― 天 色 ―























やれることはやった、そういう自負はあった。
それでも、どうしてもそう思わざるを得ない。



「戦局を見誤ったか…」



その言葉は喧騒にかき消された。
鉛のように重い空。
厚い雲に覆われ、地上は薄暗い。
しかし、砂埃の舞うこの近辺だけは、白っぽく霞んでいた。
部下や兵たちは皆逃がし、時間を稼ぐために囮になった。
負傷した者が多かった。
囮がどうしても必要だった。
それでも自分一人ならば抜け出せると、そう見込んでいた。
だが、そんなに甘くは無かったようだ。
これほどの敵兵がいるなどと、情報では無かった。
一点突破を狙いたくとも、兵の壁が厚すぎる。
愛馬も倒れた今、下手に強行すれば力尽き首を取られるのが関の山だ。
だが、いつまでもこうして睨んでいるわけにもいかない。
僅かににじる。
背後から数名の気配が動く。
身体が即座に反応して三、四名ほどの兵を薙ぎ飛ばした。
その時だった。
前方上方に飛び跳ねる栗毛の影。
一瞬、名のある敵将が、とうとう来たかと思った。
しかし、次の瞬間それは勘違いだったと知らされる。



「文則殿!」



宙に浮く影がみるみる大きくなる。
十三尺(約3メートル)ほど先に着地したその栗毛の背には、鮮やかな天色(あまいろ)を身に纏う声の主、の姿。
何が起きているのか考える暇がない。
ただ、瞬く間に目の前に現れたが右手を伸ばしているのだけは分かった。
すぐさま、自分もその右手に手を伸ばし、すかさず栗毛に飛び乗る。
その間たるや、瞬きさえも一度しか許されぬほどの、本当に短い時間だった。
兵の槍を振り払い、一気に駆け抜ける。
喧騒が背から遠ざかる―――。
辺りは相変わらず薄暗いが、視界は、もう霞んではいなかった。
代わりにの結い上げた髪が目に入った。



「なぜ、殿がここに?」



問うと、は視線を前に向けたまま答えた。



「副官から聞きました。”将軍が囮となって逃がしてくれた” ”上官命令で残ることは許されなかった”と。そこで、関係のない私が来た訳です」

「一人で、か?」

「文則殿がそれを言いますか?お気持ちは分かりますが、皆さん、見ていて可愛そうなぐらい心配されてましたよ……あの傷で動こうとしたので、私の判断で止めたのです。責めないであげて下さいね」



相変わらず痛い所をつく、と口を噤んだ。
自分よりもずっと小さい身体―同性では長身のようだが―なのに、その言動はいつも自分よりも大きかった。
不遜という訳ではないのだ。
敬意を表するほどに、そのあらゆるものがただ大きい。
そしてたまに辛辣だ。
それでもやはり相変わらず、右手を回したこの腰は力を込めればすぐに折れてしまいそうなほど、細い。



「…ところで、この馬はどうしたのだ?」



話題をかえようと、疑問に思っていたことを口にした。
の愛馬は栗毛ではない。
灰がかった黒に薄墨の斑が僅かに胴に入る、たてがみと尾が綺麗な黒色の青粕毛だ。
四肢の先にいくほど段々と黒が濃くなっていくのが特徴的だった。
これにもは、視線を向けずに答える。



「渡河を急いだので対岸に残してきました。この子は敵拠点から拝借した子です」

「そうか」

「それよりも、驚いたのは私の方です。まさか、文則殿が馬をなくされていたとは…」

「暫く前に事切れた」

「そうでしたか…どちらにせよ、相乗りに耐えられそうなこの子を選んでおいて正解でした。あの子も、文則殿が生きることを願うでしょう。一番、懐いていましたものね」



それには答えなかった。
頬を掠める風が僅かに湿っている。
木々の間を縫うように馬が走る。
持久力のある馬なのか二人を乗せて駆けていると言うのに、速度は一向に落ちなかった。
の”この子を選んだ”という言葉に納得した。



「この先に船を待たせてありますが、敵拠点もそれほど遠くはありません。もし一人でも人影を確認したら私たちを待たず、直ぐに船を出すよう伝えてありますので、急ぎましょう」

「すまない」

「何がですか?」

「手間を取らせた」

「それは無事に皆と合流できてからにしてください。それに謝るところじゃないですし、謝るなら副官たちにしてください」

「…すまない」



他に言葉が思い浮かぶこともなく、そう呟くとは”だから、違いますよ”と小さく笑って、その腰に回した右手に自分の右手をそっと重ねてきた。
その心遣いに何故か安堵して、の頭に自分の額を預け目を閉じた。
微かな柑橘と花の香りがほのかに香る。
は身じろぎひとつせず、そのまま馬を走らせた。













―――それから間もなく、水の匂いが川に近づいたことを知らせる。
馬を止め下りて数歩歩くと、眼前に水面が広がっていた。
少し先に船と漕ぎ手が一人見える。
周辺にはまだ誰も近づいてはいないようだ―少なくとも漕ぎ手が気づく範囲には、ではあるが―。
うしろを振り返りに視線を送ると、意を解したのかが小さく頷いた。
馬具を外し栗毛の首をが撫でる。



「お疲れさま、ありがとう。お前の好きな所へお行き」



はそう栗毛に話しかけ、後ろを振り向かせるとその臀部を叩いた。
駆けていく栗毛をひとしきり見送り、がこちらへ歩み寄る。



「行きましょう、文則殿。ここを渡りきれば、あともう一息です」



見上げてそう言ったは、言い切るや辺りをまた警戒して周囲を窺う。
そんな彼女を見て、危険を冒してまで助けに来てくれた彼女に感謝と、そして愛おしさが胸に溢れた。
時々、時を共に過ごすようになったのは、つい最近と言っても過言ではない。
それでも彼女が、が自分のことでここまで必死になってくれるというのが、こんなにも説明しがたい感情に見舞われるものなのか。
嬉しいと言う感情も、愛おしいと言う感情も、全てを通り越して言葉では表現が出来ない。
まったく不謹慎だとは思ったが、それでも不謹慎ながらどうしても衝動を抑えられず――。



殿」

「はい?」



振り向いた彼女の頬に唇を落した。



「続きは帰還したのちに」



言いながら上体を起こすと、そこには目をぱちくりとさせながら耳まで真っ赤になった
思わず口元が緩み、それを隠すように手で抑えた。



「船頭が待っている、行くぞ」



微動だにしないを抱き上げ船を目指す。
相変わらず、軽かった。
胸の中で我に返ったらしいが、こちらを見上げながら声を上げる。



「ぶ、文則殿!下ろしてください、自分で歩けます!」

「ここまで連れてきてもらった礼だ、遠慮は無用」

「そういうことは無事に合流できてから…」

「無論、帰還してからもしっかり礼をさせていただく」



それでも言葉を続けるを尻目に、船を目指して歩を進めた。
まだ敵地に居ると言うのに、不思議と焦りはもう無かった。
恐らくからは咎めを受けるだろうが、それもまた愛おしく思うことに代わりは無い。
空は暗いままだが天色を纏うが、今はただ清々しくも恋しい青空に見えた。



















おわり




ぼやき、とか。ヒロイン設定はこれ→|以降を反転で読めます。
設定読みたい方だけ、どうぞ。
@身分(?) A于禁との関係 B性格 が書いてあります。


勢いで書きました、すみません。
多分、川を渡った先のどっかの拠点で何かあったんでしょう←
自己満足です、すみません。
文章中の一尺は、約24センチで計算してます。
相変わらず、ときめかない文章ね……。





@将軍(多分)。
A于禁とは既に男女関係あり、但し割と最近。
B性格は冷静沈着、見た目は穏やかで聡明そうに見えるが、内面は意志剛健で頑固、結構マイペース。
必要以上の喜怒哀楽は表に出さないが于禁と二人だけの時は違うらしい。
軍規、規律に厳しいが于禁と比べたら融通はきく方。


ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
2018.02.17