聊わくは与に娯しむ可し





    
戯家の愚人 ― 霙雨ニ変ワル刻・前 ―








『此度の戦、従軍せよ


そう戯が唐突に曹操から言われたのは、その出陣の二日前のことである。
あまりに唐突で、面食らったものだが既に曹操の方では準備をしていたらしく、有難くも馬まで頂戴した。
その馬は、以前強制的に押し付けられ、そしてまた強制的に返還した馬であったのだが。

未だ名もつけていないその馬に跨りながら、今目の前で、予想通り宛城が無血開城されようとしていた。
重い音を立てて鉄の大きな外城の門が開けられる。
の前には曹操が、そして左隣には典韋が後方には曹昂、曹安民、于禁らの将が兵を率いてその開かれる門を見つめていた。



荘厳な音を立てて門が開ききればその向こうには張繍とその配下たちが地に膝をつき平伏している。
曹操が軍を動かし、その数歩先で馬を止めた。


「出迎えご苦労。城まで案内してもらおうか」





馬上から言う曹操に、張繍が益々平伏し、そして宮城までの案内を始める(案内といっても直進すればいいのだが)
このとき、戯は張繍の後ろに侍ていた男と目が合った。
それは一瞬のことで向こうも気づいて軽く会釈をし、歩き出した張繍と共に宮城への案内を始めてしまったのだが。

その一瞬垣間見えた瞳は、未だ色を宿し、この降伏を受け入れているようには戯には見えなかった。
恐らく、あの男が張繍の軍師、賈詡文和という人物なのだろう。



「(この無血開城…もしかすると、化けるかもしれない)」



一抹の不安を抱きつつ、無事に許昌へ帰るまでは油断してはならないと戯は心に誓った。
空は美しすぎるほど広く晴れ渡り、一点の曇りもない。
しかし、徐々に赤紫が、それに続く闇が支配しつつあった。

































「おう!坊主ももっと飲め!さっきから全然杯が進んでないぞ!!」

そう言って右隣で死んでいる曹昂との間に割って入ってきたのは于禁だ。
酒に弱い彼はどうも于禁にやられたらしい。
于禁自体、酒は強い方ではなく、まぁそれなりで既に酔っているようなのだが、それと普段の性格が相まって恐ろしい連携攻撃?をしかけているようだった。
その向こう側にいる曹安民も、その攻撃を食らっていたのだが、彼は恐ろしいほどのザルであったのでどうやら回避できたらしい。

さておき、兎も角、今はその攻撃対象が戯に移ったわけで。
しかし、戯にはそんなことよりも、もっと気にかかる事があった。

張繍軍師、賈詡の動向である。
今は張繍筆頭にその将らも共に酒宴の席にいるのだが、やはり、賈詡の瞳には油断ならぬ何かが感じられた。
無論、感づかれないようにその動向を見張っているつもりだ。
于禁が”杯が進んでいない”というが、実は結構呑んでいたりするのだ(常に比べればずっと量は少ないが)

無理矢理すすめるその酒を戯は今し方空けた杯で受ける。
それを二、三度繰り返せば、益々于禁が陽気になってとどまることが無かった。
どうしたものかと、戯が眉根を寄せていると、曹安民が于禁に酒を注いで欲しいと、助け舟を出してくれたので会釈をして礼を述べる。
彼は構わないといった風に目配せをした。

最初はあんなに優しそうな、悪く言えば頼りなさそうな彼がまさかこれ程酒が強いなんて思いもしなかった。
初めて顔合わせを果たしたのは出陣の日の朝だ。
特に彼の人となりを知らなかったにせよ、矢張り人は見かけによらぬものだと。
曹昂の酒の弱さもまた然りである。




は席を立ち上がると、戸に向かって歩き出した。
酔い覚ましと称して城内の再確認である。

それを呼び止める一声。








一段高くなった、上座に座る曹操の声である。
その傍らには典韋が目を光らせていた。
立ち止まって振り向く。

「はい」


「めでたい席だというのに、華に欠けると思わぬか?」


あぁ、何か嫌な予感がする。
そう戯が思ったものも、もう遅い。





「舞を披露せよ」







予感的中である。
因みに、戯は仕官してから演舞というものを人前で行ったことは一度もない。
寧ろ、たしなみ程度に知っているぐらいで、人前で舞うなど、幼い頃に兄の前で数回披露して見せたぐらいであった。

若干の、嫌な汗をかきながら、即答する。
即ち、



    「はい」



と。
因みに今の服装といえば、袍であって、無論これも男物であった。
鎧は既に皆脱いでいたが、ただ見張りの兵や、典韋などは身につけていた。


華がないと言ったわりに、この何の変哲もない袍のままというのは未だ”華”にかける気はするが着替えるつもりなど毛頭ない。
また、曹操が直接そう口で言わなかったのだから別に構わないだろう
(ただ、目では訴えているようであったが、そこは気づいていないフリである)
宴席で舞えといわれて着替えてこなければいけない規則などないのだ。







両席の中央を歩み、そして立ち止まる。
両脇の席とは大分距離があった。
左手側に張繍、賈詡その他降伏の将らが確認できるが、その顔は訝しげであった。

ふと、曹操が脇に置いてあった己の剣を戯に向かって投げた。
それを戯は右手でいとも簡単に受け取ってみせる。



すると、曹操が詩を詠い始めた。
はその詩が何なのかを知っている。

詩経の溱洧(しんい)だ。
まさか、この席で歌垣の誘引詩を持ってくるとは…。
舞い終わった後の周りの反応が見物である、いや詩の最中の方が見ものか。
今でさえ、其れと気づいた文官たちの顔が引きつっている。

同じく、戯の嫌な汗も増していた。



「(全く、我が主君とはまた困った人だ…この降伏、快く張繍らが言い出したわけではないと分かっている癖に…)」

しかし、そんなことを思っても、どうしようも出来るはずもなく。
曹操の詩に合わせて、戯が舞い始めた。


















     溱と洧と     (まさ)渙渙(かんかん)たり
     士と女と     方に(かん)()

   女曰わく (みそぎ)せんか   士曰わく 既にせり
   (とも)に往きて観せん    洧の外は

   (まこと)()にして且つ楽し  (ここ)に士と女と
   (ここ)に其れ相謔(あいぎゃく)し     之に贈るに芍薬を以てす



     溱と洧と     劉として其れ清らなり
     士と女と     殷として其れ()てり

   女曰わく (みそぎ)せんか   士曰わく 既にせり
   (とも)に往きて観せん    洧の外は

   (まこと)()にして且つ楽し  (ここ)に士と女と
   (ここ)に其れ相謔(あいぎゃく)し     之に贈るに芍薬を以てす











袍の袖を翻して舞う。
顰め面で曹操の詩を聞いていた文官たちも戯の其れを見て段々と表情を和らげる。

詩の意を汲む舞であるのに、見ている人間に神聖さすら感じさせる舞。
不思議と見入ってしまう。
くるりと舞えば、周囲はただ息を呑む。


その詩にどんな裏の意があろうとただ、目の前の舞を見れば、それが神秘的なものに感じられる。
そうして、その場の空気さえ、神秘的なものに変えてゆく。
ただ、衣の翻る音と僅かに剣が空を切る音が響いていた。





















曹昂はただ、それに見入っていた。
視線を外すことができない。
視界の端に映る、従兄弟の安民と于禁もその様であった。

淡群青(うすぐんじょう)の衣の袖を翻しながら、その先の剣で弧を描き空を切る。
剣舞と称しながら、優雅なその舞は正にこの世のものではないと感じさせる。
何時かの様に心が高鳴る。

ふと、その先に座して詩を詠う父・曹操と目が合った。
孝廉に推挙されるまであまり、会う機会のなかった父。
に似た強い光をその瞳に秘める父。

何となく、自分の心を見透かされた気がして曹昂は思わず目を逸らした。





























例えば、音をつけるならぱさりと、その衣の袖が、裾が床に静かに落ち、広がる。
は剣を捧げる形で曹操の前に片膝をつく。

周囲が言葉をなくし未だ余韻に浸る中、曹操が口元に笑みを乗せて口を開く。



「流石は。この宴席に華を添える見事な舞だ。さぁ、諸将、諸官飲み直そうではないか」





その言葉で弾かれたように周囲のものがそれぞれ近いものと話を始める。
酒を勧めたり、戯の舞について感想を言い合ったり、曹操の詩の選択についてこっそりと批判しあったり、又戯の悪評と照らして勝手に評価しあったり。

上座の両端に控えていた兵の一人が、戯の剣を受け取り曹操の元に戻すべく場を動く。
曹操が戯に頭を上げるように告げるのと、兵が戯の元に来るのとはほぼ同時だった。
片膝をついた状態で戯は兵に剣を渡す。
曹操が戯に言った。


「そう固くなるなと言っているであろう、忘れたのか?。こちらに来て共に飲め」

は胸の前で拱いてそれに答える。

「覚えておりますが、公私のけじめはつけなければなりますまい。それから、私はとうに酔っております」

「嘘をつけ、酔ってなどいる筈がなかろう」

「いいえ、もう千鳥足で御座いますれば、酔い覚ましに席を外させていただきたく」


そこまで言うと、曹操は拗ねた兒童の様な表情をして、

「ならば、早く覚まして俺の酌の相手をしろ」

と、渋々承諾の意を示した。
は微笑みながら、はいと残し場を後にする。

それを賈詡は杯を傾けながら、横目で追っていた。
その胸中を、知る者は今は誰もいない。



   「(最も警戒すべきは、典韋と…愚、か)」


















つづく⇒




 いい訳とか↓(拍手下さり有難う御座います!)




  
とりあえず、中国の舞踏とかは全く知識ないので分かりません←
  調べたこともないのでどうしようもねぇ…
  そんでもって、やっぱり2部作以上になる今日この頃…。
  いや、私としてはまぁ、いいんだけど…大まかな流れ以外はゆきあたりbry
  今相応しくない表現が出ましたが、忘れてください←
  えーとどうでもいい願望を言うと、早く張遼とか龐徳とか陳羣とか劉曄とか曹植とか他にも色々出したいんですね(出しゃいいじゃん)
  禰衡とか出したかったんですけど彼、198年に殺されちゃうじゃないですか…!!
  あぁ、出そうと思えば出せそう…?かな…や、出せねぇよ(自己完結するなよ
  他にも魏陣営じゃない人とかも書きたいんですけどねー(短編でもやりゃいいじゃん
  願望を書き上げると切りが無い訳ですが…!!
  次で宛城を終わらせ…たいです←

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では!ここまで読んで下さり有難う御座いました!