつつ心の中で、だろうなと呟く。


視線を上げれば雨が降るのか降らないのか、判断のつけ難い重たい空がずっと広がっている。
じめじめとした湿気は逆に埃の舞う空気を洗い流して目に映る新緑を一層鮮やかなものにしていた。

「そういえば、この様に殿と話をするのははじめてですね」



荀攸がそう言って戯へ顔を向ける。

「それもそうですね、今まで執務での用以外ではろくに言葉を交わすこともなかったですし」


自分の記憶を引っ張り出してそう答えた。
実際、その通りだったし顔をあわせることは何度もあったが、そこには本人達にも不思議なぐらい会話という会話は存在しなかった。
ただ、このいつもほわほわとした笑顔を振りまく軍師と話をしてみたいと思っていたのも事実で。

頷くと、再び荀攸が口を開く。

「どうですか?此度は。緊張などしていませんか?」


その問いに戯は視線を空にやりながら考えるような仕草をすると答えた。

「…全くしていない、といえば嘘になりますが其れ程までにはしておりません。落ち着いてはいられますし、丁度良い程度、というところでしょうか」

それを聞いて荀攸が満面の笑みを作る。


「それは結構。流石は殿、肝が据わっておられる。私などは毎回が緊張でどうにも好くない。殿の様な方が指揮官であればこちらも安心できるというものです」

その言葉に眉尻を下げる戯


「何をおっしゃるのですか、軍師殿ともあろうお方が。経験豊富な軍師殿が補佐を勤めて下さるからこそ私もこうしていられるのですよ。それに優秀な兵士達もついている、これほどに心強いことはありません。これに応えようと思えば、緊張など何処へとも消えてしまいましょう」




言って戯が微笑む。
荀攸もまた微笑んで一度首を横に振ると


「いやいや、私などがお役に立てるかはわかりませぬが、おっしゃるとおりで。主公へ快い報告ができるよう、頑張りましょうぞ」


そう言って戯にささやかな激励を送った。
その言葉に戯が苦笑をもらす。

「ご謙遜を。ですが、期待には応えねばなりませんね。皆で頑張りましょう」

ちらりと後ろを振り向くと戯もまた激励の言葉を口にした。



































賊兵100人ほどの軍が根城にしているという場所まで数里程度にある木々の密集する小さな山に戯率いる歩兵200人の小さな軍は一時身を潜めていた。
その少し前、丁度偵察に出ていた兵士二人と合流する。

そして聞かされた新たな情報。
それによって大幅に変更された作戦。
その内容に思わず荀攸は言葉をなくした。


それもその筈、軍を指揮する戯本人が敵の只中に乗り込むというものであったのだから。
話は少し前に遡る――







―― 偵察の兵士から今日日が暮れるその時にここから然程遠くない場所にある小さな集落に賊軍が乗り込むという情報を聞いたのは日が南中を過ぎて間もないころのこと。

その情報は、その集落に住む住人から直接聞いた話だという。
どうやら、無条件に搾取にはいるのではなくその集落の女という女を寄越せば命だけは助けてやる、というものらしい。


聞く限りそれが本当であるはずが無いのだが、当の本人達にとってはそれでも信じて、僅かな可能性に望みをかけたいというのが実際だろう。
結局その条件を飲んだということだ。
そんな報告を聞いて暫く考えるように顎に手を置いていた戯がふいに顔を上げると誰とも無く問うた。


「確か、賊軍を率いる者の名は、韓平達と言いましたね」

「はい。ご存知の通り、間違いありません。その者がどうかしましたか?」


荀攸がそう疑問符を浮かべて答える。
再び戯が言った。






「ならば作戦を変えましょう」





と。

どのように、と荀攸が答える。
が僅かに笑みを浮かべた。

そして、手頃な枝を一本近場から拾い上げると地面ににすらすらとなにやら描き始める。
同時に説明を始めた。


「まず軍を二つに分けます。片方が50、片方が150です。次に50をこのままここへ駐屯させ、残りの150はその集落周辺まで向かいます。確かその集落の周りは林に囲まれていた筈です、そうですね?」

「はい」


の問いに偵察に出ていた兵士のうち一人が頷く。
それを見て戯もまたひとつ首を縦に振ると一度荀攸を見やり、そして再び地面に視線を戻した。


「このまま150はこの周辺の林に潜ませます。一方で私がその集落の女たちに混ざり現れた賊の頭を迎え撃つ。他に2名を連れて行きますから、その2名は集落の男に扮し、私の合図を伏せた150の伏兵に伝えて頂きます。そして、150の伏兵はその合図と同時に集落を包囲、賊を抑える。50の方も合図を確認次第、賊の本拠を包囲し残りを捕らえます。後はそのまま城へ戻る。この様な作戦ですが如何ですか?」



荀攸に戯は視線を送る。
荀攸は一瞬戸惑ったが、しかしすぐさま血相を変えていった。


「ご、ご冗談を!指揮官が自ら危険に飛び込むなど…!第一、賊の頭がのこのこ現れると言う保証はないのですぞ。その様な考えに至った根拠をお教えください!」


一方、戯は落ち着き払った口調で話し始める。


「いいでしょう。先ず、この賊を率いる韓平達という男は、私の顔見知りです。何度か付き合いがあります。彼は、人をまとめる能力と達者な口を持ちながら、その実臆病で詰めが甘く、おまけに欲深い。大胆な行動をとることがありますが、それは見栄によるもので不利だと気づけば直ぐに掌を返します。実際物事に考えをめぐらしはしますが、それは上辺だけで本心にまでは至りません。そういう男です。…この集落へは絶対に己自ら足を運ぶでしょう。欲しいものは自分の手で直接どうにかしないと気がすまない男ですからね。そうなれば後は簡単。捕らえてしまえば何も出来ません。脅せば、下についている者たちへの投降も自ら促すでしょう。相手の力量は充分承知です。他に補佐として機能しているものもいない様ですし、まず見抜かれることはありません。それから、本拠には恐らく残しても10名程度しか賊兵はいない筈ですよ。あ、それと当然女の格好をして混ざるので私だと気づかれることもないでしょう。自分でも言うのもなんですが、当時と今では変化がありすぎますからね。とりあえず化粧もしますし」


あまりに落ち着いていうので、荀攸は逆に面食らって目をぱちくりとしながら口を噤んだ。
そして、暫く難しい顔をしていたが、ふと僅かに笑みを浮かべると口を開く。

「―・・・わかりました、都尉殿に従いましょう。それで、それぞれへの指示はどう致しますか?」


それに戯は礼を述べる。

「ありがとうございます。では、まず150の指揮は軍師殿にお任せします、50の方はすみませんが軍師殿の方から一人選出して指示を出していただけますか?この後直ぐに起って準備を進めたいので。私と共に行く2人はあなたたちにお願いします」

荀攸が笑顔のまま頷いた。
に視線を投げられた偵察兵の2人も拱手して頷く。


「わかりました、それらは責任を持ってお引き受けしましょう。ところで、包囲を開始する際の合図はどうしますしょう?火矢か何かを?」


再び戯が荀攸に視線を戻す。

「いえ、それは事前に民家に一人を潜ませ火を焚かせます。その煙を合図に包囲を開始してください。白煙を用いますので日が暮れれば確認できるかと。陽が完全に落ちるまではこちらで時間を稼ぎますから」

「では、早速準備に取り掛かりましょう」



荀攸は戯の指示を最後まで聞くと、再び大きく頷いてそう次を促す。
もまた、荀攸を見やり頷きながらお願いしますと一言。
そして、次の瞬間には共に居た2人の偵察兵を引き連れて問題の集落へと向かった。


――これが先までのいきさつである。
荀攸は自分の担当の準備を整えると、集落周辺へ潜む為賊にばれぬ様、多少遠回りをしながらの行軍を開始した。
相変わらずの重たい空。
日暮れ時まで2刻半ほどをのこしていた。


































「ここの村長がこの計画を快く承諾してくださる方で助かりました。ところで、貴方達の方は準備できましたか?」


集落の女たちに混ざる為、その集落の長―村長―に女物の服を借りて簡単な化粧を済ませた戯が何かを―恐らく準備完了の―報告に来たこれまた集落の男に扮している兵士2人に気づいて振り向いた。
その姿を見て作戦の実行の為緊張した面持ちで待機していた2人の兵士がその顔を驚きに変えて固まる。


それもその筈、雰囲気を変えるために化粧を施した戯のその顔は普段の青年と間違えられる顔とは一変、美人というより多少幼さを残した少女といっても過言ではない可愛らしいそれに。

そして不幸にも歳若くして病で亡くなってしまったという村長の娘の残っていた服―手拭いを使って主に胸に詰め物まで施したようである―を借りればもうどこからどう見たって完璧な女性―少女?―である。


男ならば余程の変わり者で無い限り、なんとかして自分のものにしたいと思えるほどの。
だからその余りの変わり様と吃驚するほどの可愛らしさに2人がある一種の緊張で固まってしまうというのも仕方が無かった。
そんなこととは露知らず、戯はそんな2人に気づいて若干不安な表情を見せながら眉根を寄せた。


「どうしましたか?何か問題でも?それとも私のこの格好は似合いませんでしたか…?」



上目がちに、後者だとすると困ったなと戯は頭の中で思いながら2人の反応を伺う。
しかし、2人はすぐさま手を、首を横に振るとどちらともなく、いや同時に口を開いた。

「「い、いえよくお似合いです!全く問題ありません!こちらも最終確認共に完了いたしました…!」」



見事に重なったその言葉に戯は面食らう。
額には汗を浮かばせて。

「そ、そうですか。それならば結構。日暮れまであと半刻ほどですから、それまでは大人しく待ちましょう」



最後の方は笑顔を浮かべて微笑む。
瞬間一気に兵士2人の顔が赤く染まった。
その理由を戯は知らないし、後に軍内で語り継がれることになるということも知る由も無い。


































暗い空が一層暗くなる。
太陽はその雲に遮られて確認することが出来ないが、もしこの雲がなかったのなら空は綺麗な夕焼けに染まっていただろう。


は人払いをした小さな民家の中から外を伺うと身構えた。
立ち向かいの民家の影に隠れる兵の内の1人に目配せをする。
程なく帰ってきた視線と確認できた首を縦に一つ振る動作。
もう1人は別の民家に潜んでいた。


この兵が戯からの合図を民家に潜む1人に伝え、それを確認次第釜で火を焚くことになっている。
その後のことは公達殿に任せれば良い彼なら大丈夫だろう、と視線を集落の入り口方向に戻してひとつ深呼吸をしたその時だ。



俄かに聞こえる罵声と蹄の音。
恐らく2,3頭だ。
後から駆け足の様な砂を蹴る音が聞こえる。
そっと縦格子のついた窓から外を見やると馬に跨る身体のでかい男が目に入った。


「いいか、てめえら。俺が良いというまで手を出すんじゃねえぞ!」
「「「「へい」」」」




その男こそが韓平達。
声を大にして叫んだ言葉に、後ろについている数十名の男たちが声をそろえて承諾する。
多少数が少ないのは恐らく集落の出入り口に見張りと称して置いてきているからであろう。
静まる集落に再び大きな声が響く。


「村長!どこにいる!!出て来い!約束どおり来てやったぞ!!」




両脇に同じく馬に跨りながら2人の賊がニヤニヤとお互い顔を見合わせて笑う。
立ち向かいの戯から見て右側、平達が馬に跨るその場所にほど近い民家から村長が姿を現した。

「こ、ここにおりますとも…」
「村長、久しぶりだなあ。単刀直入に聞くがな、女どもはどうした?いねえじゃねえか。準備しておけと言っておいた筈だよなあ?女どもを渡さねえんじゃ、約束どおりここのやつらは皆殺しだ」




自分の目の前に現れた村長に平達が馬の上から言い放つ。
平達の右側に居た男が徐に下馬すると腰に佩いた剣を抜いて村長に突きつけた。


「あ、あちらにいます。い、い、今ここへ「早くしろ!」




剣を突きつける男が声を張り上げる。
はそのやりとりを盗み見ながら心の中で村長に謝った。
程なくして、戯の立ち向かいの民家から集落の女たちがぞろぞろと出てくる。
20名〜30名といったところか。
それを確認して平達が下馬する。
左側にいた男も同時に下馬した。


「ほう、これで全部か?」
「は、はい」




その言葉を聞いて平達は女たちに歩み寄りながらしげしげとその顔を観察する。
そして満足そうに笑みを浮かべると村長に剣を突きつけていた男に何事か顎をくいっと突きつけて合図を送った。
男は一つうなずく。


「約束どおりおまえらは助けてやる。とっととうせろ!」




言って村長を蹴り飛ばした。
すかさず、戯が身を潜める兵に目配せすると頷いて村長を民家の中へと保護する。
賊の男が怒鳴り散らしていたが、騒動にはならずに済んだようだ。
その一部始終を平達は見届けると後ろを振り向いて部下達に声を張り上げる。



「よーしてめえら、女どもを…ん?」

が、一瞬変化に気づいて目を凝らす。
ふと目に入った窓の向こう民家の中で何かが動くのを発見したのだ。
すかさず傍らの男に声をかける。


「おい、誰かにあの家の中を調べさせろ」

「へい」




男が返事をすると、後ろに付き従っていた男のうち2名に指示を出し、問題の民家に向かわせる。
ものを壊す音が響いたかと思うと同時に女の声。
ほどなくして、中から控えめな表情が印象的な1人の少女がその両腕を2人の男に強引に引っ張られながら出てきた。


「や、止めてください…!離して!」


そう高めの声音で叫ぶそれは紛れも無く戯なのであるが、作戦実行の為演技中なのである。
ここからが本番戦であった。






























「ほう、これはこれは…」


平達が出てきたその人物に方眉を上げて感嘆の声を漏らす。
顎に手を当ててまじまじと舐めるようにその姿を観察していた。
目の前の少女はただ弱弱しく震えながら怯えた目で上目遣いに平達を見つめる。
平達の片方の口角がつい、と上げられた。


「お嬢ちゃん、あんなところで何をしていたのかな?ん?」

「あ、あの私、ここに親戚のおじさんがいて、それで会いに…」



平達はふいに少女の両腕を掴んでいた男2人に目配せをして暗に離すように指示を出す。
途端、少女は支えを失ってか、力が抜けたようにぺたんと両腕をついて地面に座り込んだ。

「そうか、そうか。おじさんに会いに来たのか。それで会えたのか?」

首を横に振る少女。


「それは残念だったなあ。だが安心しろ、これからはこの俺がたっぷりと可愛がってやるからな、その後ろの女たちと一緒に俺たち全員でな」



嘲笑うかのような表情。
少女の顔が青ざめたものに変わる。

「そんな…!お、お願いします!どうか村の人たちには手を出さないでください!皆良い人たちなんです…!!」


平達の足にすがりついて必死に叫ぶ。
空はもう殆ど暗く、ここまでくれば完全に暗くなってしまうのも時間の問題だった。
顔を手で覆いながら俯く少女を平達は見下ろしていう。


「じゃあ変わりにお嬢ちゃんが俺の言うとおりに従うか?」



弾かれたように顔を上げる少女。


「は、はい!何でも言う事を聞きます!だから、村の人たちには手を出さないで下さい!」

「健気だねえ。だが、俺の相手は務まっても、後ろのやつら全員は流石に無理だろう。そういうわけだから、女たちは連れてくぜ。…おい」



顎をしゃくって少女の後ろの方でお互い手を握り合いながら固まる女たちを連れて行くように指示を出す平達。
それでも尚少女はその足にすがりつく。
ふいに平達が方膝をついて少女に手を伸ばした。
顎を掴んで無理矢理に上を向かせる。


「諦めな。あまりしつこいと酷い目にあうぜ」





途端、勢いよく突き放した。
少女は堪らず後ろに倒れこみ、地面に手を付く。
すっかり暗くなり、辺りはそれぞれの輪郭が確認できるのみだ。
平達がふと何かに気づいて自分の後方の空を見上げる。


見えたのは細く立ち昇る白い煙。
この暗い中でも、それは確かにくっきりと確認できた。
立ち昇り始めてからどうやら暫く経っている様だ。



「煙…メシ炊きの煙か?さっきからする妙な匂いはこれだったか。ふん、のんきな野郎どもだぜ。これから死ぬってのによ」

その呟きに地面に尻をつく少女が勢いよく顔を上げる。


「死ぬって…それじゃ約束が「そんなもんした覚えはねえな」



言って高笑いをする。
そこから少し離れた所では平達に付き従っていた男の1人が松明を用意しろと他のものに指示を出していた。
尚も高笑いをし続ける平達。
その平達が少女に背を向けた瞬間、その場が一変した。































「のんきなのは貴様だ」







不意に聞こえたそれは今まで耳にしていた声とは全く質の違うもの。
平達は何事かと後ろを振り向く。
瞬間顔面に衝撃を食らって、思わず地面に倒れこんだ。



「「「「「「お頭!」」」」」」




反射的に賊の何人かが叫んだ。
周りの誰もが―影で見守っていた村長と偵察の兵士は別だったが―驚きを隠せない。
しかし先程までおどおどと控えめに話をしていた少女が行き成りどすの利いた声を発した挙句、跳び蹴りをして自分よりも遥かに身体のでかい男を地面に倒したのだ、無理も無かった。



不意に集落の女たちを誘導しようとしていた2人の賊が腰の剣を抜いて背を向ける少女、基戯に切りかかる。
それに気づいて戯は向かって左側の賊の、横に薙ぐ攻撃を身を低くしてかわすとその足を払って地面に倒した。
そして、右側の賊からの上から振り下ろす攻撃もまた、その振り下ろされた腕を掴むとそのまま勢いに任せて下に引き、地面に伏した賊の上に背負い投げた。
堪らず気を失う2人の仲間を見て他の賊達が一歩後ずさる。


そんな折、先程村長が入っていった民家の影から偵察の兵が現れて、狼狽する集落の女たちをその民家へ入るように誘導した。
同時に、戯へ剣を投げ渡す。
はそれを受け取ると、すらりと抜いて今まさに立ち上がろうとしていた平達の喉元へ突きつけた。



「動くな、少しでも動けば”お頭”の首が飛ぶぞ。貴様もだ、平達」




辺りを見渡しながら言い放ち、そして足元へ視線を移す。
自分を冷ややかに、威圧的に見下ろすその視線に平達は汗を浮かばせた。
丁度その時、遥か遠くから聞こえてくる声。


「お、お頭ー!大変です!…ああ!!」



血相を変えてやってきたその男は、自分がまの当たったその状況に一層顔色を変えて驚く。
挙句、その場に固まったかと思うと、腰を抜かして座り込んだ。
その並々ならぬ状況に平達が声を荒げて口を開く。


「なんだってんだおめえらは!なにもんだ!?」

「都からといえば、わかるかな?」



言い放たれた言葉に眉根を寄せる。

「ち、くそ漢軍か!」



その通りだと言わんばかりに戯がその顔を笑顔に変えた。
俄かに周囲に声があふれ出す。
どうやら、包囲を完了した兵たちが賊をまとめ始めたようだ。


うっすらと松明でか辺りに明かりが差す。
ふいに前方から数名の兵士の姿。
にまっすぐ向かってくる。
そして近くまで来ると片膝をついて拱手。
そのうちの1人が言った。



「軍師殿より、人手が足りぬ筈だろうと馳せ参じました、どうぞご指示を」

「ありがとう、助かります。では、この男に縄をかけてくれますか。残った者たちは賊から武器を取り上げ然る後、一箇所に集まるように誘導をお願いします」





部隊長らしい兵の言葉に戯がそう言葉を発する。
兵たちはそれを聞き届けると各々指示に従って動き始めた。


が平達の喉元から剣を離す。
直後、兵士2人が平達を立ち上がらせた。
平達が抵抗しながらも後ろを振り向いて戯に問う。



「おい、てめえ!てめえは誰だ!名を言え!」

「…まだわからないとは暢気なやつだ、ちょっと待て」




暫く考えた挙句そう答えると、戯は徐にくるりと背を向けて胸に詰めていた手ぬぐいを取り、顔の化粧を拭う。
そして、髪を一度下ろして懐に入れていた簪を一本出すとそれで頭のてっぺんに髪をぐるりと一巻き二巻きしたところへ差し込んで一つの団子を作った。

前髪を手ぐしで軽く整えながら後ろを振り向く。
途端、平達の顔色が一変した。



「て、てめえは!馬鹿な…!」

「貴様!なんという無礼な口を!」

「構いませんから、縄を」




あくまで落ち着き払う戯に兵士は素直に従うと、驚きを隠しきれない平達の両肩を掴んで引き立てる。

が、しかし、平達は最後のあがきとばかり、勢いよくその肩にかかる腕を振り解き、己の左にいた兵士には蹴りを、右にいた兵士には頭突きを喰らわしてその腰にしていた剣を引き抜き戯を振り向いた。


「覚悟しやがれ!」


そう叫んで身を低くしながら真っ直ぐに戯へと突っ込む。



「少しはその肝がマシになったみたいだ」




ぽつりと戯が呟く。
言い終えたと同時、目つきを変えて身を右の方へ僅かにかわすと、自分へ突き出された剣の柄を平達の握る手ごと左手で掴んだ。
直後、平達の側頭部に右の掌底突きを打ち込む。
途端、平達は脳を揺さぶられる振動に足元をふらつかせ剣の柄から手を離した。
後ろのめりに倒れる平達の右の二の腕を戯は保険代わりに手にした剣で軽く、しかし痛みで動かせない程度に切りつける。


地に伏せた平達を一瞥。
尻餅をついている兵に手を貸す。



「怪我はないですか?これで当分大丈夫だと思いますが、念のため気をつけてください」



それだけ言うと、くるりと身を翻して後方、集落の女たちが避難している民家へと歩み寄った。
戸や格子のはめられた窓から様子を伺っていた彼女達は自分達の所に近づいてくる戯を見て小さく黄色い歓声を上げながら奥へと引っ込む。


開きかけの戸を開けて戯が民家の中へと一歩入った。
既に火は灯されていたためそこは外よりもずっと明るい。



「我々の策のためとはいえ事前に何も伝えずその為に貴女方に怖い思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。詫びてどうこうなる事でもありませんが、この通りです」


「と、とんでもありません!逆に助けていただいたことに感謝しています!ありがとうございます…!」





女の1人がそう胸の前で手を合わせながら歓喜に満ちた声で話す。
その言葉に戯は笑顔で返した。

女たちの反応が一気に変わったのはきっといつものことだろうな、と戯は内心溜息をつく。
またか、と。


丁度そんな折、後方から声がかかった。
振り向けば、これまたいつもの笑みを浮かべた軍師の姿。



「軍師殿。そちらはもうお済ですか?」

「はい。賊達の本拠へ向かわせていた部隊からも今しがた、問題なく占拠したと報告がありました。捕らえた賊を引き連れてこちらへ向かっているとのことです」

「そうですか、それは良かった。では後は合流し都へ帰還するだけですね。主公へも良い報告が出来るでしょう」






それに荀攸は笑顔で頷く。
外はいつの間にか雨が降り出していた。































「報告ご苦労だった、公達。下がってよいぞ」

曹操からの指令の報告を終え、荀攸は部屋を後にする。
去り際の曹操の顔はこの上ない満足そうな笑顔。
まるで自分の欲しかったものを手にした子供のような。


荀攸はふっと口元を緩めると回廊を進む。
屋根を打つ雨音が辺りに響いていた。



赴く先は戯の執務室―といっても郭嘉と相部屋なのだが(そんな彼は今日は出仕していないらしい)―
恐らく今は報告書を作成しているところだろうが、それが終わり次第共に城下へ行こうと考えていた。
つい昨日、ともに都まで来たあの集落の者達の様子を伺いに。
それは彼らからの希望でもあったのだが、それよりも先に戯が移民の申し入れを曹操に早馬を飛ばして要請していたのだ。




この時勢では、余りにも危険だと。





しかし、そうは言っても知らない土地であることに変わりは無いわけで、暫くは気にかけておくべきだろう。
そんな訳でこの天気ではあったが様子を伺いに行こうと考えていた。

恐らく戯も同じことを考えているのはないかと荀攸は思っている。
それは、これから間も無く確信へと繋がるわけだが、今の荀攸には分からぬことであった。
また、その確信と同時に全くの予想外な言葉を受け取ることになると言うのも知らぬことであった。


微笑みの軍師、荀攸公達。
今日も微笑み振りまいて。



















つづく⇒




 いい訳とか↓(拍手有難う御座います・・・!!久しぶりの更新ですみません・・・



ガタガタですねニコ
自分でも何がしたかったのか分からない・・・
とりま、一緒に戦がしたかったんだと思いたいマテ
も、ノーコメントでお願いします←
いつも拍手有難う御座います・・・!!←礼が遅い

|