「ドジったなー」







     
 ― 男心ト秋ノ空 ―

















たまたま目に入った。
大きな木の下で俯きながら座り込む彼の人が。
自分はそれが誰だか知っている。



だ。
仕官してから分かったのだが、彼女は物凄く頭がいい。
しかも、舌を巻いてしまうほど。
教養も当然の如く身につけていた。
仕官前とは似ても似つかぬ、それこそ恐ろしいほど出来た人だった。
いや、それだからこそあそこまで己を演じることが出来たのではないか。
凡そ、人のなすことの出来る業とは、自分には思えなかった。




だが、初めに抱いた印象とは強いもので、何となく彼女を毛嫌いしている様な所もある。
だからというのか、知らずの内に、彼女に対して話す時どことなく自分の言葉に棘が含まれていた。
それはある一つの、自分が認めたくない感情を隠すためでもあるのだが。

そんな訳もあって、一人のときには一層、一緒に居たくは無い人なのだ。



















――で、ある筈なのに、何となく見た視線の先に、困ったような顔をして座り込んでいる彼女を確認して、勝手に足がそちらへ向かっていた。
自分が何しに行くのか、分からないわけでもないが、分からなかった。
分かりたくなかった。










「こんな所で何をしている?」


向こうが向かってくる自分に気づいて視線を投げたので聞きつつ近寄る。
彼女はそれを聞くと自分を促すように木を見上げた。
そこには鳥の巣が確認できる。
まさか、と。





「雛が、落ちていましたので戻したのですが…、自分も落ちてしまいました」





そう言って笑ってみせる彼女に正直面食らう。
そう、まさかと思ったのだが、そのまさかだったとは。
おまけに、やってしまった、という感じで笑っている。
笑い事ではないと思った。

大きな溜息をつく。


「その、朝服のまま登ったのか?」


「はい」


当たり前ではないかという風に返す彼女に掛ける言葉も無い。
そんなひらひらした裾の服で普通木を登ろうとするだろうか?



…いや、彼女ならやりかねない。

いつだったか、市場を楽進と歩いていたときに騒ぎを起こしたヤツがいたことがあった。
辺りを破壊し、罪も無い旅人を殴り飛ばしていたのだ。
それに気づき駆けつけると、一足早く民衆の間から出てきてその男を蹴り飛ばし、地に沈めた者があった。
それこそ、戯である。


彼女は、程cに買出しを頼まれて市場まで出てきたという。
それでたまたま通りすがり、蹴り飛ばすまでに至ったらしい。

そう、他ならぬ朝服のままで、だ。











それを思い出して、もう、それに関して突っ込む気がなくなった。
しかめた顔で見下ろす私に彼女が声をかける。


「それで、将軍はなぜここに?」



「たまたま通りかかったら目に入っただけだ」


「そうでしたか、それは足を止めさせて申し訳ない」



そう言って謝る彼女の右手はその右足首をさすっている。
それに気づき思わず問う。


「…足を挫いたのか?」





「はい…どうやら、そうみたいです。先程から立つことが出来なくて」



言って、困ったように眉根を寄せ笑う。
何というか…









「馬鹿か」












口をついて出た言葉と同時に呆れる。
彼女は未だ笑ったまま、






「所詮、愚、ですから」














と答えた。

皮肉で言ったのではないという事は鼻から分かっている。
だが、それとは裏腹にむっとした。


数歩近づき、くるりと踵を返してその場に片膝をついてしゃがむ。
そして、彼女に促した。


「将軍?」


「医務室まで連れて行ってやる」






これは、自分にも予想外だった。



「しかし…」



「早くしろ、俺にもすることが他にもある」


降参したのか、自分の背中に戯が身体を預ける。
そのまま落とさぬように背負うと、回廊に向かって歩いた。







思いのほか軽い彼の人の体は、矢張り初めてその手を捩じ上げた時の印象濃いまま、ほっそりとしていた。
正直、こんな身でどうやったらあんなに目を見張るほどの武を振るうことが出来るのか。
余り、武に興味は無いのだが、そう思ってしまう。
高鳴る鼓動に気づかないように。

























長い回廊を歩きながら角を何度か曲がる。
ここまで会話の無かったこの空気を背にいる戯が破った。


「将軍は…私のことが嫌いなのではないのですか?」


行き成りの直球質問に内心どきりとしたが、面には出さない。
顔を向けず、正面を見たまま答える。


「何故そう思う?」


「いや、勘違いなら謝りますが、文謙殿や文則殿と居るとき、将軍は私だけ見ていない、と思いまして。ですから、その、こうやって手を貸して下さるのは少々意外…だと」







この人はたまに、こうやって毒舌というか辛辣というか、そんな言葉を人に掛ける。
しかも、それが恐らく自分がそう理解した上で言っている訳ではない様なのだ。
その辺り、分かっててもの言う、郭嘉や賈詡に比べればずっとマシな方ではある。
しかし、これはこれで結構くるものがあるのは確か。



「それは悪かったな。
 だが、あんな人の居ない場所で放置していても、通るのは力の無い文官ぐらいだろう。それを考えれば、そちらの方がいい迷惑だ」


そう言ってやると、彼女は”あぁ、それも、確かに”とかつぶやいた。
恐らく、独り言なのだろう。
また、暫く沈黙が続く。
しかし、これもまた背中の彼女が破った。




「重くは無いですか?」



「重い筈あるか。寧ろ、もっと食べた方がいい。こんなに軽くてはいつか敵に吹き飛ばされて首を持っていかれるぞ」




そんなことある筈も無いだろうが、絶対とは言い切れないので言っておく。


全くこの人は何を言っているのだろうか。
しかし、こんな調子であるのは普段、楽進や于禁らと話をしている彼女となんら変わりはない。
強いて変わりがあると言うのなら、自分がこの人と直接話をしている、ということぐらいだ。








「そんなに軽いだろうか?これでも少し増えたと思っているのだが」



ふいに出たその言葉は、きっと彼女が本当にぽろっと出した言葉なのだろう。
敬語ではない彼女の言葉など、初めてではないのに、何となく新鮮に聞こえた。
そんな会話がもし、自分との間に成り立ったのなら。
余所余所しい敬語など使わず、そのままの彼女と話すことが出来たなら。






そこまで考えて、心の中で頭を横に振る。
自分は一体何を考えているのかと。
だから、それを振り払うように言い捨てた。



「軽すぎる。酒を飲む分を食に換えろ」


「…それは、ちょっと」



それだけは出来ない、といった風の戯をよそに、それには返さず、また暫く沈黙のまま回廊を進んだ。
























医務室につき、背中の彼女を椅子に下ろすと初老の典医に一言二言告げ、部屋を出る。
そして、持ち場に戻るため回廊を暫く歩いたのだが、何だか居心地が悪くて、踵を返した。




戻って医務室を覗いてみると、丁度治療が終わったのか戯が典医に礼を述べながら、頭を下げているのが見えた。
典医がそれに気づく。


「おや、丁度いい所に。暫くは安静にしておかねばならぬ故、彼女を屋敷まで連れて行っておやりなさい。わしは今また別のところへ呼ばれたでな。後は任せましたぞ」


そう言って、何とも薄情な彼は部屋を出て行った。
彼女の元に歩み寄る。


「てっきり持ち場に戻られたのかと」


そういう彼女に返すことも無く、また無言で彼女の前に背を向けて片膝をつく。今度は何も言わずにそれに従った。
そして、また彼女の屋敷まで交わす言葉も無いまま先を行く。

涼しい風が吹くようになったこの季節は空に鱗雲がよく現れる。
今日もそうだ。
遠くの空を見ながら、彼女の屋敷につくまでの間、それで気を紛らわせた。
































屋敷に着けば、彼女は自邸に侍女や手伝いの類をただ一人として置いていないという。
少々驚きながら、悪いとは思いつつ、彼女の寝室に入り、寝台に下ろす。
序でに、水場から飲料用の水と、水盤に水を張ったものを近場にあった棚に置いた。
予め、置き場所を聞いておいた手ぬぐいも添えて。


ふと、彼女が言う。


「将軍、何から何まで、有難う御座いました」



頭を下げる。
彼女はこういう事をしっかり態度に出して行うことが出来る。
自分も見習わねば、とそういつも思うがやはり他と同じように言葉だけで終わってしまうのが常だ。



「構うな。ただ、これに懲りたのならもう、無理はしないことだな。特に朝服のまま木に登ったり、暴れたり」


そう言ってじっと見れば、彼女ははにかむ様に笑った。
それは自覚があるということか。
ということは、後先考えずにあの様な行動に出る、と。
普段と、戦のときと全く違う人だと思う。

だが、だからこそ、それが人を惹かせるものでもあると、自分もそれに惹かれるのだと。
知らぬふりをしているが、やはりこれは…




戸に向かい、一度足を止め、顔を少し振り向きながら言う。










「それから、私のことも字で呼んで構わない。敬語も、使わなくていい」




ああ、自分は何を言っているのだろう。
聞いた彼女の表情は見えなかったが、どうやら驚いてはいるようで。



「承知した」



「ではな。大人しくして、しっかり治せよ」



そう言って、去る筈だった私を彼女が呼び止める。
即ち、





「曼成殿」





と。
思わず振り返ると、彼女は満面の笑みで言った。











「ありがとう」













と。
ただ一言そう言った。
それでも、何故か物凄く嬉しくて。

彼女の見たことの無いその笑顔に、一瞬心の臓が止まった。
緩む口元を必死に引き結んで、言い捨てた。

















「っどういたしまして」


























そんな彼は、もう一度優しく微笑んだ彼女のことは知らないし、翌日、戯を負ぶさっていた所を于禁にたまたま目撃されていて、からかわれたなんて事も、また別の話である。

















男心と秋の空。
明日は曇りか、それとも晴れか。


























  ⇒おわり




 いい訳とか↓見ない方はスルーで



   そんなわけで、李典視点ぽい李典夢。
 何か、李典⇒ヒロインみたいな感じでしたが…い、如何でしょう??
 っていうか、今更彼がヒロインを呼んでないことに気づいた←

 ちょっと、彼はかなり美味しい人なんで書いてみましたが
 人って言うか、性格って言うか…
 まぁ、それも私の中での勝手な考察上ですが←
 この話は、恐らく官渡は終わってますね。賈詡がいるらしいですから←
 季節は秋。男心と秋の空。昔はそう言ったらしい。
 今回のは、変わりやすい意味で使ってないですけど。
 まぁ、そのまんまってことで。
 李典視点で書きましたが、分け分からなくなるとあれなので、
 人名は「」で話さない限り”姓名”で表記しました。
 
 何か、もっと色々書けるといいなーと思いつつ
 また、感想など下されば幸いです。 




ここまで読んでくださり有難う御座いました。