― 夏ハ五月 朔日ノ 未ノ刻 ―






















「で、そこんとこどうなの?」




東屋の椅子に腰掛けて書を読む劉備に、柱に背を預けて欄干に三角座りをしながら、そう問う。
書から目をはなした劉備は、驚きもあらわに言った。



「何の話だ?」



そりゃそうだ。
だって私は、何の前触れもなく問うたのだから。


決して天気がいいとはいえない今にも降りだしそうな空の下、肌に冷たく当たる風を感じながら、そろそろ削らなくてはと長く伸びた爪を弄ぶ。
掌を見ると、戦場で戟を振るうその皮膚は思いの外、厚くなっていた。

それをぎゅっと握り締めて劉備に顔を向ける。



「だから、新しく迎えた若いお嫁さんのこと。どうなの?上手くいってるわけ?」



こちらに視線をやっていた劉備は少しだけ目を見開いて、だが直ぐにいつもの穏やかなそれに変える。




「ああ、尚香殿のことか。・・・自分で言うのも照れくさいが、彼女も私に好意を抱いてくれている様で、問題もなく上手くいっているよ。それが、どうかしたのか?」



幸せそうに答える劉備に、息を吐き出しながら口を開く。








「・・・別に」





さりげなく視線を外した。
池の鯉がぽちゃりと跳ねた。


「それよりも、お前はどうなのだ?誰か、好いものはいないのか?」


視線を戻すと、書は閉じられて
子の上に置かれていた。
こちらをまっすぐに見てくる劉備に同じく見返して、だが少しだけ早まる鼓動。


「何それ。その父親みたいな言い方」

何食わぬふりをして答えた。
いつもの調子で。






「よいではないか。私はの兄貴分なのだから。それに、雲長や翼徳も気にしていたぞ」

「だから、それは”兄貴分”じゃなくて、”父親”の言う言葉だってば」




呆れて目を伏せたが、件の二人のそう話す姿が容易に想像できて思わず目を開けた。
多分じゃなくても、眉間に皺がよっている。

こちらに向き直って座る劉備をちらりと見やると、腕を抱え顎に手をやりながら、何やら考えている様子だった。
私は盛大な溜息を吐いて、膝の上に顎を乗せる。


「子龍はどうだ?」

「何の話・・・?」


今度は私が問うた。
良い思いつきをしたと、笑みを浮かべる劉備がそれをこちらへ向ける。


の相手のことだ。子龍ならば申し分ないだろう?」


満面の笑み。
思わず、何度目かの溜息を吐いて顔を上げる。


「それは子龍に失礼でしょうが。それに子龍にはもういい人がいるんだってば――・・・



小さく声をあげて、しまったと思う。
だが、それはばっちり劉備の耳に届いていた。
劉備は驚きの顔も隠さずに、

「なんと、それは聞いていなかった!」



そりゃそうだ、と二度目の突っ込み。
だって、これは子龍直々に”主公には内緒だぞ”と件の現場を目撃してしまった時に、それはもう、肝が凍りつくような素敵な笑みで言われたのだから。

だがその約は、今この場で破られたのであって。

明日、その本人と出くわすのが何よりも恐ろしく感じた。
呂布と対峙した時より、曹操軍十万に追われた時より、湿気の多い夜、関羽の髯を寝ている間にこっそり編んで怒られた時より・・・いや、それはいい勝負かもしれないが、兎も角何よりも恐ろしい。


そんな、若干どうでもいい事を考え始めた時、その言葉はやけにはっきりと私の耳に入ってきた。















「ならば、誰か想い慕っている相手はいないのか?」















それは、私の顔をあげさせるには充分な言葉だった。
劉備を振り向く。
劉備はこちらを真っ直ぐに見ていた。
裏のない、何食わぬ顔をして。

私は一瞬躊躇って開きかけた口をきゅっと閉じた。



「どうした?いないのか?お前も良い年なのだから、好きな相手の一人や二人は居ても良いと思うが」



何知らぬ劉備の言葉に、私は閉じた口を開いた。


「そのぐらい・・・!私だっていますよーだ」


口を尖らせてそっぽを向いた。
そんな私に劉備が食いつく。


「ほう、それは誰だ?軍内の者か?」

「そんなことまで言えるわけないでしょ」

「何故だ?私との仲ではないか。雲長や翼徳ではないだろうし、子龍か?いや、孔明か?士元・・・ではないだろうな」


うんうんと唸る劉備を私は顰め面で見やる。

だから言える訳ないと言っているのに。
というより、そもそも・・・



「雲長や翼徳も既に妻子持ちだし、子龍はもう相手がいるし、孔明には月英さんがいるじゃない。士元は正体不明すぎて問題外よ」




そう言うと、劉備は端と気がついて、それもそうかと呟いた。
全く、と空を見やった。
だけど、劉備はまだ諦めていないようで、さっきから痛いほどの視線を感じる。

ふとそちらに顔だけ向けると、やっぱりこちらを真っ直ぐ見ていた。
再び高鳴る鼓動に気づかないふりをして、私は口を開く。



「そんな目で見ても絶対に言わないから。玄徳には特にね」



弾かれたように目を見開く劉備。
まるで捨てられた子犬のような表情で、そこには”何故?”の色。

私の視界にはそれと同時に、向こうからこの東屋に向かって歩いてくる尚香の姿。
そちらに少し意識を向ければ、どうやら劉備を捜してその字を呼んでいるようだ。


何故なのかと問う劉備に私は尚香を指して言う。


「ほら、お嫁さんが捜してるよ」



劉備が立ち上がって後ろを振り返る。
私は、その背中を見つめながら欄干に立ち上がった。

垂木が直ぐ目の前に見える。
東屋は台地に立っていた。
欄干の向こうの地面は、そこから一丈ほど下にある。


「じゃ、邪魔者は消えるから二人でごゆっくり」



言って私はそこから飛び降りた。
着地するかしないか、そんな時に劉備が私の字を呼ぶ。

着地してから振り返って上を見た。
雲の下に東屋、その下に劉備がいた。




!誰か言えぬのなら仕方がないが、手を貸せることならば手を貸すし、相談したいことがあればするのだぞ。私は応援しているからな」




それは純粋な言葉。
血の繋がりをこえた兄としての、劉備という人間そのものの純粋で残酷なまでの言葉。


「なに、応援って。ばっかみたい、大きなお世話だよ。じゃあね、雲長のところにいるから」



私はそれだけ言ってその場から駆け出した。
何かまだ劉備が言っていたみたいだったけど、そんなことは知らない。





















「玄徳様!」


「尚香殿」



「今のはさんよね?あの、ごめんなさい。もしかして私ったら邪魔しちゃったのかしら・・・?」

「いや、丁度一区切りついたところだ、尚香殿が案ずることではないよ。それにとはいつでも話が出来る」


「あら、それは私もそうじゃないかしら?私だっていつでも玄徳様とお話が出来るわ」

「今みたいに?」

「っもう、玄徳様!」

















笑いあう二人が見える。
何を話しているのかは分からないけれど、その表情を見ればもっと別のことが分かる。


ああ、幸せなんだなって。



端と気づいて、木の陰からこんな馬鹿みたいな真似をする自分が凄く惨めに思えた。
踵を返してとぼとぼと歩き出す。





私には、訪れることのない時。

一生かかっても訪れる日はない。



この心が、どんな悲痛な思いで裂かれようと。






頬を雨と混ざった何かが伝って地面にしみた。


可笑しさで笑いが止まらなかった。



夏は五月、朔日の、未の刻。

天候は雨、私が決意を固めた日。












































 いい訳とか↓見ない方はスルーで



無双の劉備は・・・4までのイメージの方が好きな紅紫さんです←
とりま、無双なので色々と放棄してみました(何を
てことで、ここも放棄しますマテ
ヒロインの補足的なものはページ下を反転で。



2009.06




ここまで読んでくださり有難う御座いました。



ヒロイン補足>劉備とは昔馴染。年は結構離れてるので、兄というより父親的な発言をされることが多いが、それは生活に密着した内容の時に限られている。関、張も同じ。